Hilary Hahn plays Bach |

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Hilary Hahn plays Bach
J.S.Bach:
Sonata for solo violin No.1 in G minor, BWV1001
1. Adagio
2. Fuga (Allegro)
3. Siciliana
4. Presto
Partita for solo violin No.1 in B minor, BWV1002
1. Allemande
2. Double
3. Courante
4. Double (Presto)
5. Sarabande
6. Double
7. Tempo di Bourreé
8. Double
Sonata for solo violin No.2 in A minor, BWV1003
1. Grave
2. Fuga
3. Andante
4. Allegro
Hilary Hahn (Vn)
J.S.バッハ:
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ第1番ト短調 BWV1001
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第1番ロ短調 BWV1002
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタ 第2番イ短調 BWV1003
ヒラリー・ハーン(ヴァイオリン)
このアルバムについて
バッハは弦楽器やその他の独奏楽器のための無伴奏をいくつも書いているが、現在ではこのVnソナタとパルティータが非常に著名でありVnソリストの登竜門、あるいはある種のベンチマークとなっている感は否めない。現在ではバッハの無伴奏、そしてイザイの無伴奏は双璧だと思う。なお、個人的にはこのバッハの無伴奏Vnは生のリサイタルを含めて数多く聴いてきていて、MusicArenaでもお馴染みの主要ソリストたちの演奏はほぼ網羅してきている。

手許には当の古びたソニー盤があるし、もちろん聴いているのだが、なぜか評を書いていない。それもそのはず、リリースは1997年であり、MusicArenaを書き始める10年ほど前だった。ということで、今回の前半抜粋=ソナタ#1,#2とパルティータ#1を以てレーベルを跨いでの全曲録音が20年の歳月を経て完成したという構図だ。なお、アルバム・タイトルをデビュー盤と全く同じHilary Hahn plays Bachとしているのもソニー・クラシカルへの小粋な配慮と思われる。
ヒラリーの録音は今まであまり聴いていないが、以下の盤を取り上げている。






ソナタ#1
冒頭アダージオは堂々たる入り。とても重厚なクワッドストップ(4重音)をシュアに奏でて行く。続いて著名なフーガの歩調はしっかりしていて音価の際立たせ方が明晰。主旋律と内声部が複雑に絡みながらバラバラに進行する難曲中の難曲。音数が多いためデュオかと錯覚するような箇所も多数ある。だが、脂ののった彼女は事も無げに弾き切る。緩徐なシチリアーノはヒラリーが長年に渡り醸成してきたヴィブラートの妙味が味わえる。ここはロマン派的な解釈。最終楽章はプレストで、急峻な上昇と下降を繰り返す。ダブルストップはないが付点と離散的な分散和音によるアチェレランド、リタルダンドの交錯は目まぐるしく難曲だ。彼女の技巧面での安定性を再確認させられた。
パルティータ#1
このパルティータは大きくは楽章が4つあるが、それぞれの末尾にDouble(ドゥーブル:変奏部)を付加しているので外形的には全8楽章形式。冒頭アルマンドは緩徐で瞑想的な主旋律が特徴。そこにダブル、トリプルストップで挿入される対旋律が美しい。振幅が浅目のヴィブラートを効かせてVnを縦横に歌わせている。そのドゥーブルだが、割と短めの音価の一つ一つを周波の短いヴィブラートで弾いている。技巧的には大変で微妙なコントトールを要するであろうが、そこまでヴィブラートに拘る必要があったのかという疑問は残る。バロック様式を踏まえたノンヴィブラートで通せば寧ろ透明度が上がって良いと思うのだが。
続くクーラントの本編も短めの上下する単音スケールで構成されるが、ここでも短周波のヴィブラートで装飾しているが、その効果のほどはどうかと思う。ここのドゥーブルはプレスト指定ということで音価が極めて短いのでヴィブラートをかけるのは無理。で、当然にノンヴィブで弾いているがこの方が素直で音が延びて気持ち良い。次のサラバンドは穏健なピッチで音価が相当程度長く、ダブル、トリプルストップを多用、かつ周波の長いヴィブラートを深めの振幅で掛けている。主部またドゥーブルでの情感表出はヴィブラートとの相性は良く、穏当な解釈と思う。最終楽章のブーレは、主旋律の長めの音価にはヴィブラート、短めの音価はノンヴィブと切り分けているようで、ここはこの棲み分けが全体の透明性を上げるのに成功していると思う。っこのドゥーブルはクーラントと同じくらいの長さの単旋律・音価で構成されるが、ノンヴィブで通していて、ユニゾンで響き合う音と上下レゾナントが綺麗に空間で合成、放散される。ここは非常に良い。
ソナタ#2
冒頭グラーヴェは重厚かつ求道的な旋律、和声。ダブルストップが多用されるが、短い音価と長い音価とでのヴィブラートの効かせ具合を変えていて、それが奏功してか情感に訴える部分と瞑想的な部分とをじょうずに重畳してる。次の重厚なフーガは、その主題をグレゴリオ聖歌=Komm, Gott Schöpfer, heiliger Geist(来たり給へ、創造主たる聖霊よ)からとっていてとても瞑想的。ノンヴィブでのダブル、トリプルストップがパワフルで引き込まれる熱演。3楽章は穏当なアンダンテ。弱音をほぼノンヴィブで静謐にトレースしていくが、フォルテでは極浅目のヴィブラートを使う。最終楽章は有名なアレグロで、ここもまた求道的な、煩瑣で速めの上昇あるいは下降スケールによる複雑なパッセージが連続、技巧的にはなかなか困難。混濁を抑えつつも力感を維持した堂々たる出来栄えだ。
まとめ
ヒラリーのソニーからのデビュー盤では、多少の生硬さもありながらも伸び伸びとした爽やかな弾きっぷり、また直進性の強い素直な解釈が印象的だった。が、しかし20年ほど経った現在のヒラリーによるバッハ無伴奏は、より複雑かつ円熟味の増した技巧および解釈に変貌していることが如実に分かるのだ。言われなければ同一ソリストによる演奏とは分からないであろう。
この盤に限らず、またVn独奏に限らず当て嵌まる話しなのだが、バッハなどのバロック期の譜面をモダン楽器で弾くこと、また、古典派あるいはロマン派以降の技法をどこまで取り入れるべきかの是非は常にあって、いわゆるオリジナル主義、またはピリオド奏法と言われる演奏様式に関する議論には終わりがない。例えば、2段鍵盤クラヴィーアのために書かれたゴルトベルクなどを1段鍵盤の現代ピアノで弾く困難さ、強弱の付かない楽器用に書かれた譜面にデュナーミクを多用することの適否、そして、この盤でも聴かれたように古楽にはヴィブラートがどの程度まで許容されるのか、といった議論は絶えずある。以下、今まで取り上げて来た主要ソリストたちは、半数以上がノンヴィブ基調を選択しているようだが・・。











録音評
DECCA 4833954、通常CD。録音は2017年6月、ベニューはRichard B.Fisher Center for the Performing Arts at Bard College(アメリカ/ニューヨーク州アナンデール・オン・ハドソン)とある。このホールは非常に独創的かつ前衛的な外観を持っている(=画像検索でご覧あれ)。音調はニュートラルでデッカらしい穏当な仕上がり。音像は中庸の大きさで中央やや後ろにきちんと結像する。サウンドステージはさほど広くは感じられないがアンビエントが豊かで美しく、残響時間は短か目だけれどもナチュラルに減衰し、音粒が空間にすっと溶け込んでいく。独奏Vnの収録としては模範的な出来栄えと言える。このホールの音響特性はとても優秀とみた。
この盤のプロモーション・ビデオがアップされていた。例によりリンク切れまで貼っておく。
いくつかあって、こちらはソナタ#1の4楽章プレスト。これは本文にも書いたが急峻で難しい作品。こっちの方が白眉か。

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