このところ廃盤が続いたので生きている奴から。
http://www.hmv.co.jp/product/detail/1905778
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このアルバムは一時期ネットオーディオ界で有名になった奴で、一家に一枚あるのではないだろうか? SACDハイブリッドもあるようだが、ウチにあるのは普通のCD。エレーヌ・グリモーがDGに移籍した第1弾となる衝撃の内容だ。曲目の選び方、並べ方、またその音質も話題となった。作曲家も年代も不揃いなオムニバスで、構成の妙味を狙ったものだ。
この風変わりなアルバム名は最終トラックに収録されている現代作曲家、アルヴォ・ペルトの作品であるクレドに因む。因みに2トラック目のテンペスト以外は何らかの主題を他の作品から拝借した曲、または有名曲の原典となっているもので構成されている。
1トラック目・・・コリリアーノ/ソロ・ピアノのためのファンタジア・オン・オスティナート
ジョン・コリリアーノはコンテンポラリー分野では著名な現代アメリカの作曲家。これを聴くところ、ベートーヴェンの7番シンフォニー2楽章第1主題を拝借して作られた現代曲である。
最初の出だしの澄んだ一拍目が印象的。そして、この主題をPWMのようにパルスにスライスして分解したエレメントが不気味な規則性でダラダラと並べられて行くが、最初はその旋律がよく見えてこない。次第に発振周波数が高まっていくと同時に朧気にその全体像が浮き立って来るという趣向だ。
規則的な打鍵を正確に繰り出すテクニックはただ者ではなく、グリモーのソリッドな魅力が上手く引き出されている一曲目だ。
2~4トラック目は、何故かベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番ニ短調op.31-2テンペストである。1トラック目とそう間を空けず連続的になだれ込む感じ。
テンペストとはどういう曲か? ウィキペディアから・・・
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R.V.ベートーヴェン作曲のピアノ・ソナタ第17番ニ短調作品31-2は、一般に『テンペスト』の名で知られ、ベートーヴェンのピアノソナタのなかでは比較的有名な部類に属する。特に第3楽章が有名であり単独で演奏される機会も多い。この第3楽章は、ごく短い動機が楽章全体を支配しているという点で、後の交響曲第5番にもつながる実験的な試みのひとつとして考えられている。また、3つの楽章のいずれもがソナタ形式で作曲されている点もこの作品のユニークな点として知られている。
『テンペスト』という通称は、弟子のシントラーがこの曲とピアノ・ソナタ第23番の解釈について尋ねたとき、ベートーヴェンが「シェイクスピアの『テンペスト』を読め」と言ったとされることに由来している。
作曲:1802年、出版:1803年
第一楽章 Largo-Allegro
ソナタ形式、ニ短調 ラルゴ-アレグロを主体としながらもテンポ表示は頻繁に変わる。全体は3つの部分からなる。
第二楽章 Adagio
変ロ長調、展開部を欠くソナタ形式。第一楽章との間にも緊密な関連がある。
第三楽章 Allegretto
ニ短調、ソナタ形式。
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因みに、テンペスト(Tempest)とは、大嵐の意味である。確かに嵐のように駆け抜ける快感がゾクゾクする。
グリモーは本格的なベートーヴェン弾きではないが、意外なまでのストレート&タイトな解釈は、これはこれで聴き入ってしまう。
ジャケットの中で憂いに満ちた瞳をこちらに向けるその容貌に惑わされてはならない。恐らくは性格的にも竹を割ったような真っ直ぐな気質の持ち主と見た。女流にありがちな優しくなよとした要素は微塵もない。
テクニック的には超絶技巧を聴かせまくるタイプではないものの、速いマルカートのパッセージも遅いレガートも安定したものがある。一線級のピアニストであるのは間違いがない。
5~6トラック目に入っているのは、世間的には余り有名ではないがベートーヴェンの通称「合唱幻想曲」である。正しくは、「ピアノ、合唱と管弦楽のための幻想曲ハ短調op.80」という。 合唱とあるがコーラスだけでなく三部(?)独唱も入っている。
うーん、世の中の音楽の形式は色々あるが、これは珍しい形だと思う。交響曲に合唱と独唱を入れたのがマーラーの有名な「復活」だったりするのだがピアノやオルガンはこの場合は脇役だ。
この曲は、2楽章形式、というか2部形式で、前半はどう聴いてもピアノソナタだ。主題がどうも曖昧なのだが例の有名な曲が主体、それと7番交響曲の展開部らしきもの、8番交響曲の対旋律らしきものも混ざっているように聞こえる。
そして2部だが、これは前半と後半に分かれる。ということは全体で3楽章形式の交響曲という風情が漂う曲なのだ。前半はどちらかというと一般的なPコンの第一楽章目の雰囲気でカデンツァもあり、オケも謳うというカンタービレありという構成なのだが、変わっているのはその後半だ。Pコンに合唱と女性独唱を付けたような格好で、他にはあんまり例がないと思う。
実は、この曲はベートーヴェンの交響曲第9番ニ短調Op.125、つまり日本の年末風景では余りに有名な「合唱付き」シンフォニーの原曲と言われている曲であり、事実、旋律は非常によく似ている。合唱の第四主題、つまり「歓喜に寄す」の最後の臭い部分を取り除いた「ミニ・合唱付きピアノ協奏曲的な交響曲」と言える。
第九において大部分が弦楽セクションにより奏でられる主旋律の多くは、この曲に於いては一台のピアノが担当する。そういった意味ではPコンとしての醍醐味は十分に味わえる。しかし、シラーの詩とほぼ同じ内容の歌唱部を途中からジョインさせることの愉悦を忘れてはいない。第九を知らずしてもかなり楽しめる音楽である。いや、あの一楽章から四楽章の歌唱が入る直前部分までをピアノソナタの一つの楽章で代用したとも言えるこの曲の方が「あの」著名曲のエッセンスをより鮮明に代弁しているとも思われる。
この地味で無名な名曲を何故グリモー(若しくはDGの企画担当者)が選んだかは分からないが、非常に有意義な選曲であったことは間違いがない。季節に関係せずに是非鑑賞したい小曲である。
グリモーのアルバムについては賛否両論あるだろう。曰くコンセプトが統一されていて素晴らしい・・・、反面、その逆も常にあり得るわけである
7トラック目がアルバムタイトルになっている、 ピアノ、混声合唱と管弦楽のための《クレド》/アルヴォ・ペルト作曲
ライナーノーツからの抜粋で、ペルトという存命の現代作曲家について少し・・・
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ペルトはバルト三国のひとつであるエストニアのパイデという小さな町に生まれ、放送局の音響技師をしながら、1963年に28歳でタリン音楽院を卒業した。当時、エストニアはソ連の治下にあったので、西欧の前衛音楽は禁止されていたし、むろん宗教的な作品も許可されていなかった。そうした環境の中で、彼はクシェネックの十二音音楽の教本や、わずかに手に入るブーレーズ、ノーノなどの録音テープなどから音列技法を学び、さらに偶然性やコラージュなど西欧のさまざまな現代音楽の技法を取り入れて、自分の音楽を探求していくのである。
しかし、この約10年間の作品は、今日一般に知られているペルトの音楽とはおよそ違ったものである。《ペルペトゥム・モビレ》(ノーノに献呈)や第1交響曲はいわゆる西欧的な現代音楽であるし、第3交響曲は擬古典的といってもよい調性音楽であり、そこには好ましからぬ作曲家としてソ連の当局の一種の監視下にあるペルトの試行錯誤のようなものが見て取れる。ことに、擬バロックと現代音楽のさまざまな技法をコラージュしたチェロ協奏曲《プロ・エ・コントラ(賛・否》(ロストロポーヴィチに献呈されている)は、まさにペルトのアイロニーをはっきりと表に出したような作品である。
そして1968年から6年間、ペルトは沈黙した。あるとき東方教会の単旋律聖歌を聴いて、複雑な音楽こそ優れた音楽だと思っていたが、実は逆であった、と気づくのである。この6年の間、ペルトはグレゴリオ聖歌や中世・ルネッサンスの音楽の研究に没頭する。そうして得たものが、ペルト独特のティンティナブリ様式の音楽だったのである。
そのペルトの音楽を発見し世界に知らしめたのは、クラシック・レーベルではなく、あのコンテンポラリー・ジャズのレーベルECMのプロデューサー、マンフレート・アイヒャーであった。アイヒャーは、ピアノにキース・ジャレット、ヴァイオリンにギドン・クレーメル、プリペアド・ピアノに作曲家のアルフレード・シュニトケというユニークな取り合わせで、最初のアルバム《タブラ・ラサ(「白紙の心」の意)》を1984年にリリースした。そうしてアルヴォ・ペルトの名は、一挙に世界にひろまっていったのである。
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この曲の第一主題は、誰もが知っている有名な曲が原典だ。これは要するに著名曲からの変奏曲(つまりパクリ)なのであり、現代曲にはありがちなことである。
さて、その原曲とは、バッハの平均律クラヴィーア曲集・第1巻の1番、BWV846のプレリュードから取ったものなのだ。これは、平均律云々と言うより、グノーのアヴェ・マリアと言った方が通りが良いかも知れない。グリモーが奏でるピアノの第一主題はオーケストラと共に徐々に規模を拡大しつつ美しい一つの調和を見せる。
第二主題は、第一主題を鏡状にひっくり返したと思われる不安定な旋律で突如現れる。そして打楽器、弦楽器の強奏、そして不気味な合唱を伴い、やがて不規則で無旋律の展開部へと入っていくが、この部分は無秩序の極致を表現している。
混沌とした展開部の頂点を過ぎると、規則的に中断される強奏が徐々にそのなりを潜めて行き、再び旋律が姿を現して調和と秩序を取り戻していく。
最終部は第一主題の再現部となっており、硬質なピアノ旋律が美しい合唱と共にクラヴィーア1番プレリュードの終焉へと戻っていく。
最終トラックには原曲がピアノ独奏でリフレインされ、この希有な構成のアルバムは終わる。
(録音評)
DGの4D録音であり、ことさら音質は良い。特に合唱幻想曲の合唱及びオケと最前列の独唱、ちょっと後ろのグリモーのピアノとのパースペクティブが素晴らしく、このステージ上の距離感の適正な再生がこのアルバムを上手に聴く鍵となる。クレドにおいては展開部の打楽器、特にティンパニとグランカッサの定位とローエンドまでの伸びが鍵となる。ピアノは全編を通じて硬質ながら透き通った小さな音像を維持しているが、これを濁りなく、また肥大なく再生させることが肝要である。