Schubert: P-Sonata#21,D960 Etc@Marc-André Hamelin |
https://tower.jp/item/4688916
Schubert:
Piano Sonata No.21 in B flat major, D960
Ⅰ. Molto Moderato
Ⅱ. Andante Sostenuto
Ⅲ. Scherzo: Allegro Vivace Con Delicatezza; Trio; Scherzo
Ⅳ. Allegro Ma Non Troppo; Presto
4 Impromptus, Op.142, D935
No.1 in F Minor: Allegro Moderato
No.2 in A Flat: Allegretto
No.3 in B Flat: Andante
No.4 in F Minor: Allegro Scherzando
Marc-André Hamelin (Pf)
シューベルト:
ピアノ・ソナタ第21番変ロ長調 D960
4つの即興曲 D935, Op.142
マルク=アンドレ・アムラン(ピアノ)
マルク=アンドレ・アムランについて
フランス系カナダ人でのマルク=アンドレ・アムランは一部ではかなり有名な超絶技巧、そしてヴィルトゥオーゾとして認められている中堅ピアニスト。そしてコアで熱狂的な支持者がいることでも知られているようだが、今まで縁がなく一度も聴いたことがなかった。以下、日本カナダ学会のWebに経歴が載っていたので拝借する。
アムラン,マルク=アンドレ(Hamelin, Marc-Andre 1961- )*
超絶技巧で知られるケベック州出身のピアニスト。1961年9月5日、モントリオール生まれ。同地のヴァンサン・ダンディ音楽学校、フィラデルフィアのテンプル大学に学ぶ。1985年、カーネギー・ホール国際アメリカ音楽コンクール優勝。古今の超難曲や忘れられた作曲家の作品ばかりを演奏・録音し、技巧的に困難をほとんど感じさせない逸材として知られてきたが、1994年の英ハイペリオンとの録音契約以降、有名曲も積極的に取り上げている。作曲も行う。1997年初来日。2003年、カナダ勲章オフィサー。翌年、ケベック勲章シュヴァリエを受章。特にアルカン、ゴドフスキー、メトネルなどを得意とする。
* Marc-André(マルク=アンドレは)はアンシェヌマンするため、実際の発音は「マルカンドレ」に近いものとなる。
ピアノソナタ 変ロ長調 D960
このアルバムはシューベルトが最晩年に書いたクラヴィーア曲から成っている。このPソナタは逝去の2か月前に書き上げた鍵盤用としては遺作といってよい作品で、しかも超大作だ。1828年は年初から彼の病状(=疾病等の詳細は不明で諸説ある)はかなり酷い状況だったそうだ。それにも拘らず旺盛な創作意欲は衰えず、寧ろ余命の短さを悟ったためか加速に向かっていた感があった。そして9月=奇跡の月間=にこの曲を含めたPソナタを三つ(D958、D959、そしてこのD960)、不世出の弦楽五重奏曲D956と、器楽音楽界に冠たる作品を見事に書き上げている。
1楽章はのっけから長い。20分以上あって普通のソナタなら3~4楽章分に相当。純朴で懐かしく暖かい主題だが、時折訪れる左手の低音弦によるトリルが今後の彼に待ち受ける境遇を暗雲のように象徴しているかのよう。シューベルトの明の部分は半分、しかし憂鬱なインサイトの暗が半分といったところ。変奏と展開とが延々と繰り返されるこの1楽章は大概は飽きてしまうが、アムランの技巧と情感とによって一気に引き込まれたまま最後まで聴かされてしまう。世での評価はなるほどと頷いてしまう。
2楽章はアンダンテ・ソステヌート指定で、ここは緩徐楽章と言ってよい。暗部が一気に拡大。だが、そこはシューベルトで、明転すると持ち前の綺麗な旋律がさらさらと出て来る。アムランの周到なキータッチは目を瞠る美しさ。男性なのに女流ばりの繊細さも発揮。こういった多面的かつ隙の無いところがアムランのファンが虜になっている所以なのだろうか。
3楽章はスケルツォ。諧謔で駆け抜けるヴィヴァーチェはとても健康的で、書いている本人が病んでいるとはとても思われない飛び切り明媚なパッセージが続く。中間部にはちょっとだけ暗転する箇所があるがすぐに明転。ここでもアムランの技巧がさりげなく披歴されている。普通に聴いていると分からないが実は凄いテクニシャンだ。本人も技巧をひけらかしたくはなく音楽性で勝負したいと述べているようだが、まさにそれを体現したような気持ちの良い楽章。
終楽章の出だしはアレグロ指定、アンニュイのひとことだが、ある種勇壮だ。主題のリフレインが殆ど現れない簡潔な短いソナタ形式。途中は明転して高速パッセージを衒いなく展開。中間部にはやるせない暗転部が挟まるが長くはなく再び光を取り戻す。コーダは主題を凝縮して加速させたプレストで一気に締める。ここもそうなのだが、アムランの技巧は実は凄いものがあって、しかしあっけらかんと弾き抜け、それを殊更に誇示することはないのだ。
4つの即興曲 D935
これはシューベルト逝去の前年つまり、1827年に書いたとされる4つの連作集だ。後に最晩年作品の4曲を献呈されたシューマンは、この即興曲をソナタだと言い出したことがあったが、各種の学説ではそれは否定されている。確かに各曲の内部構造はソナタ形式に準じている風に見える。
事実、1曲目は簡易なソナタ形式を呈している。この第1曲も変奏とリフレインが多くて長いのだ。それでもアムランの集中力と抑揚の強さ、マイクロスコピックな丹念な描き込みが凄くて引き込まれ、最後まで聴いてしまう。
第2曲。とても優しく、そして素朴な旋律はどこか土の香りがする。シューベルトのほのぼのとした内面と人柄がよく表れている気がする。が、やはり中間部の変容は死に近づいている不安と諦念とが感じられるのは気のせいだろうか。アムランの瞑想的なキータッチは作品との霊的な対話を楽しむがごとくとても親密なもの。ほっこりする。と同時に芯の強い決然としたパッセージも垣間見られ、流石に聴かされるものがある。
第3曲は著名なロザムンデ=弦楽四重奏曲D804のピアノ用独奏譜面への編曲版と言ってよい。巧みな分散和音、またオクターブユニゾン、また変拍子に感じられる3連符、シンコペーション的な韻を鏤めた流麗な変奏はシューベルトならではのものがある。やはり、彼の生涯においてはロザムンデは特別だったんだろうと思う。アムランの演奏は川が上流から下流へ一気につかえなく流れるがごとく軽やかで抵抗がない。アップテンポを維持しつつも内面の描き込みも微細で丁寧、荒れは全くなく、かつ情感表現のダイナミックレンジも極めて広い。完璧だ。
録音評
Hyperion(ハイペリオン)CDA68213、通常CD。録音は2017年5月12~14日、ベニューはワイアストン・エステート(モンマス=英国ウェールズ)のコンサート・ホールとある。ハイペリオンはよく録音ベニューとして使用している場所のようだが今回初めて耳にした。透徹された硬質なサウンドだが、残響は割と長めで感じは良い。定位は真ん中にびしっと決まり、ちょっと小さめなスタインウェイの音像がステージ中央奥側にホログラフィックに出現する。アムランのキータッチの綺麗さもあるが調律が絶妙でとても綺麗、かつ質量感のない純音が響き渡る。この混変調のない綺麗さは同じハイペリオンでいえばヒューイットが駆るファツィオリに匹敵する。そういえば彼女もアムランと同じカナダ出自だ。勿論たまたまだが。
人気ブログランキング
♪ よい音楽を聴きましょう ♫