2006年 06月 07日
Tchaikovsky: Sym#4@Bernstein, NPO |
チャイコのシンフォニーの中では4番が一番好きだ。
名盤と言われるこれ、 (詳細は↓クリック)
とか、カラヤンも愛聴されているし・・。最近のものではハデハデと思われているけど、やっぱそうかな~? っていうこれ、
(詳細は↓クリック)
などあるし、世の中それこそ星の数ほどの録音がされてきただろうしコンサートプログラムとしても定番だ。
ウィキベディアから拝借
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交響曲第4番へ短調作品36はチャイコフスキーが1876年から翌年に掛けて作曲した交響曲である。1878年2月に作曲者自身の指揮で初演された。
第1楽章: アンダンテ・モデラート(序奏)、モデラート・コン・アニマ(主部:ソナタ形式)
第2楽章: アンダンティーノ・イン・モード・ディ・カンツォーナ:三部形式
第3楽章: ピツィカート・オスティナート(アレグロ):スケルツォ(三部形式)
第4楽章: フィナーレ。アレグロ・コン・フォーコ
特別に神経質で感情過多でありながらも重厚なこの交響曲はチャイコフスキ-にとって一番ヒットした曲の一つでもある。
実はかれはこの作曲当時ある女性と結婚するが数日のうちに別居に至っている。理由は彼が同性愛に苦しんでいたことであり、ロシアではこれは厳罰が課せられる(注1)重大な問題であった。彼の結婚はこの同性愛を覆い隠そうとするためであったものだったと言われている。結局数日のうちにチャイコフスキーはノイロ-ゼ状態となり、近くの池に下半身まで身を沈め、自殺を図っているところを助け出された。
この交響曲では、そのような彼自身の暗黒の運命に対する絶望とあきらめ、また運命との戦いと勝利が描かれているとされる。
曲頭のホルンのファンファ-レは運命の警告を意味し、第1楽章主部の中ほどでも金管群の強奏で容赦なく飛び出してくる。
このように曲想は第1楽章が非常に暗く病的であり、感情過多である。第2楽章は寂しさと夢(この夢とは友人モデストによると男性との関係を描いていると言う)、第3楽章は酒に酔った農民達の踊りの気分を描き、第4楽章は運命に対する勝利を描く。
注1:チャイコフスキーが同性愛者だったのかどうか、確実な証拠はない。ただアレクサンドラ・アナトリエヴナ・オルローヴァの研究(1978)のように、チャイコフスキーの死因は従来言われていたようなコレラの感染ではなく、悲愴交響曲の発表当時、同性愛を理由に自殺を強制されたものという説もあるなど、その説には根強いものがある。
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補足: 富豪の未亡人ナジェジダ・フォン・メックに献呈とある。彼女はチャイコフスキーの当時のパトロン。
でも、どうしても気になるのはこれである。
これはアナログLP時代の、個人的な名盤と思う一品。こいつがCDの復刻版で出た経緯があるかどうかは分からない。が、残念ながら現在は出ていないようである。
チャイコ4の冒頭楽章は頭から布団を被って落ち込みながら聴くに相応しい(?)陰鬱で憂愁に満ちた曲だ。二楽章以降、打ちひしがれた精神は次第に立ち直りを見せ、最後は勝利というか暗から明への転換が達成され、歓喜の(と言うほどの爆発ではないが)ハッピーエンドへ・・・、というのは世の中のクラシック音楽にありがちな展開だが、まぁ、これもご多分に漏れずそうかな?
ムラヴィンスキーもカラヤンも精緻で直情的な表現が秀でているかも知れないし、ゲルギエフのキザったらしいルバートも世のご婦人たちの陶酔を誘うかも知れない。
が、バーンスタインのこれは単に陰鬱、憂い、儚さ、夢、復活、といった形式通りの展開をトレースするだけではない「何か」がある。バーンスタイン/NPOのこれとはもう随分長い付き合いだが、一貫して感じるのは、バーンスタインのもつ深い慈愛・慈悲とでも言うべき感情が出ている点である。チャイコフスキーが当時置かれていた不幸な境遇にフォーカスし、それを抉るのではなく包もうとするかの如くの大人の解釈が私の共感を誘う。
(録音評)
30年前にLPレコードからカセットテープにダビングしたものしか手許にない。これはもうすぐ擦り切れるかも知れない。従って音質に対する評価は今回はしない。
名盤と言われるこれ、 (詳細は↓クリック)
とか、カラヤンも愛聴されているし・・。最近のものではハデハデと思われているけど、やっぱそうかな~? っていうこれ、
(詳細は↓クリック)
などあるし、世の中それこそ星の数ほどの録音がされてきただろうしコンサートプログラムとしても定番だ。
ウィキベディアから拝借
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交響曲第4番へ短調作品36はチャイコフスキーが1876年から翌年に掛けて作曲した交響曲である。1878年2月に作曲者自身の指揮で初演された。
第1楽章: アンダンテ・モデラート(序奏)、モデラート・コン・アニマ(主部:ソナタ形式)
第2楽章: アンダンティーノ・イン・モード・ディ・カンツォーナ:三部形式
第3楽章: ピツィカート・オスティナート(アレグロ):スケルツォ(三部形式)
第4楽章: フィナーレ。アレグロ・コン・フォーコ
特別に神経質で感情過多でありながらも重厚なこの交響曲はチャイコフスキ-にとって一番ヒットした曲の一つでもある。
実はかれはこの作曲当時ある女性と結婚するが数日のうちに別居に至っている。理由は彼が同性愛に苦しんでいたことであり、ロシアではこれは厳罰が課せられる(注1)重大な問題であった。彼の結婚はこの同性愛を覆い隠そうとするためであったものだったと言われている。結局数日のうちにチャイコフスキーはノイロ-ゼ状態となり、近くの池に下半身まで身を沈め、自殺を図っているところを助け出された。
この交響曲では、そのような彼自身の暗黒の運命に対する絶望とあきらめ、また運命との戦いと勝利が描かれているとされる。
曲頭のホルンのファンファ-レは運命の警告を意味し、第1楽章主部の中ほどでも金管群の強奏で容赦なく飛び出してくる。
このように曲想は第1楽章が非常に暗く病的であり、感情過多である。第2楽章は寂しさと夢(この夢とは友人モデストによると男性との関係を描いていると言う)、第3楽章は酒に酔った農民達の踊りの気分を描き、第4楽章は運命に対する勝利を描く。
注1:チャイコフスキーが同性愛者だったのかどうか、確実な証拠はない。ただアレクサンドラ・アナトリエヴナ・オルローヴァの研究(1978)のように、チャイコフスキーの死因は従来言われていたようなコレラの感染ではなく、悲愴交響曲の発表当時、同性愛を理由に自殺を強制されたものという説もあるなど、その説には根強いものがある。
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補足: 富豪の未亡人ナジェジダ・フォン・メックに献呈とある。彼女はチャイコフスキーの当時のパトロン。
でも、どうしても気になるのはこれである。
これはアナログLP時代の、個人的な名盤と思う一品。こいつがCDの復刻版で出た経緯があるかどうかは分からない。が、残念ながら現在は出ていないようである。
チャイコ4の冒頭楽章は頭から布団を被って落ち込みながら聴くに相応しい(?)陰鬱で憂愁に満ちた曲だ。二楽章以降、打ちひしがれた精神は次第に立ち直りを見せ、最後は勝利というか暗から明への転換が達成され、歓喜の(と言うほどの爆発ではないが)ハッピーエンドへ・・・、というのは世の中のクラシック音楽にありがちな展開だが、まぁ、これもご多分に漏れずそうかな?
ムラヴィンスキーもカラヤンも精緻で直情的な表現が秀でているかも知れないし、ゲルギエフのキザったらしいルバートも世のご婦人たちの陶酔を誘うかも知れない。
が、バーンスタインのこれは単に陰鬱、憂い、儚さ、夢、復活、といった形式通りの展開をトレースするだけではない「何か」がある。バーンスタイン/NPOのこれとはもう随分長い付き合いだが、一貫して感じるのは、バーンスタインのもつ深い慈愛・慈悲とでも言うべき感情が出ている点である。チャイコフスキーが当時置かれていた不幸な境遇にフォーカスし、それを抉るのではなく包もうとするかの如くの大人の解釈が私の共感を誘う。
(録音評)
30年前にLPレコードからカセットテープにダビングしたものしか手許にない。これはもうすぐ擦り切れるかも知れない。従って音質に対する評価は今回はしない。
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by primex64
| 2006-06-07 11:49
| Symphony
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