2006年 09月 11日
Chopin: Mazurkas@Ashkenazy |
今日の未明、恐ろしい雷鳴と激しい雨音に安眠を脅かされ、暫し悶々としていたが、やがて嵐は去った。しかし目が冴えて寝られなくなってしまった。
アシュケナージのショパン・マズルカ全集を改めてジックリと聴いた。しかし、昔のCDは高かったものだ。二枚組でこの値段は今であれば躊躇するであろう。

http://www.hmv.co.jp/product/detail/683802
(国内盤はこちら↓)

アシュケナージの演奏はあくまでスタンダードであって、個性的な癖や飛躍した解釈のないブロードなもので、特にショパンを弾くあらゆるピアニストの模範とされてきた。
しかしその反面、玄人好みの音楽マニアには概して好まれないという面もあるようで、彼のピアノを低めて評価する人は意外に多い。よくアルゲリッチやツィマーマンと比較して下手くそだという人がいるが、それはアシュケナージが残した広汎な作品群への聞き込みが足りないと思う。
楽譜に記載されている音を指示された通りの楽想記号を遵守して丁寧に一つ一つ慎重に弾くアシュケナージのピアノは全体的に音量は控えめで、曲の見せ場である強奏部でも欲望に任せて乱雑に弾いたり、感傷的に破綻したりということは決してない。
その解釈は無難で、どの曲を演奏しても感情の起伏が必要以上に大きく表出することはなく、心の奥に秘めた感情表現がサラリとした超絶技巧の隙間から垣間見える程度なのである。
彼が常々言っている「音楽は言葉では表現できない。音だけが全てだ」という言葉が重くのしかかる。そう、彼の指先から紡がれる一音一音がショパンの微妙な感情を精密に再生していくのだ。
アシュケナージは2004年からN響の音楽監督に就いているが、それ以来、弾き振りこそするもののソロ・ピアニストとしての活動は停止した状態だ。N響の指揮を聴く限り彼のスタンダードで無難な解釈はピアノ曲にとどまらずあらゆるジャンルでの成功を予感させる。N響が彼を招聘した理由もその辺にあるのではないか。
私の娘はN響アワーでオケを振るアシュケナージを昔からの専業指揮者だと思っていたようだ。CD棚にこのマズルカ集を見つけて、「この人はピアノも弾くんだね・・」との言葉を聞き少々うろたえてしまった。ピアニストとしての彼の輝かしい過去を知る若い人が急速に減少している気がする。あの青白い炎を纏ったピアニズムを心おきなく聴きたいと切に願っているのは私だけだろうか?
さてさて、このマズルカだが、例により適切に抑制された感情の起伏の狭間で一音一音が極めて明快かつ丁寧な演奏である。しかし憂鬱なパートはあくまで憂鬱に、うきうきするような躍動的な心の飛翔を表すパートはあくまで軽く明るく、甘美でやるせないパートは気怠く弾いている。
情感を込め過ぎたロマンティックで破天荒な解釈ではなく、楽譜に記されたショパンの感情を素直に、そして淡々と表現しており、弾き手側の独自解釈により行間を深読みすることには与していない。代わりに聴き手側の感情移入の自由度はうんと広い。うーん、やはりアシュケナージのショパンは素晴らしい。
(録音評)
以前の録音評を覆さなければならない。
前回は可もなく不可もなくとの評価をしたが、よくよく聴くとピアノの姿が浮かび出る驚くほどリアルな仕上がりなのである。前回までは気が付かなかったのか、まだスピーカーがこなれた状態ではなかったのかその理由は分からない。
特筆すべきは低音弦の透明にしてどこまでもボトムへ向かって伸びる残響と胴鳴りである。二枚目の遺作前後はアナログ収録らしくて低音はちょっと締まりが甘くて宜しくない部分もある。
全体的に言えるのは、小ホールのステージにほど近い場所で生で聴くスタインウェイの弦はこういった音がするということだ。実は古いCDであっても心と腕のあるエンジニアが収録し調音したものは現代にも十二分に通用する音質を保持しているのである。
この頃のDECCA/LONDONレーベルは音質的に不満が残る録音が多かったのだが、このアルバムに関しては今更にして優秀な録音であるし、マズルカ全集という点においても、分類学上もおよそ考え得る全作品を網羅した貴重なものと言えよう。
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アシュケナージのショパン・マズルカ全集を改めてジックリと聴いた。しかし、昔のCDは高かったものだ。二枚組でこの値段は今であれば躊躇するであろう。

http://www.hmv.co.jp/product/detail/683802
(国内盤はこちら↓)
アシュケナージの演奏はあくまでスタンダードであって、個性的な癖や飛躍した解釈のないブロードなもので、特にショパンを弾くあらゆるピアニストの模範とされてきた。
しかしその反面、玄人好みの音楽マニアには概して好まれないという面もあるようで、彼のピアノを低めて評価する人は意外に多い。よくアルゲリッチやツィマーマンと比較して下手くそだという人がいるが、それはアシュケナージが残した広汎な作品群への聞き込みが足りないと思う。
楽譜に記載されている音を指示された通りの楽想記号を遵守して丁寧に一つ一つ慎重に弾くアシュケナージのピアノは全体的に音量は控えめで、曲の見せ場である強奏部でも欲望に任せて乱雑に弾いたり、感傷的に破綻したりということは決してない。
その解釈は無難で、どの曲を演奏しても感情の起伏が必要以上に大きく表出することはなく、心の奥に秘めた感情表現がサラリとした超絶技巧の隙間から垣間見える程度なのである。
彼が常々言っている「音楽は言葉では表現できない。音だけが全てだ」という言葉が重くのしかかる。そう、彼の指先から紡がれる一音一音がショパンの微妙な感情を精密に再生していくのだ。
アシュケナージは2004年からN響の音楽監督に就いているが、それ以来、弾き振りこそするもののソロ・ピアニストとしての活動は停止した状態だ。N響の指揮を聴く限り彼のスタンダードで無難な解釈はピアノ曲にとどまらずあらゆるジャンルでの成功を予感させる。N響が彼を招聘した理由もその辺にあるのではないか。
私の娘はN響アワーでオケを振るアシュケナージを昔からの専業指揮者だと思っていたようだ。CD棚にこのマズルカ集を見つけて、「この人はピアノも弾くんだね・・」との言葉を聞き少々うろたえてしまった。ピアニストとしての彼の輝かしい過去を知る若い人が急速に減少している気がする。あの青白い炎を纏ったピアニズムを心おきなく聴きたいと切に願っているのは私だけだろうか?
さてさて、このマズルカだが、例により適切に抑制された感情の起伏の狭間で一音一音が極めて明快かつ丁寧な演奏である。しかし憂鬱なパートはあくまで憂鬱に、うきうきするような躍動的な心の飛翔を表すパートはあくまで軽く明るく、甘美でやるせないパートは気怠く弾いている。
情感を込め過ぎたロマンティックで破天荒な解釈ではなく、楽譜に記されたショパンの感情を素直に、そして淡々と表現しており、弾き手側の独自解釈により行間を深読みすることには与していない。代わりに聴き手側の感情移入の自由度はうんと広い。うーん、やはりアシュケナージのショパンは素晴らしい。
(録音評)
以前の録音評を覆さなければならない。
前回は可もなく不可もなくとの評価をしたが、よくよく聴くとピアノの姿が浮かび出る驚くほどリアルな仕上がりなのである。前回までは気が付かなかったのか、まだスピーカーがこなれた状態ではなかったのかその理由は分からない。
特筆すべきは低音弦の透明にしてどこまでもボトムへ向かって伸びる残響と胴鳴りである。二枚目の遺作前後はアナログ収録らしくて低音はちょっと締まりが甘くて宜しくない部分もある。
全体的に言えるのは、小ホールのステージにほど近い場所で生で聴くスタインウェイの弦はこういった音がするということだ。実は古いCDであっても心と腕のあるエンジニアが収録し調音したものは現代にも十二分に通用する音質を保持しているのである。
この頃のDECCA/LONDONレーベルは音質的に不満が残る録音が多かったのだが、このアルバムに関しては今更にして優秀な録音であるし、マズルカ全集という点においても、分類学上もおよそ考え得る全作品を網羅した貴重なものと言えよう。
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by primex64
| 2006-09-11 10:45
| Solo - Pf
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