ある風景:China Town, Yokohama@May,2022 #5 |
爆竹
もの凄い音圧で炸裂する爆竹で、至近距離でまともに聞くと聴覚障害を起こすかもしれない。もちろん耳を塞いで終わりを待つ。黒色火薬が破裂した時の灰色の煙が辺りを覆い尽くす。
横浜関帝廟将軍会
詳しくは知らないが、この青い衣装を着たユーモラスな着ぐるみは子供の神様で、進寶童郎というのだそうだ。関羽の幼少期をデフォルメした姿なのかもしれない、と個人的には思った。
横浜天后宮将軍会
高下駄というか竹馬のようなものに乗った民族衣装で固めた武将の集団は迫力がある。なお、こちらは媽祖廟に属するグループのようだ。
クラシック版:今日は何の日?
7月11日は、ガーシュウィンの忌日。
ジョージ・ガーシュウィン(George Gershwin、1898年9月26日 - 1937年7月11日)は、アメリカの作曲家、ピアニスト。本名、ジェイコブ・ガーショヴィッツ(Jacob Gershowitz)。
ロシア系移民の子としてニューヨークに生まれ,10代になって初めてピアノにふれる。商業高校を中退後,音楽出版社のピアノ奏者兼宣伝係となり,仕事の合間に作曲にも手を染めた。1919年《スワニー》がアル・ジョルソンによって歌われて大ヒットとなり,初のミュージカル《ラ・ラ・ルシール》がブロードウェーの舞台にかかる。
1922年には,その題材と書法で《ポーギーとベス》の先駆をなす1幕オペラ《ブルー・マンデー・ブルース》を発表。1924年,P.ホワイトマンの委嘱でそのジャズ・バンドのために書かれた《ラプソディ・イン・ブルー》が大反響を呼び,翌1925年には《ピアノ協奏曲ヘ長調》を完成,クラシック音楽界でもその名を高めた。その後,ミュージカル《ストライク・アップ・ザ・バンド》(1927年),交響詩《パリのアメリカ人》(1928年)などを経て,黒人庶民を主人公にした画期的なオペラ《ポーギーとベス》(1935年)を発表。20世紀オペラの最高峰の一つとなったこの作品の誕生からわずか2年後,脳腫瘍のため38歳で死去した。
(平凡社 百科事典マイペディアより)(再掲)
※MusicArenaでは膨大な数の録音を取り上げているため、ほんの一部だけ紹介