2025年 03月 04日
Myorenji district@Yokohama #2 |
妙蓮寺の界隈の風景より。
東急東横線の妙蓮寺駅東口の脇にある、東急の地面と思いきや、実は寺の敷地かもしれない植え込みに設置されている石碑、というか石板がこちら。
ここに書いてあるのは以下の通り。
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当山は、日蓮宗大本山池上本門寺の末寺で、長光山妙蓮寺と言うお祀りする日蓮聖人のご尊像は、池上本門寺第二祖日朗上人の九鳳の一人、日像上人の作である
当山の前身は観応元年開山大経院妙仙寺であり、今の横浜市神奈川区神明町にあったが、明治四十一年横浜鉄道臨港線引き込み線敷設に際して止むなく移転となり、当時の住職四十一世慈性院日體上人は池上本門寺の末寺 浄寿山蓮光寺を移転先に選んだ
蓮光寺は天正年間正乗院日運上人が池上本門寺第十二世惺上人を請じて開山とし、自らは第二世となり創設した寺院である
そして両山は明治四十一年八月八日此の地に合併開山し、妙仙寺の「妙」と蓮光寺の「蓮」を合わせて「妙蓮寺」と改め日體上人が第一世となった
妙蓮寺第二世慈開院日偉上人は、大正十五年東京横浜電鉄の開通による境内の軌道敷設に快諾し、妙蓮寺境内を無償で提供する
ここに妙蓮寺駅ができ、付近一帯の発展に寄与した
昭和四十四年、妙蓮寺第三世慈篤院日仙上人は、宗祖御降誕七五〇年を記念し、五年の歳月をかけて現在の本堂となる客殿を完成し、その後、庫裡、客殿を増築した
平成二十年、当山現住職第四世日英は境内整備 墓地区画整理を完了し現在に至る
当山歴代住職を次に記す
合併開山慈性院日體上人貫名日體
第二世慈開院日偉上人山本日偉
第三世慈篤院日仙上人山本日仙
第四世慈照院日英上人山本日英
建立 平成二十年十一月吉日
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こちらが妙蓮寺の正門、すなわち日蓮宗の言い方だと山門となる。この赤い色は池上本門寺から推奨されて塗った色だという。


3月4日は、ヴィヴァルディの生誕の日。
※MusicArenaでは膨大な数の録音を取り上げているため、ほんの一部だけ紹介


妙蓮寺 縁起
東急東横線の妙蓮寺駅東口の脇にある、東急の地面と思いきや、実は寺の敷地かもしれない植え込みに設置されている石碑、というか石板がこちら。

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当山は、日蓮宗大本山池上本門寺の末寺で、長光山妙蓮寺と言うお祀りする日蓮聖人のご尊像は、池上本門寺第二祖日朗上人の九鳳の一人、日像上人の作である
当山の前身は観応元年開山大経院妙仙寺であり、今の横浜市神奈川区神明町にあったが、明治四十一年横浜鉄道臨港線引き込み線敷設に際して止むなく移転となり、当時の住職四十一世慈性院日體上人は池上本門寺の末寺 浄寿山蓮光寺を移転先に選んだ
蓮光寺は天正年間正乗院日運上人が池上本門寺第十二世惺上人を請じて開山とし、自らは第二世となり創設した寺院である
そして両山は明治四十一年八月八日此の地に合併開山し、妙仙寺の「妙」と蓮光寺の「蓮」を合わせて「妙蓮寺」と改め日體上人が第一世となった
妙蓮寺第二世慈開院日偉上人は、大正十五年東京横浜電鉄の開通による境内の軌道敷設に快諾し、妙蓮寺境内を無償で提供する
ここに妙蓮寺駅ができ、付近一帯の発展に寄与した
昭和四十四年、妙蓮寺第三世慈篤院日仙上人は、宗祖御降誕七五〇年を記念し、五年の歳月をかけて現在の本堂となる客殿を完成し、その後、庫裡、客殿を増築した
平成二十年、当山現住職第四世日英は境内整備 墓地区画整理を完了し現在に至る
当山歴代住職を次に記す
合併開山慈性院日體上人貫名日體
第二世慈開院日偉上人山本日偉
第三世慈篤院日仙上人山本日仙
第四世慈照院日英上人山本日英
建立 平成二十年十一月吉日
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妙蓮寺 山門
こちらが妙蓮寺の正門、すなわち日蓮宗の言い方だと山門となる。この赤い色は池上本門寺から推奨されて塗った色だという。



クラシック版:今日は何の日?
3月4日は、ヴィヴァルディの生誕の日。
※MusicArenaでは膨大な数の録音を取り上げているため、ほんの一部だけ紹介



by primex64
| 2025-03-04 22:43
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