魚くに@妙蓮寺 |
まずは生ビール
このところ天候がすぐれないが、今日も朝から肌寒く曇りの一日。そんななかオーケーまで生鮮品の買い出し。その前にランチは近くのこちらにて。

ポキ丼
こちらは家内のオーダー。暫く出ていなかったので久々に頼むとのこと。




釜あげしらす丼/たこぶつ切り刺身
こちらは私のオーダー。このところあまり出ていなかったメニューで、実に4年ぶりだった





お店データ
魚くに横浜市港北区菊名1-7-10
電話:045-432-5537
営業:昼 :11:30~14:00(LO:13:30)
夜 :17:00~21:30(LO:21:00)
定休:月曜、第3日曜
最寄:東急東横線 妙蓮寺 2分
クラシック版:今日は何の日?
10月26日は、ドメニコ・スカルラッティの生誕の日。
ジュゼッペ・ドメニコ・スカルラッティ(Giuseppe Domenico Scarlatti, 1685年10月26日 - 1757年7月23日)は、イタリアのナポリ出身で、スペインのマドリードで没したクラシック音楽の作曲家。現在では、もっぱら民族色豊かな鍵盤語法が繰り広げられる多数のチェンバロのためのソナタとチェンバロのための練習曲集によって知られる。ドメニコは有名な作曲家であるアレッサンドロ・スカルラッティの子として、ナポリに生まれた。10人兄弟の6番目の子だった。スカルラッティ家はバッハ家やクープラン家と同様の音楽家の一族だった。
1701年にナポリの教会付き作曲家兼オルガン奏者に15歳で就任した。父の命令によって1705年にヴェネツィアに移ったが、ここでスカルラッティが何をしたかは伝わっていない。1709年からはローマに住み、同地に当時亡命していたポーランド王妃マリー・カジミールの音楽監督(maestro di cappella)の職を得た。また、サン・ピエトロ大聖堂のジュリア礼拝堂で働き、1714年末に音楽監督のトンマーゾ・バイが没すると、その後を引き継いだ。
スカルラッティとヘンデルは存命中から著名な存在になったために、1709年のローマでヘンデルとチェンバロおよびオルガンの腕前を競い合ったという逸話がいつのまにやら創作されるほどまでになった。ちなみにチェンバロの勝負は両者引き分けだったが、オルガンの勝負ではスカルラッティが先にヘンデルの演奏を聴いただけで自分の負けを認めたという。しかしこの逸話を証明できる資料は存在しない。
1714年にポルトガル大使のフォンテス侯爵と知り合ったことが機縁で、1719年ポルトガル王ジョアン5世はスカルラッティを王室礼拝堂の音楽監督に任命した。スカルラッティは1719年11月29日にリスボンに到着した。彼はまた王の兄弟であるドン・アフォンソおよびマリア・マグダレーナ・バルバラ王女に音楽を教えた。(後略)
(Wikiより)
随分とマニアックなピアニストたちですね・・。フェデリコ・コッリは各賞を取ったので記憶にあります。あとVnのパパヴラミも独特の弾き回しで印象的・・。テレマンの方がより前期ロマン派に近い気がします。鍵盤作曲家だと、私はクレメンティ、クーラウと曲想が被りますね・・。
クーラウは鍵盤楽器用のソナチネで有名ですが、メインはフルート曲でした。




