Getting started of the year 2022@Yokohama |
今年の雑煮
故郷の母親は体調が良くなくて今は療養施設に入っている。ここへ来て感染の再拡大ということで、接種証明や陰性証明があっても誰とも面会が謝絶ということに決まったそうだ。施設側のリスク対策としては適切であり、家族であろうが他人であろうが感染、特にクラスター発生には神経をとがらせるのが当然の措置だ。ということで、今年は十数年ぶりに横浜で年明けを迎えた。
急いで飾りつけなど
直前まで帰省を前提として動いていたため何もしていなかった。が、さすがにそれではいけないだろう。時間がなくて十分な準備は出来なかったが、一応、新年を迎えるという体裁だけは整えた格好だ。
元旦の風景 ほか
最強とも言われる年越し寒波が襲来し大晦日の夜から元旦の朝にかけてはとても冷え込んだ。朝起きたら雲一つない快晴だったが、吹き込む北風がとても冷たく体にこたえた。地元の八幡さまへお参りに行ったが長蛇の列で吹き荒ぶ寒風がやはりきつかった。因みに引いたおみくじは吉と出た。前述のとおり年越し蕎麦は期せずして木の芽でいただくことに。家でいただく準備はしていたが大晦日には使わなかった蕎麦を茹で、冷えた身体を温めた。
今日の一曲
ここ数年、現代ピアノで弾くバッハ作品というのはどういった位置付けで、どうしてこんなにも違和感があって、さりとてそんな違和感を伴いつつも現代ピアノを用いたそこそこ優れたバッハ演奏が出現するのであろうか? といったことをつらつらと考えてきた。勿論、世間的にはあのグレーン・グールドが残した足跡が大きくて、その後を追う企画が絶え間なく立ち上がるという背景もあるのであろうが・・。
(MusicArena 2011/11/14)