バガボンド@新宿 |
まずは生ビール
事前に断っておくが、今回の店は風変わりなバーで照明が異様に暗く相手の表情も確認できないほどで、カメラのシャッター速度は1/6~1/3秒と手持ち撮影の限界を超えた低い照度。とても酷い写真となったが恥を忍んで敢えて掲載する。というのはこの店は再訪シリーズの最たるもので実は35年ほど前に足繁く通っていた。ここが存続していることを知り敢えて訪れたのだ。
プロローグ
東京における私のサラリーマン生活は西新宿でスタートした。当時の新宿は既に大きな街だったが今ほどの過密さはなくて開放的、人も少なく活き活きとしていた。
それは淀橋浄水場跡に高層ビル群が建ち始めた頃、つまり皮切りが京王プラザホテルで、次いで野村や安田火災、三井、住友三角ビル、新宿センタービルなどが次々と産声を上げた直後の時代だった。
私が最初に勤めたのは青梅街道を西に進んだ鳴子坂にあるソフトハウス。今で言うIT業界の一角に位置する零細企業だった。新宿西口からは徒歩で15分ちょっとかかる不便なオフィスで、毎日の帰り道には魅惑的な飲み屋が数軒あった。今ではもっと誘惑は多いだろうが当時の西口、特に小田急ハルクの裏はまだまだ昭和の匂いのする擦れた店が割拠する区域だった。
ある人との出会い
そのずっと後、この周辺では新宿エルタワーなど第二次再開発が行われ、それと同時に古い店が一掃された。ここバガボンドはそのソフトハウス時代に仲良くしていた先輩が見つけてきた店で、残業後の仕事帰りに毎晩のように寄っては酒を飲みながら色々なことを話し込んでいたアジトの様な場所だった。因みに私は勤務先での新卒に相当する新人、彼は転職組、つまりキャリア採用の即戦力エンジニアだった。
彼はITエンジニアとして非常に優秀だったが、それ以外にも多彩な才能、そして一風変わった性格の持ち主であり、本当は小説家を目指す文筆の人でもあった。
書き物で生業が立てば勤め人は辞めてもいいといつも言っていたし、事実色んな出版社の新人賞候補の原稿募集に応募しては最終選考の手前まで進むなど執筆能力の極めて高い、そして言語能力に秀でた人物だったのだ。
その当時、さまざまな開発案件に絡んで出入りしていた多くの顧客をあてとし、彼は独立・起業しようという願望・構想を持っていた。ありがたいことに、システム技術基盤に係る共同創業者の候補として私に声を掛けてくれていたのだ。しかし、私はこの頃には近いうちでの結婚を予定しており、将来的な経済基礎を慮るとその話には素直には乗れなかった。
彼のフィアンセ、そして私のフィアンセを交えて何度も話しをしたが、私は守りに入ってしまった。結局、私は当時のソフトハウスに見切りをつけ、別口から誘いのあった外資系生命保険会社のシステム部門の立ち上げに参画することにした。彼は何かに従属しようとする私の保守的な姿勢に批判的、そして落胆もしたが、それでもその後何度も彼とこの店で会っていた。
最後まで私たちは互いの考え方に妥協点を見出すことはできなかった。私は新会社のシステム立ち上げで超多忙を極め、彼らとは次第に疎遠になっていった。だが、四半期に一度程度は四人でこの店で会い、当時から名物であった肉豆腐をあてに酒を酌み交わしたものだ。彼は彼女と結婚したが独立起業することは叶わず、高給を求めて会社を渡り歩いたらしい。
突然の別離
彼の奥さんはその後、ある生命保険会社に転職し、安定的な職位と給与を得た。一方、その後の彼は皮肉なことに正規雇用を離れ一匹狼的な仕事をするようになり、どうやら収入も待遇も安定はしていなかったようだった。決定的な関係悪化、あるいは別離があったわけではないが我々と彼らとの距離は徐々に遠くなり、時候の挨拶状を除き、交流はほぼ途絶えた。
六年前、彼の奥さんの差出人名で自宅に大きめの封筒の宅配便が届いた。荷を解いて中を確認すると立派なハードカバーの単行本が一冊入っていた。表紙にある著者名は彼の本名だ。扉の中に小さなメモ紙が挟まっている。すっと取り出すと奥さんの手書きの筆跡が確認できた。1年ほど前、彼は、九州に当時間借りしていた住居で逝去した、と書いてあった。
えっ? そこに書いてあることが理解できない、いや、受け入れられないと私の大脳が拒否しているのだ。なんで? どうして? いや、もう意味不明だ。彼の存在は私の中では永遠不滅で、色んな助言を常にくれるすごくあてになる人、いや、それを越えた人生の羅針盤のような人だったので、一瞬俄かには認めたくなかったんだろうと思う。
エピローグ
メモには、我々が会わなくなった後に彼はアルコール依存となり、結局それが元で肝臓疾患を発症し、遂には社会生活が営めなくなったこと、病院付属の専用施設で療養を始めたこと、彼女はそんな彼を介護しつつも相変わらず生保会社で働いていること、不案内で知己もいない九州の田舎で逝去したため故郷の東北へ移送し近親者で葬儀をあげたことなどが記されていた。
更にその後、東京へ戻った彼女は彼が書き溜めていた原稿を整理し、出版社に持ち込み自費出版でこの本を作ったことが書き綴ってあった。彼女は彼がこの世に生を受けて確かに存在していたということを書籍の形態で足跡として残しておきたかったのだろう。その本の題名は沈黙の声と歩くで、出版された日は6年前のちょうどこの日であったことを後に知る。彼の唯一の著作が没後この世に出た記念すべき日にバガボンドに来ることができたのは天にいる彼の引き寄せだったのだろうか。
お店データ
バガボンド VAGABOND
東京都新宿区西新宿1-4-20
電話:03-3348-9109
営業:17:00~23:30
定休:無休
最寄:各線 新宿(西口最寄出口から1分)
今日の一曲
昨今は全く買わなくなったコンピレーション、いわゆる名曲集からサラサーテのツィゴイネルワイゼン Op.20。このアルバムは息が長く、持っている人も多いのではないか。クラシックに不案内な人を自宅に招いてオーディオのオフ会をやる時には大概これを最初にかける。Vnはアンネ=ゾフィー・ムター、バックはジェイムズ・レヴァイン指揮ウィーン・フィル。今でこそ老獪な巨匠の風格が漂うムターだが、この頃の演奏はヴィヴィッドで爽やかだ。
(MusicArena 2006/6/8)
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