ある風景:China Town, Yokohama@May,2022 #4 |
真美国際旗袍队
詳細は不案内なのだが、どうやらチャイナドレスの縫製や指導を行う専門店の一団のようだ。旗袍=チーパオ=チャイナドレスを意味するようで、队=隊だそうだ。我流で無理に意味を汲み取ると、真に美しい国際的に通用するチャイナドレスを着た隊列、ということだろうか。
横浜市立港中学校 吹奏楽部
元気な鼓笛隊というかブラスバンドの隊列がスタート。こちらは中華街の中にある横浜市立、つまり公立の学校で、JR石川町駅の北口(通称=中華街口)から至近の延平門をくぐった場所に位置する。
クラシック版:今日は何の日?
7月6日は、ロドリーゴの忌日、アシュケナージの誕生日。
※なお、以下のバイオグラフィーはロドリーゴについて。
ホアキン・ロドリーゴ・ビドレ(Joaquín Rodrigo Vidre スペイン語: [xoaˈkin roˈðɾiɣo], 1901年11月22日 - 1999年7月6日)は、スペインの作曲家。幼児期に失明したにもかかわらず、芸術家として大成した。数々の作品を通じてクラシック・ギターの普及に功があったとされ、とりわけ《アランフエス協奏曲》はスペイン近代音楽、ならびにギター協奏曲の嚆矢とみなされている。本人はピアニストであり、ギターは演奏しなかった。
スペインのバレンシア州のサグントに生まれる。3歳のころに悪性ジフテリアにかかり、視覚障害者となり視力を失う。8歳でピアノとヴァイオリンの学習を始める。地元バレンシアでフランシスコ・アンティチに、パリのエコール・ノルマル音楽院でポール・デュカスに作曲を師事。短期間スペインに帰国した後、パリに舞い戻って音楽学を初めモーリス・エマニュエルに、その後はアンドレ・ピロに師事。1924年に管弦楽曲《子どものための5つの小品》によりスペイン国家賞を授与される。1933年1月にバレンシアにてトルコ人ピアニストのビクトリア・カムヒと結婚し、一女のセシリア(1941年1月27日 - )を儲ける。1947年よりマドリード総合大学の哲学科・文学科の教授として音楽史を担当した。
代表作のアランフェス協奏曲は1939年にパリにおいて、クラシック・ギターの独奏と管弦楽のために作曲された。親しみやすい中間楽章の「アダージョ」は、20世紀のクラシック音楽としては最も有名な楽曲のひとつとなっており、マイルス・デイヴィスが1960年にLP「スケッチ・オブ・スペイン」の中核として取り上げるなど、様々な編曲によって広く知られている。この作品の成功は、20世紀におけるギター協奏曲の創作に先鞭をつけたとともに、その後のジェームズ・ゴールウェイやジュリアン・ロイド・ウェバーからロドリーゴへの協奏曲の依嘱につながることとなった。(後略)
(Wikiより)(再掲)