2024年 07月 09日
ある風景:West side district@Yokohama Sta.#7 /fin |
過去画像から、横浜駅西口界隈の風景。その続きで今回が最後となる。
幸川を渡って戻って来て更に進むと相鉄線の横浜駅ビルに到達。こちらはSun 5番街と称し、ジョイナスとは違う雰囲気の商圏となる。こちらはそのエリアに入居するパチスロ店の入口で、その脇には中華料理屋の看板も見える。

サン5番街を進んで行くと相鉄の横浜駅ビルに入るが、こちらはその左側の通りの様子。非常に古い喫茶店で今でも営業を継続している横浜珈琲店の姿が写っている。たまに訪れるが昔ながらのブレンドコーヒーが美味しいお店だ。そして最後の絵がその脇の通路で、この先が相鉄の横浜駅、更に進んで地下に降りるとJR、そして東急、みなとみらい線の横浜駅となる。

7月9日は、レスピーギの生誕の日。
オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879年7月9日 – 1936年4月18日)は、イタリアの作曲家・音楽学者・指揮者。
生地ボローニャの音楽学校でバイオリンとビオラを修め,またG.マルトゥッチ〔1856-1909〕らに作曲を学ぶ。1900年ペテルブルグの帝室歌劇場でビオラ奏者となり,リムスキー・コルサコフに管弦楽法を師事。1913年ローマのサンタ・チェチーリア音楽院作曲科教授に就任,1924年―1926年の院長時代を含め生涯同音楽院で活動した。
《ローマの泉》(1916年),《ローマの松》(1924年),トスカニーニにより初演された《ローマの祭》(1928年)の交響詩三部作,ディアギレフの委嘱によるバレエ音楽《風変わりな店》(1919年,振付L.マシン)などの色彩豊かな管弦楽作品で名声を確立。20世紀前半のイタリアで最も国際的に知られる管弦楽作曲家となった。その後はイタリアの音楽遺産への関心を深め,バイオリンと弦楽オーケストラのための《グレゴリオ聖歌風協奏曲》(1921年),モンテベルディやフレスコバルディの音楽による編曲作品などを残した。ほかにオペラ,歌曲など。
(平凡社 百科事典マイペディアより)

Sun 5番街
幸川を渡って戻って来て更に進むと相鉄線の横浜駅ビルに到達。こちらはSun 5番街と称し、ジョイナスとは違う雰囲気の商圏となる。こちらはそのエリアに入居するパチスロ店の入口で、その脇には中華料理屋の看板も見える。


横浜珈琲店
サン5番街を進んで行くと相鉄の横浜駅ビルに入るが、こちらはその左側の通りの様子。非常に古い喫茶店で今でも営業を継続している横浜珈琲店の姿が写っている。たまに訪れるが昔ながらのブレンドコーヒーが美味しいお店だ。そして最後の絵がその脇の通路で、この先が相鉄の横浜駅、更に進んで地下に降りるとJR、そして東急、みなとみらい線の横浜駅となる。


クラシック版:今日は何の日?
7月9日は、レスピーギの生誕の日。
オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879年7月9日 – 1936年4月18日)は、イタリアの作曲家・音楽学者・指揮者。生地ボローニャの音楽学校でバイオリンとビオラを修め,またG.マルトゥッチ〔1856-1909〕らに作曲を学ぶ。1900年ペテルブルグの帝室歌劇場でビオラ奏者となり,リムスキー・コルサコフに管弦楽法を師事。1913年ローマのサンタ・チェチーリア音楽院作曲科教授に就任,1924年―1926年の院長時代を含め生涯同音楽院で活動した。
《ローマの泉》(1916年),《ローマの松》(1924年),トスカニーニにより初演された《ローマの祭》(1928年)の交響詩三部作,ディアギレフの委嘱によるバレエ音楽《風変わりな店》(1919年,振付L.マシン)などの色彩豊かな管弦楽作品で名声を確立。20世紀前半のイタリアで最も国際的に知られる管弦楽作曲家となった。その後はイタリアの音楽遺産への関心を深め,バイオリンと弦楽オーケストラのための《グレゴリオ聖歌風協奏曲》(1921年),モンテベルディやフレスコバルディの音楽による編曲作品などを残した。ほかにオペラ,歌曲など。
(平凡社 百科事典マイペディアより)
by primex64
| 2024-07-09 23:27
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