紬@六角橋 |
まずはビール
この日は計画年休。普段通りに朝食をとってから通常勤務の家内を送り出した。朝から雨が酷かったので家の中のことを色々としていた。ランチは雨の止み間を縫って近所のこちらまで。

肴一品
13時過ぎの到着。豪雨のせいか店内はがらがらだった。ビールの突き出しはいつのチャーシュー端材で、これを摘まみつつ赤星をくいっとやる。


エビ塩ラーメン+味玉+ライス
珍しい塩ラーメンをやるとの告知がXに出ていたのでこれにした。








ライス ▶鶏醤油雑炊
麺が終わったら、予定調和のこれ。




お店データ
紬 TSUMUGI横浜市神奈川区六角橋2-10-1
電話:不明
営業:11:00~15:00
18:00~21:00(火水金のみ)
定休:月曜(祝日の場合は営業、翌火曜休)
最寄:東急東横線 白楽8分、東白楽9分
クラシック版:今日は何の日?
6月28日はヨーゼフ・ヨアヒム生誕の日。
ヨーゼフ・ヨアヒム(ドイツ語: Joseph Joachim)、ヨアヒム・ヨージェフ(ハンガリー語: Joachim József, 1831年6月28日 - 1907年8月15日)は、ヴァイオリニスト・指揮者・作曲家。ブラームスのヴァイオリン協奏曲の初演ヴァイオリニストとして後世に名を残している。1831年6月28日、ポジョニやアイゼンシュタットにほど近いハンガリー王国領西部のキットゼー(マジャル語名ケプチェーニ)で生まれた。キットゼーはバッチャーニ=シュトラットマン家(Batthyány-Strattmann)の館のある地として知られ、現在はオーストリアのブルゲンラント州に属している。
1833年、ヨアヒムの一家はブダペストに移った。ヨーゼフは5歳になるとブダペストでヴァイオリンのレッスンを受け、続いてウィーンに渡りウィーン音楽院で修行した。1843年、12歳になるとライプツィヒに出向き、メンデルスゾーンに師事した。なお、ライプツィヒ音楽院の入学試験でヨアヒムが演奏した際の試験官は、学院長のメンデルスゾーンであった。同年8月、ゲヴァントハウスで、メンデルスゾーン、クララ・シューマンらと共演し、12歳のヨアヒムはライプツィヒの聴衆の知るところとなった。3年後、ヨアヒム15歳の時、メンデルスゾーンに伴われて初めてロンドンで演奏し、成功を収めたが、翌1847年11月4日にメンデルスゾーンは亡くなった。
1848年、17歳になったヨアヒムは、2年間ライプツィヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団に在籍した。その間、オーケストラのみならず、ゲヴァントハウス弦楽四重奏団で第2ヴァイオリンも担当した。(後略)
(Wikiより)
※ヨアヒムの純粋な独立作品は現在ではほとんど演奏されない。しかしながら、彼は名立たる作家のVnコン(ヴァイオリン協奏曲)のカデンツァを作っては自らの演奏に使用し、そのスケッチが後世の名ソリストたちの演奏にも頻繁に使われてからポピュラーになって現代にその名を残す。いわゆるヨアヒム版のカデンツァである。他にはブラームスのハンガリー舞曲のヨアヒム編曲版も有名だ。




