木の芽@石川町 |
まずは生ビール
10月も最終にかかり、ようやく季節なりの気候になってきた気がする。長袖シャツ一枚ではちょっと肌寒い感じの一日だった。この日は家内が習っているガラス工芸教室の作品展があったので、ランチは会場のブラフ18番館に程近いこちらでいただいた。なお家内は会場内で案内係をするためアルコールは自粛。
肴二品
ビールのお供は軽く以下の二品。
こちらは定番の梅水晶おろし。鮫の頭の軟骨を細くスライスしたものを梅肉で和え、大根おろしと混ぜていただく趣向。少々酸味のある梅肉と軟骨のこりこり食感が面白い。
肉玉丼セット
こちらは家内のオーダー。
天丼セット
こちらは私のオーダー。
お店データ
木の芽
横浜市中区石川町1丁目11
電話:045-641-5835
営業:11:30~21:00
定休:水曜
最寄:JR石川町(南口)1分、
MM21線 元町・中華街8分
クラシック版:今日は何の日?
10月26日は、ドメニコ・スカルラッティの生誕の日。
ジュゼッペ・ドメニコ・スカルラッティ(Giuseppe Domenico Scarlatti, 1685年10月26日 - 1757年7月23日)は、イタリアのナポリ出身で、スペインのマドリードで没したクラシック音楽の作曲家。現在では、もっぱら民族色豊かな鍵盤語法が繰り広げられる多数のチェンバロのためのソナタとチェンバロのための練習曲集によって知られる。
ドメニコは有名な作曲家であるアレッサンドロ・スカルラッティの子として、ナポリに生まれた。10人兄弟の6番目の子だった。スカルラッティ家はバッハ家やクープラン家と同様の音楽家の一族だった。
1701年にナポリの教会付き作曲家兼オルガン奏者に15歳で就任した。父の命令によって1705年にヴェネツィアに移ったが、ここでスカルラッティが何をしたかは伝わっていない。1709年からはローマに住み、同地に当時亡命していたポーランド王妃マリー・カジミールの音楽監督(maestro di cappella)の職を得た。また、サン・ピエトロ大聖堂のジュリア礼拝堂で働き、1714年末に音楽監督のトンマーゾ・バイが没すると、その後を引き継いだ。
スカルラッティとヘンデルは存命中から著名な存在になったために、1709年のローマでヘンデルとチェンバロおよびオルガンの腕前を競い合ったという逸話がいつのまにやら創作されるほどまでになった。ちなみにチェンバロの勝負は両者引き分けだったが、オルガンの勝負ではスカルラッティが先にヘンデルの演奏を聴いただけで自分の負けを認めたという。しかしこの逸話を証明できる資料は存在しない。
1714年にポルトガル大使のフォンテス侯爵と知り合ったことが機縁で、1719年ポルトガル王ジョアン5世はスカルラッティを王室礼拝堂の音楽監督に任命した。スカルラッティは1719年11月29日にリスボンに到着した。彼はまた王の兄弟であるドン・アフォンソおよびマリア・マグダレーナ・バルバラ王女に音楽を教えた。(後略)
(Wikiより)