ショパン ピアノコンサート@古畑祥子 |
古畑さんから秋に日本ツアーをやるよ、との知らせがFB経由で届いたのは年明け暫く経った頃だった。その時は、その後に日本国内が、そして世界がこんなふうな情勢になろうとは思いもよらなかった。春になって夏が過ぎ、その間に色々と多難なことがあったが、今回の日本ツアーがなんとか挙行できる運びとなったということで胸を撫でおろした。
そういえば、このごろの私たちは様々なことがあって、あまり余裕がなく過ごしている感じだ。息を抜けるのは週末のランチくらいだったし、私はCD一枚すら通しで聴くゆとりもない日常を過ごしている。
なので、私も家内も久し振りに心にアロワンスをもたらす時間が持てたことをとても幸せに感じた。
会社帰りに私は品川区から、家内は港区の職場からアークヒルズまで行くのだが、実は公共交通機関を使って行く方法をよく知らないということにはたと気付いた。以前は勤務する赤坂・六本木近傍のオフィスからタクシーを拾って直行していたためだ。今回、電車を使ってサントリーに向かうのは初めてだった。スマホで最寄り駅、道順などを調べ、途中で家内と落ち合って無事に到着。開演のずっと前だったがホールの入り口には長い行列ができていた。
このご時世、ソーシャル・ディスタンスを確保するため行列の間隔は広げ、入り口では検温と手指消毒の実施、またチケットの捥ぎり、プログラム配布は接触を避けるために係員は一切行わず客がセルフでやるということで酷く時間がかかるのだ。
Chopin:
Nocturne KK.IVa No.16 C♯ minor
Nocturne Op.27 No.2 D♭ major
Nocturne Op.48 No.1 C minor
Impromptu Op.66 C# min(posth.) " Fantaisie-Impromptu"
Scherzo No.2 B minor Op.31
- Interval -
Chopin:
Étude Op.25, No.7 C♯ minor
Étude Op.10, No.3 E major
Étude Op.10, No.4 C♯ minor
Étude Op.10, No.12 C minor
Waltz Op.posth.69 No.2 B minor
Waltz Op.64 No.2 C# minor
Polonaise No.6 Op.53 A♭ major
Encore:
Debussy: Suite bergamasque, L.75 3. Clair de lune
Beethoven: Rondo a capriccio "Die Wut über den verlornen Groschen" G major Op.129
Sachiko Furuhata-Kersting(Pf)
ドビュッシー: ベルガマスク組曲 第3曲: 月の光
ベートーヴェン: ロンド・ア・カプリッチョ「失われた小銭への怒り」Op.129ト長調
古畑祥子(ピアノ)
Sachiko Furuhata-Kerstingについて
古畑さん=Sachiko Furuhata-Kersting=の生演奏を聴くのは馬車道のリサイタル以来、約2年ぶりだった。
今回の古畑さんのオール・ショパン・プログラムはとても洗練された選曲と序列。下記リンクの馬車道でのリサイタル、更に以前の松尾ホールでのリサイタルにおけるショパンの曲たちが萌芽となって組まれているようで、どちらかというと陰翳の濃い目の曲を中心に選んだという印象。馬車道のリサイタルの様子は以下のリンクからご覧いただける。なお、ここを辿ると過去作品や彼女のバイオグラフィーを簡単に書いたページもあるので是非とも参照されたい。
全曲に詳細コメントしたいが、切りがないので以下、要点だけ記す。
ノクターン3題、幻想即興曲、スケルツォ#2
遺作ノクターンは馬車道で聴いて以来、二度目。
基本的な演奏設計はその時と変わらない。つまり冒頭はインテンポよりも遅い滑り出し。そして中間部ではテンペラメントが発露し、アチェレランドを効かせながら変奏部を駆け抜ける。従前よりも規模感というかダイナミックレンジ的には飛躍的な拡大を遂げていて、特に後半からコーダに向けての馬力と微小領域の鬩ぎ合い、そしてそれらのバランスが素晴らしい。
幻想即興曲は6年ほど前に日比谷の松尾ホールで聴いて以来だが、今回はその正常進化系であり、奇を衒わず敢えてエナジー感をちょっと削いだ朗々たる解釈で実に大きな構図。スタインウェイはかく鳴らすべしといった模範的な弾き方だが、やはり古畑さんのベースの技巧は生きていて、最前列で聴いていたにも拘らずフィンガーノイズが全く聴こえないくらい静謐なタッチ。中間部からフィナーレに向かう展開部では高速スケール、煩瑣な分散和音に伴奏部の激しいオクターブユニゾンが挟まったりと出し入れが苛烈だが、技巧に走らない基本的な譜読みと思った。
スケルツォ2番は圧巻で、言葉にならない。この冒頭も例によってサチコ・ワールド。スローで入る冒頭のドゥル・ドゥルル・・の響きが余りにリアルに不気味、その後の主題提示もゆっくりなので何が始まるのであろうという期待感と不可思議な予感に苛まれる。そして本来は炸裂する展開部も抑制気味、で、中間部からコーダに向けての集中力と徐々に漲るパワーが凄まじい。たじろぎもせず聴き入り、ブラボーを叫びたかったがこの情勢下なので強い拍手をおくった。
エチュード4題、ワルツ2題、英雄ポロネーズ
エチュードの2作品・全24曲は個人的には好きな作品ばかりで、今回はOp.25から#7、残りはOp.10から3曲を並べている。冒頭のOp.25 #7はアンニュイで温度感が低く、ショパンの当時の暗めのインサイトをうまく表している解釈の難しい曲。古畑さんは馬車道の時の演奏よりも更に深く噛み締めるよう静謐かつ大胆に弾き進める。
次が超有名なOp.10 #3、俗にいう別れの曲。これまたサチコ節が全開で、冒頭は超スローテンポ、ペダル少な目のノンレガート基調。しかし中間部でのテンペラメントが発露する場面ではアチェレランドを効かせてインテンポより速めに進行、譜面上は和声が破綻する上下動スケールは超高速。だが再現部はリタルダンドして一気に緩解、ノンレガートに戻り、曲は静かに閉じる。
地味だが今回私が最も好感したのがOp.10 #4、俗称はTorrent。これは、急流とか激流といった意味。
小学校高学年の頃、この曲が上手く弾けなくて苦悶したことが脳裏に蘇った。これは急峻に激しく上下動するクロマティック・スケールのための高難度練習曲。片手練習を丹念にやればいずれは弾けるようになるし、ノーミスで通せるようになった達成感も相応に得られる。しかし問題は弾き方だ。当時まだ未熟でこの曲の良さ、作家が籠めた情景といった曲想がまるで理解できていなかった。なので何を訴求すべきなのか、どう表現すべきなのかが全く分からず、従って弾いていて全然楽しくなかった。古畑さんの精緻で温度感の低い演奏を聴きながら、この曲は超絶技巧のための作品ではなかったのだと改めて感じた。
エチュードの最後は革命。馬車道で聴いた時と基本構造は同じでインテンポより遅めの入りで世間一般の演奏よりは温度感は低いが、やはり噛み締めるような歩の進め方。普通の演奏では聴き取りにくい内声部に着眼した解釈、そして飛翔感の強い独創的な弾き方で、聴く者の魂を強く揺さぶる。
古畑さんのワルツは初めて聴く。二つとも有名で陰翳の濃い作品。これまでと異なりインテンポで普遍的な演奏設計、とてもナチュラルで耳触りが非常に柔らかくて優美。特にOp64 #2の主題部はアンニュイかつ夢のように儚く美しい。途中に挟まるスタッカートが極短めのパウゼとともにとても可愛らしい。
プログラム最後は英雄ポロネーズ。世間的にはとかく急いだ演奏が主流のようだが、古畑さんの演奏は例によって動機の前奏部からスローで、丁寧に言い含めるように訥々と、そして朗々と太く語り掛けて来る。そして主題提示。やはりノンレガートというかマルカート基調で旋律は明確、相当な強打なのだが耳障りなノイズや破綻は一切なく、鍵盤に指が貼り付いたような精密なトレース。但し最前列で聴いていたため凄まじい音圧レベルの洗礼を受け続けた。特徴的なのはE majに転調する中間部のトリオ主題。古畑さんの演奏はここを高速で弾き抜ける設計で、とにかく強い疾駆感を伴う超高速スケール、出口あたりで現れる煩瑣で執拗なオクターブユニゾンが凄まじい迫力だ。再現部は元のテンポに戻りコーダへ向けて更にエナジーを増幅させて行き、大団円を迎えるころには完全にトランス状態に入ってしまった。
アンコール
一転してドビュッシー。ベルガマスク組曲から月の光。重量級のショパン作品の音圧レベルで亢進して火照った聴覚をクールダウン、癒してくれる優しい響きだ。夜風に当たっているようでとても心地よい。
2曲目は実は聴いたことがなく誰の何という作品なのか分からず、帰路の電車の中からFBで古畑さんに尋ねた。アンコール・ピースとしてはわりと使われる作品のようで、彼女曰く、よりによってベートヴェン・イヤーである今年がこんな状況で台無しになり、痛烈なアイロニーを籠めてこれを選択したんだそうだ。
つまり、昨今のコロナ禍でどの業態も大変なのだが、音楽家・演奏家も同様で、要するにお金が入ってこないのだ。ということで、ベートーヴェン自身もお道化て書いたような諧謔、ウィットに富んだ一曲を渾身で弾き切った。
とても有意義で楽しませていただいた古畑さんのリサイタルだった。彼女は世界でも一流の演奏家であるのはもちろんだが、厳然たる日本人であるのも事実。しかしながら、彼女の提示する音楽と演奏様式はやはり大陸というか欧州の出自であり、その剛健にして太い解釈、明晰で毅然とした語法はドイツのピアニストなんだと認識させられるに余りあるものがあった。
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