福臨門@六角橋 |
まずはノンアル・ビール
酒類提供停止のため、アサヒのドライゼロを2本頼む。

肴三品
写真の順に、青梗菜の炒めもの、鶏の軟骨のピリ辛炒め、福臨門特製焼き餃子。






排骨飯(パイコー飯)
ここまでの三品で割とお腹も良い具合だったのでこれを一皿オーダーしてシェアすることに。







お店データ

横浜市神奈川区斎藤分町3-6
電話:045-481-8883
営業:月~金:11:00~15:00、17:00~24:00
土日祝:11:00~24:00
※時短要請のため営業時間は要確認
定休:無休
最寄:東横線 白楽7分、東白楽8分
クラシック版:今日は何の日?
7月23日は、ドメニコ・スカルラッティの忌日。

ドメニコは有名な作曲家であるアレッサンドロ・スカルラッティの子として、ナポリに生まれた。10人兄弟の6番目の子だった。スカルラッティ家はバッハ家やクープラン家と同様の音楽家の一族だった。
1701年にナポリの教会付き作曲家兼オルガン奏者に15歳で就任した。父の命令によって1705年にヴェネツィアに移ったが、ここでスカルラッティが何をしたかは伝わっていない。1709年からはローマに住み、同地に当時亡命していたポーランド王妃マリー・カジミールの音楽監督(maestro di cappella)の職を得た。また、サン・ピエトロ大聖堂のジュリア礼拝堂で働き、1714年末に音楽監督のトンマーゾ・バイが没すると、その後を引き継いだ。
スカルラッティとヘンデルは存命中から著名な存在になったために、1709年のローマでヘンデルとチェンバロおよびオルガンの腕前を競い合ったという逸話がいつのまにやら創作されるほどまでになった。ちなみにチェンバロの勝負は両者引き分けだったが、オルガンの勝負ではスカルラッティが先にヘンデルの演奏を聴いただけで自分の負けを認めたという。しかしこの逸話を証明できる資料は存在しない。
1714年にポルトガル大使のフォンテス侯爵と知り合ったことが機縁で、1719年ポルトガル王ジョアン5世はスカルラッティを王室礼拝堂の音楽監督に任命した。スカルラッティは1719年11月29日にリスボンに到着した。彼はまた王の兄弟であるドン・アフォンソおよびマリア・マグダレーナ・バルバラ王女に音楽を教えた。(後略)
(Wikiより)

