
7月からいわゆる「ゆう活」が始まった。それを機に雇用と人事給与制度について考えるところがあり、通勤時間を利用してfacebookに毎日綴ってきた。SNSだとすぐに霧散してしまうので、これらの文章を連結してBlogに残すことにした。
(長文注意)
1. ゆう活
雨の7月スタート。鬱陶しい空だ。
省庁では今日から朝方勤務を試行するという。仕事を早く切り上げて夕方の時間をプライベートやコミュニケーションに活用してほしいとの願いを込めた命名という。私の勤務先では先週から朝方シフトになり、8:30出勤、17:15定時となっている。30分繰り上がったことで電車の混雑は少し楽だったが今日から役人が早くなることで普段通りの混みよう。人間は起床してから13時間までが頭脳活発だと言われ、朝方の思考と仕事の能率は良好とされることを根拠としているそうだ。だからといって起きるのが早くなるだけで、効率の良い時間数は変わらない。
2. 人口オーナス期
昨日から始まった「ゆう活」に関係する話し。少子高齢化に関し、人口オーナス期という考え方がある。以下、webから引用:
「人口オーナス期」とは、少子高齢化が進み、人口構成上、生産年齢人口(15歳以上65歳未満)に対するそれ以外の従属人口(年少人口と老年人口の合計)の割合が高まる時期のことをいいます。オーナス(onus)とは、英語で「重荷、負担」の意味。この時期は、生産年齢人口の急減と高齢人口の急増が同時に進行し、人口構成の変化が経済発展にとって重荷になることから人口オーナス期と呼ばれます。一方、これとは逆に、従属人口の比率が低下する局面を、その変化が経済にプラスに働くことから「人口ボーナス期」と言います。
3. 少子高齢化
人口ボーナス期には働き手である若者たちがいっぱいいて老人が少ないので国の総生産量が多く、企業は利益の多くを内部留保に回すことができる。大雑把に言うと戦後の日本の高度経済成長期が人口ボーナス期の端的な例だ。その後、出生率が低下し若者が減り、相対的に老齢人口が増すと一人の働き手が背負う老人の数が多くなって社会負担は重くなる。これが人口オーナス期の始まりだ。現在の日本がそうであり、一人っ子政策をとった中国もそろそろ人口オーナス期に差し掛かる。勿論、先行した欧州各国は既に人口オーナス期にある。
4. 労働力
人口ボーナス期には求職者が多く、企業は優秀な若者を厳選採用した。優秀とは、与えられた命令を文句言わず真面目に実行することである。金太郎飴のように画一的な彼らに過重労働を強い、大量生産で多くの利益を得て企業は拡大再生産を続け、今日への礎を築いた。若者が減り続ける人口オーナス期には人手不足が慢性化するため、企業は必要人員が確保できず、従って求職者は引く手あまたとなる。いわゆる売り手市場となるわけだ。個性豊かな若者たちが疲弊した企業に入り多様な才能を発揮することが期待される。というのも、低成長低消費時代には画一性はもはや重要なファクターではないから。
5. 少子化
少子化の原因は様々な因子が複合している。人口オーナス期がその直接の原因ではなく、人口オーナス期になったのは少子化が招いた一つの事象である。人口ボーナス期において社会構造が成熟すると産業やその技術分野も高度化し、ハイスキル人材が求められるようになり、従って大卒が普通といった高学歴化が進展する。みんな大学までやるので教育コストが高騰し、子供は経済的には絞る傾向へと進む。また日本の場合、子供の親離れ年齢が上昇(=パラサイトシングルが増加)、晩婚化、不婚化(=草食男子=結婚そのものを忌避するカルチャー)も子供出生を妨げる原因に。当たり前だが、出生率は2.0を切ると少子化が進展し、人口オーナス期が到来するのは今まで申し上げてきたとおり。
実は、少子化の一つの原因とされる面白い因果関係が分かってきている。人口ボーナス期のサラリーマンの働き方とその家の子供の数には相関性があったそうだ。長年にわたり残業時間が物凄い男性の子供の数は概して少なくて2人未満の率が高いとのこと。要はワークライフバランスが崩れた男性の家庭は少子化傾向が強い。つまり残業を減らせば少子化がある程度防止できるのでは、というお話。ビッグデータってのは妙に面白い結論を導くものだ。ということで、国全体の残業を抑止すれば出生率が増加に転じるかもしれないのだ。政府がしゃかりきになって残業を減らそうとしているのにはそんなこんなの裏があったということらしい。
6. 企業の収益
高度経済成長期の企業は一次産業を主軸に大量生産大量消費により収益を上げてきた。低成長時代になった現在ではどうだろうか。生産の中心は人件費の安い開発途上国に移り、我々はどうやって儲けを確保すべきなのか。ひとことで言うと、全く新しいビジネスモデルを開発して軌道に乗せる事を繰り返して行くということに尽きる。労働集約型から頭脳集約型へのシフトが必要とされているといえようか。一方、働き手は慢性的に不足がちなので、現用の社員に少しでも長く有効に働いてもらうしか方法はない。また働き手の多くは老親の介護や子育てのためフルタイムでの勤務が困難になりつつある。人口ボーナス期には女性社員が妊娠すれば退職させ新しい社員を採用すれば事足りたが、現在ではそんなもったいないことはできない。人を育てるパワーは膨大なので人材の無駄遣いで企業体力を削ぐことはこの時代にはそぐわない。
7. ダイバーシティ
お台場にできた大型商業施設のことではない。直訳すると多様性。古くから欧米で唱えられてきた多様な人材活用に関する考え方のことだ。元々は社会的マイノリティーを分け隔てることなく広く登用して行こうというムーブメントだった。その後、性別や年齢、人種、主義思想、働き方、価値観等の差別をなくして幅広く人材活用する動きを言うようになった。最近になって日本でもダイバーシティが叫ばれるようになり、大手企業ではダイバーシティ推進室なる部署ができたりしている。日本では女性登用の推進、あるいは残業カット促進と思われている節があるが、ちょっと違う。子育てや老親介護などの制約があっても雇用条件が不利にならないようにして多様な価値観を引き出そうという狙いだ。
8. 年功序列
人口ボーナス期の日本においては独自の給与体系が構築された。主に本社機構の総合職、事務、企画職においては本人の働きや貢献度はさて置き、年齢と勤続年数により基本給を定めるというもの。極論すれば本人の仕事の出来不出来に拘らず歳が行くにつれて給与は漸増するという仕組みだ。より働いた人がより多くの給与を得るという実力給の考え方には相反する。総合職の仕事の出来栄えを客観的かつ公平に評価することは難しい。一方、生産現場で働く労働者の出来不出来を評価することはたやすく、それは生産性や出来高が誰の目にも明らかだから。そういったこともあってか、年功賃金がずっと維持されてきた。一般に若者ほど仕事量は多く企業への貢献度は高いといえるが若い頃の給与は低めに抑えられる。高齢になると生産性が落ちて貢献度も低いものとなるが給与はずっと高い。これは一見すると矛盾しているようだが、人口ボーナス期にはある種の合理性が成り立っていた。この仕組みは貯金、あるいは年金の考え方に似ていて、給与支払いの繰り延べに近いものがある。若いうちによく働いて会社に貯金し、歳とって働きが落ちてきたら徐々に残高を取り崩して行くという考え方だ。人口ボーナス期の若者は多く、年輩は相対的には少ないので会社には貯金がいっぱい貯まる。多くの企業はこの目に見えない内部留保を投資に回して拡大再生産に繋げ、莫大な利益を上げてきた。
ところが、人口オーナス期に入ると若者と年輩の構成比が逆転し、会社には貯金が溜まらないのに支出だけが増えていくし働きの落ちた高齢社員が多くなるので会社業績も落ちていく。そこで企業側が持ち出すのは職務給与制度を代表とする実力給の仕組みだ。耳に聞こえは良いが、実のところお荷物になっている高給の高齢社員の切り捨て、あるいは賃下げなのだ。つまり年輩社員から見たら若い頃の貯金が帳消し、召し上げになるということ。要するに若い頃には薄給で馬車馬のように働かされ、歳とったらはいサヨウナラ、というわけだ。一方、若者は少ないので会社は多少色を付けた給与を支給しても腹は痛まないし、売り手市場においては高給が目玉となって若者を集めやすく人気も上昇。良いことずくめなのだ。
9. 残業
年功序列制においては若い頃に給与を低く抑えるので、ライフステージでお金が掛かる時期、例えば結婚して子供ができて学齢に達した辺りでは生活が苦しくなる。そこで残業をして生活費の足しにするという風習が根づく。いわゆる生活残業だ。企業側としても、高度経済成長期だと仕事はいくらでもあって長時間勤務してくれれば生産高が増えて好都合だったわけだ。安い労働単価でたくさん働くことは高性能で高効率な機械を長時間稼働させるのと等しく、会社の儲けに直結したので、会社側にも残業させる大義名分があったし、忠誠心を醸成する手段として陰から奨励したきらいがあった。
ところが、人口オーナス期に入って低成長時代になると企業に求められる商品やサービスの質が変化する。前述した通り大量生産の拠点は途上国へと移り、ただ単にたくさん作りたくさん売りたくさん消費させるというビジネスモデルでは儲けられなくなった。ところが、給与制度が古いまま、また古いしきたりのままだと、たいして仕事もないくせにダラダラと引き延ばして残業したがるという本末顛倒の状況に陥る。つまりわざと生産性を落として働くのである。こんな事を続けていると企業は人件費倒れとなってしまう。そこで、企業は成果給、役割給といった実力給、ワークライフバランス、ダイバーシティといったツールを持ち出して残業を抑制しようとする。
10. 年俸制
外資系企業を含め、日本国内で完全な年俸制を採用している企業は殆どない。しかし、日本の会社であっても管理職になったら残業がつかなくなるのは普通だろう。大規模な会社においては、普通は課長になったら労働組合員ではなくなる。それは仕事の質が変わり、時間労働を生業としないマネジメントという役割を果たす事を期待されるようになるからで、マネジメントは一日何時間やったから幾ら、という値付けがされる職種ではないから。極端な話、一日一時間だけ働いてマネジメントが行き届いているなら期待役割としては及第で、一日12時間働いても組織統率が立ち行かなければ落第なのだ。そういった点においては管理職はほぼ年俸制と言ってよい。
一方、欧米における労使の考え方はシンプルだ。クラリカルワーカーは担当職種の時間単価の相場がほぼ決まっていて、労働時間を掛けた額が淡々と支給されるだけだ。その点は日本の派遣労働の市場と類似している。労働時間はあらかじめ定められており、能率の悪い人はオーバータイマー、つまり残業しないと所定の仕事量がこなせない人と見做される。マネジメントあるいはテクニカルなスタッフは日本の管理職と同じで、従事した時間による給与支給という概念はないし、多くの場合、拘束時間も定めていないので、勤務形態も様々だ。一カ月も出社せずバカンスに出掛けるということも稀ではない。要は、ある金額でマネジメントという仕事を会社から請け負う契約を個々に結んでいるということだ。つまりこれが年俸制。
11. 職能給と職務給
よく似た名称だが、両者はまるで違う。職能給とは日本の大部分の企業が採用している給与制度のことであり、要するに年功給のこと。職能とは職務を遂行するための能力のことで、その能力を推し量る係数の大部分は勤続年数が占める。勤続年数が長ければより難しい職務を全うする能力が高いだろうと見做すわけだ。一方の職務給とは、ほぼ年俸制と言い換えてよい制度であり、仕事の種類ごとに単価が決まっているという仕組みだ。派遣社員などの非正規労働者の大部分がこの仕組みに乗っているといってよい。職能給は勤続年数が増すにつれ基本給が上がる、つまり人に値札が付いているのに対し、職務給は仕事に値札が付いているので同じ仕事に従事している限り基本給は変わらない。
多くの日本企業では職能給で将来保証される一部分の社員を除き、職務給、即ち非正規労働者を積極導入してきた。換言すれば、社員全員に職能給を当てはめることか困難になったので正規雇用を減らし続けてきたと言えるのだ。
こういった背景があって、雇用側のいわゆる財界はこの状態を維持して行くつもりだが、政府は世論に阿る格好で正規雇用化を促進する振りをしている。前述の通り、人口ボーナス期で高度経済成長しているときには合理的だった職能給は人口オーナス期の現在では成り立たない。もし非正規労働者を全て正規雇用に切り替えたら人件費倒れとなり多くの企業はもたない。
12. どちらが良いのか - 1
職能給と職務給、すなわち年功給と実力給だが、どちらが良いのか? 考え方によって様々だろうが、こと日本にあっては、正規雇用における職務給はなかなか根付かない。長く勤めるというロイヤリティーが古くから定着した価値観だからか、また、浮き沈みがある中である種の保険機能が備わった年功序列が安心要素となって支持されるのかははっきりわからないが。また、特別な事象が起きない限り年々給与が上がることは働く事へのモチベーションになっているのは間違いないところだろう。だが、明らかに高度な仕事を立派に完遂するハイパフォーマーから見れば不公平感があったり未来へのステップアップの構図が描けず不満の残る仕組みかもしれない。ある企業の本社スタッフに職務給制度を入れようとした経験から言えるのは、とにかく激しい抵抗に遭うということ。反対理由の第一は、生涯賃金が下がってしまう可能性に対してだった。次に来たのが職務評価の公平性の観点で、自分が従事している仕事の値付けが不当に低いというもの。キーパンチャーやファイリング、コピー取りといった庶務系の仕事の値付けは割と客観性があるのだが、本社スタッフの企画や管理職制に対する納得性のある値付けというのが思いのほか難しい。
13. どちらが良いのか - 2
職務給を採用した内勤組織がその後どうなったか、だが、職務評価の見直しを頻繁に行うことが余儀なくされた。特に難しかったのは中間管理職以上の職務の値付けで、ファイリングやパソコンといった単純な業務ではなくて複数の単位業務が入り組んでいるため、評価者の尺度のブレや主観が入り易く、人による差がかなり生じたからだ。同じ様な仕事をしている同年代の社員でも単価が5割ほど違うというケースも散見された。セクション間での格差も問題となった。ある部門長は自部門に対する評価を意図的に高めに設定し、それが他部門からの攻撃材料とされ、職務再評価が繰り返されたりした。組織全体としては人件費の総額はアップしたが幸福感を得た人は多いとは言えない状況で、なんとなくギクシャクした雰囲気が充満した。まるで隣の人の財布の中を覗き見する様な疑心暗鬼な社員のモチベーションは決して高いとは言えなかった。一方、対外的な給与水準は上がり、中途の求職者は明らかに増えた。人材バンクがそこに目を付けて多くの転職者を呼び込み、その評判が知れ渡ると益々応募者数が増すという循環を生んだ。
14. ジョブホッパーズ
業界内では後発だったその会社は職務給制度を導入したことで高給を出す会社と認知されるようになった。優秀な中途入社者が続々入り、古くから組織に貢献した古参社員たちがかなり辞めた。人の入れ替えによって組織は活性化したように見られたが内状はちょっと違った、比較的年齢の高い古参社員は年功のため相応の給与を得ていたが、職務評価により大部分は年収を下げる事となった。業界他社で実績を積んだ中途の人達は確かに優秀ではあった。経営者は、敢えて耳に痛い事を指摘して言う事を素直に聞かない古参社員よりも、若くて素直、仕事の早い中途入社者を好む傾向にあった。お金さえ出せば優秀で若い社員がいくらでも採用できるとの幻想を見ていた節があったのだ。中途入社者の多くは長続きしなかった。会社が嫌だとか仕事が合わないという事ではなく、数年経過後に更に高い役職と給与を求めて転職していったのだ。勿論、現在も残って活躍している人もいるのだが。会社としてみれば古参の高給取りで働きの落ちた人を排除する事に成功し、新たに若くて柔軟かつ優秀な社員を獲得できたかに見えたが、業界から見ると格好の踏み台とみなされ、ポジションとサラリーを上げるために頻繁に転職を繰り返す人、すなわちジョブホッパーズの温床となっていた。古参の抜けた組織、また頻繁にマネージャーが交代する組織はその後徐々に問題を引き起こす事になる。長い経験に裏打ちされた人には文書化されないノウハウがあって、知らず識らずのうちにその知識と経験に頼った運営がされていたという事に後になって気が付いた。永年に渡り蓄積されたノウハウや勘所などが伝承されない組織では仕事の質が明らかに落ちる。これらのアンドキュメンテッドなナレッジ、スキルはお金では買えないのである。
15. 落ち着きどころ
色々と見ていくと日本企業の本社スタッフに職務給制度を導入するのはなかなか難しいという事が分かった。社員がどういった観点で会社へのロイヤリティーを感じ、頑張って成果を発揮し、そして長く貢献していこうと考えるかは様々だが、ひとつ見えているのは、短期的な成果だけで個人業績を評価するのではなく、寧ろ調子の良くない時期であっても堪えて雇用を続けてくれる安定性には恩義を感じるようで、そういった点においては年功序列は受け入れやすい、また会社側としても運用しやすい仕組みなのだ。このような様々な要素が複合してか、日本国内では職能給をベースとし、多少の業績傾斜を付けた人事制度がいまだに主流というのが現状だ。会社側に残る問題は、漸増性の人件費の圧縮だが、これについては前述した通り、非正規労働者の積極導入でなんとか凌いでいるというところ。
政府が進めようとしている正規雇用率の向上策は、企業業績を維持しながら内需を拡大し国内産業の基礎体力向上を目指すアベノミクスとは相容れない。そこで目に見えにくい巨額な人件費ファンドである超過勤務手当に目を付けた。原理的には生産性を一、二割上げれば超過勤務せずとも同じ仕事量を同じ品質でこなすことが可能で、それが実現できたなら浮いたファンドを正規雇用率改善に回すことが可能となる。もちろん、正規雇用に切り替えられた人が再び年功序列制へ組み込まれることはなく、勤務時間条件付き、あるいは勤務地域制限付きの正社員なる職階を作り、職務給で受け入れるのだ。
ここまで長時間を割いて労働環境の背景にある事情や仕組みを書いてきた。今後、身近なところでワークライフバランス、ダイバーシティ、ゆう活などというキーワードを耳にしたならば、裏にはこういった大人の事情があることを思い返していただきたい。
(了)

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