2007年 02月 02日
Shostakovich: Sym#7@Barshai WDR |

大曲の7番。
交響曲第7番「レニングラード」ハ長調 作品60
Opus 60: Symphony No. 7 C major "Leningrad" (1941)
1. War: Allegretto - 28 min.
2. Memories: Moderato poco allegretto - 12 min.
3. My Native Field: Adagio - Largo - Moderato risolutu - 17 min.
4. Victory: Allegro non troppo - 16 min.
1941年6月に勃発した独ソ戦争によりレニングラード、現在のサンクトペテルブルクは2年余りドイツ軍に包囲・封鎖された。
ショスタコは強硬な愛国心から義勇軍へ自ら志願して飛び込んだが、既に国家的名声を得ていた彼の安全を軍が計らい、暇な土方兵、後に義勇軍劇場の指揮者に任命した。前線で生命の危険に晒されることなく、その兵役のさなかに激情に後押しされて書いたのがこの7番レニングラードだ。
以下、ちょっと長いがショスタコの自伝からこの7番の解説。作曲者が書いているのだから、解釈としてはこれ以上でも以下でもない(^^ゞ
第七交響曲は、一九四一年の戦争をあつかった標題楽である。それは四楽章から成っている。第一楽章では、わが国のすばらしい平和な生活に恐しい力―戦争が侵入してきたことが語られる。わたしは、戦闘(飛行機の爆音、戦車のひびき、大砲の一斉射撃)を自然主義的に表現しようとはせず、いわゆる戦争音楽ともしなかった。苛酷な出来事の内容をつたえたいと思っただけである。
第一楽章の展開部では、自分たち自身、自分たちの未来を信じている人びとの平和な生活が述べられている。これは、戦争のおこるまでは数千のレニングラードの予備兵、全都、全国の人びとがどれほど素朴な、平和な生活をおくっていたかを述べたものである。
中間部全体のテーマは戦争である。
第一楽章の中央部は、葬送行進曲あるいは、より正確には、戦争の犠牲者へのレクィエムである。ソヴェトの人びとは自分たちの英雄たちを追悼する。レクイエムのあとまたいっそう悲劇的なエピソードがつづく。この音楽をどう特徴づけたらいいか、わたしは知らない。おそらく、そのなかには母の涙があり、あるいは悲しみがあまりにも大きくて涙さえ出ないようなときの感情があるだろう。近親者を失ったものの悲しみをあらわす大きなソロ・ファゴットのあと、第一楽章の明るい、抒情的な結びがくる。いよいよ最後のところになって、ふたたび遠くから、戦争自体やこれから先の戦闘を思いださせるような戦争のテーマがやってくる。
第二楽章は、きわめて抒情的なスケルツォである。ここには、なんと楽しい出来事、なんと嬉しい話があったかの思い出がある。これらすべてが悲哀と夢想のもやにおおわれる。
第三楽章は、激情的なアダジオである。生活の歓喜、自然にたいする讃嘆などが、第三楽章の思想である。第三楽章はひきつづき第四楽章に移って行く。第一楽章とならんで、第四楽章はこの作品の基本的な部分をなしている。第一楽章は戦いであり、第四楽章は来たるべき勝利である。この楽章はみじかい序曲ではじまり、そのあとにきわめてにぎやかな、興奮した第一のテーマの叙述がくる。そのあと、厳粛な性格の第二のテーマがはじまる。この第二のテーマは全曲のクライマックスである。このクライマックスは、静かに確信をもって発展し、大きな厳粛なひびきの終りへとすすむ。
ざっとこういったところが、交響曲の聴衆とわかちたいと思った思想である。(1942年3月29日の音楽会プログラム:ショスタコーヴィチ自伝, p.119-120)
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by primex64
| 2007-02-02 10:05
| Symphony
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