秀味園@中華街 |
まずは生ビール
今日の午後は、チケットをいただいていた新春落語会=春風亭小朝&春風亭昇太=があったので行ってきた。会場は神奈川県民ホールということで、ランチは隣りの中華街で早めにいただくことに。

肴二品
秀味園はテレビのニュースワイド番組で取り上げられてから混むようになったが、12時前だったのでなんとか座れた。ビールのお供は、蘿卜蛋甫(台湾風切り干し大根と玉子焼き)、焼き餃子だ。
切り干し大根が入った台湾風の卵焼きだが、全体がふんわり膨らんでいて中の大根がポリポリ良い食感、塩味が極少で味も優しくほっこりする。




台湾汁米粉
こちらは家内のオーダーで、日本語のメニュー名称は台湾風汁ビーフン。





魯肉飯
こちらは私のオーダー。






お店データ

横浜市中区山下町134
電話:045-681-8017
営業:10:30~22:00
ランチ営業:10:30~15:00
定休:不定休
最寄:MM21線 元町・中華街3分、JR石川町8分
クラシック版:今日は何の日?
1月13日は、プロコフィエフの交響曲第5番が初演された日。
現在のロシア・ウクライナの状況から、なんだかデ・ジャブのように遡った過去の光景が脳裏に浮かぶ。
プロコフィエフは元来政治には無関心であったが、1941年にヒトラー率いるドイツ第三帝国が独ソ不可侵条約を一方的に破棄してソ連に攻め入る現実を見て、かつてない祖国愛に目覚めたという。そして作曲家として何らかの形で祖国に貢献する道や方法を考え始め、こうした状況下で生まれたのがこの交響曲第5番であった。
作曲は1944年に、モスクワ郊外のイヴァノヴォにある作曲家たちの山荘で一気呵成に行われ、わずか1ヶ月あまりでピアノ・スコアが書かれ、さらに続く1ヶ月でオーケストラのスコアが完成されたという。なお、この交響曲第5番がさらにプロコフィエフを刺激・鼓舞した背景には、作品番号が100という、プロコフィエフにとっては運命的な意味を持つ番号になった点があり、普段よりも増して意欲的に作曲に取り組んでいたようである。数字から見ても、どこか記念的な意味が隠されているようにも思える。
初演は1945年1月13日、モスクワのモスクワ音楽院大ホールにて、プロコフィエフ自身の指揮とモスクワ国立交響楽団の演奏で行われ、ソヴィエト全域にわたってラジオで中継された。またこの日のプログラムは、『古典交響曲』、交響的物語『ピーターと狼』と交響曲第5番という、オール・プロコフィエフ・プログラムであった。初演は大成功を収め、同年11月にはセルゲイ・クーセヴィツキーの指揮とボストン交響楽団の演奏によるアメリカ初演も行なわれた。
後にプロコフィエフはこの交響曲について、以下のように述べている。
・「戦争が始まって、誰も彼もが祖国のために全力を尽くして戦っているとき、自分も何か偉大な仕事に取り組まなければならないと感じた。」
・「わたしの第5交響曲は自由で幸せな人間、その強大な力、その純粋で高貴な魂への讃美歌の意味を持っている。」(1951年)
(Wikiより)
※MusicArenaでは一枚だけ取り上げていた


