Dvořák: Stabat Mater@Jiří Bělohlávek/Czech PO.,Prague P.Choir |

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Dvořák: Stabat Mater, Op.58
1. Stabat mater dolorosa
2. Quis est homo, qui non fleret
3. Eia mater, fons amoris
4. Fac ut ardeat cor meum
5. Tui nati vulnerati
6. Fac me vere tecum flere
7. Virgo virginum praeclara
8. Fac ut portem Christi mortem
9. Inflammatus et accensus
10. Quando corpus morietur
Eri Nakamura (soprano), Elisabeth Kulman (contralto),
Michael Spyres (tenor), Jongmin Park (bass)
Czech Philharmonic Orchestra, Prague Philharmonic Choir, Jiří Bělohlávek
ドヴォルザーク: スターバト・マーテル 作品58 B.71
1. 悲しみに沈める聖母は
2. 誰が涙を流さぬものがあろうか
3. いざ、愛の泉である聖母よ
4. わが心をして
5. わがためにかく傷つけられ
6. 我にも汝とともに涙を流させ
7. 処女のうちもっとも輝ける処女
8. キリストの死に思いを巡らし
9. 焼かれ、焚かれるとはいえ
10. 肉体は死して朽ち果てるとも
中村恵理(ソプラノ)、エリザベス・クールマン(メッゾ・ソプラノ)、
マイケル・スパイアーズ(テナー)、パク・ジョンミン(バス)
プラハ・フィルハーモニー合唱団、
チェコ・フィルハーモニー管弦楽団
イルジー・ビエロフラーヴェク(指揮)
スターバト・マーテルについて
以下はユニバーサルの販促用解説で、良くまとまっている。
チェコ音楽を完璧に手中に収めた奏者達による、涙なくしては聴けぬ傑作
チェコの巨匠指揮者ビエロフラーヴェクと、2012年以降首席指揮者として率いているチェコ・フィルハーモニックによる、ドヴォルザーク作品集の新盤。演奏に登場する4人の歌手のうち、ソプラノは日本人の中村恵理が登場。彼女はバイエルン国立歌劇場の専属歌手を務めるなど、世界の名だたるオペラハウスで活躍する期待の歌手で、2017年4月の新国立劇場「フィガロの結婚」にはスザンナ役で出演します。『スターバト・マーテル』は近代チェコにおける最初のオラトリオの名作で,彼が愛児を次々と失ってしまった不幸の時期に書かれました。1875年9月、長女ヨゼファを生後2日で亡くすという不幸に見舞われました。そして翌年頭に大規模な編成による『スターバト・マーテル』のスケッチを始めます。しかし不幸は再び訪れ、1877年次女と長男亡くしてしまいます。作曲中の「交響的変奏曲」を仕上げるとすぐさま『スターバト・マーテル』のオーケストレーションに取り組み、11月13日に完成させました。
チェコのプラハ生まれのイルジー・ビエロフラーヴェク、プラハ・フィルハーモニー合唱団, チェコ・フィルハーモニー管弦楽団という、チェコ音楽を完璧に手中に収めた布陣を起用したこの演奏は、「ビエロフラーヴェクの復帰により、彼らにしか成し得ない、限りない抒情性とチェコの憂鬱を浮き彫りにした名演」と絶賛されています。彼自身も「美しさと深い精神的なメッセージを徹底的に追求した」と語っており、涙なくしては聴けぬ仕上がりとなっています。
ユニバーサル・ミュージック/IMS
調べてみたがオーケストレーション版のスターバト・マーテルについては今まで取り上げていなかった。というのは、随分前のいわゆる巨匠の録音がいくつか手元にあるだけで新しい演奏は聴いていなかったということだ。直近では9年前の、ピアノ伴奏版の世界初録音であるエキルベイ/アクセンタスのnäive盤に遡る。ここに作曲経緯を少し詳しく書いているが、これについては上のユニバーサルの解説とは一部齟齬がある。ピアノ伴奏版=1876年版=が完結された独立作品であることは考証により明らかにされており、そしてオーケストレーション版はその翌年、恐らくピアノ伴奏版を足掛かりとして書かれたものと考えられている。
この演奏について
まさに、涙なくしては聴けない重厚かつ静謐、哀しい演奏である。演奏がチェコフィル、はたまたコーラスがプラハ・フィルハーモニー合唱団だからなのか、その因果関係ははっきりとは分からないが、素晴らしくも哀しい演奏なのだ。いずれにしても、またビエロフラーヴェクがプラハ出身だからという出自如何にもかかわらず、彼がドヴォルザークのこの不世出の名作の良きインタープリターであることは覆しようのない事実だ。
全体を通じてのペース配分だが、ビエロフラーヴェクは作家の心の慟哭を絞り出すに最適解を得ていて、スローでメロウな部分はより遅く、情感が高ぶる部分では少し速足でと極めて巧みだし、実に堂々たるダイナミックなバトン捌きなのである。それでいて大仰で極端なテンポ偏移を殊更に嫌気し、とてもスムーズでナチュラル、そしてウォームトーンでの歌い込みを指示しているようだ。
こういったナチュラルな描写はソロ・カルテットの統制にまで及び、合唱隊やオケとの音量バランス、不用意な干渉を避けて独唱テキストを際立たせる小節間でのきめ細かな速度制御など、細心の注意が払われている。そうすることでステージ上の全ての構成員を完全に掌握し切り、悲壮感に満ち溢れた細密なスターバト・マーテルを描き上げているのだ。
こういった鎮魂のための大規模曲としてはミサ曲、レクイエムという楽曲形態が代表的だろう。それぞれが依拠するテキストは聖書にある古来からの典礼文から採取されることが殆どだが、曲の組み立て、歌唱の様式は作家ごと、また時代背景ごとにまちまちだ。例えばこの前のヴェルディのレクイエムなどはロマン派オペラの様式を踏襲しているし、バッハのロ短調ミサ曲は当然にバロック様式である。このスターバト・マーテルについてドヴォルザークがどういった様式を想定していたのかは今となっては定かではない。しかし、ビエロフラーヴェクの目指した曲想、特に独唱部に関しては、荘厳で禁欲的なバロック様式を土台としつつもロマン派オペラ的な壮大でヴィルトゥオージックな要素をも意識したものとしているようで、つまり、その両方の要素を巧みに合成するよう要求している風に見える。そういった観点からは、今回のソロ・カルテットに抜擢された面々の歌唱技巧はその両者がバーサタイルに歌い分けられるものであった可能性が高い。特にバイエルン歌劇の専属を務めている中村恵理の歌唱はその急先鋒と言えようか。
こういった鎮魂的・宗教的な曲に「悲愴度」という尺度があるとするならば、ドヴォルザークのこのスターバト・マーテルは最右翼に位置付けられるであろう。我が子の相次ぐ死というある意味での極限状況に見舞われたドヴォルザークが音楽という媒体を用いて表現した自らの心の慟哭には心打たれる。そして、この作品をこれほどの悲嘆を充満・横溢させた苛烈な演奏として表現する故ビエロフラーヴェク率いるオケ、独唱隊、合唱隊に畏敬の念を抱く。こういった演奏はそうそう聴けるものではない。
録音評
DECCA 4831510、通常CD。録音は2016年5月23-25日、プラハ、ドヴォルザーク・ホール。音質は公正不偏のデッカの良心的カルチャーそのもので、シルキータッチにして不要雑音を一切除去した綺麗で清純なもの。聴き込んでいくと最低音域から高音域までブロードに捉えられているが、帯域ごとの誇張は一切なく、ざらついた質感も殆どなく、そして圧迫感のあるパーカッションやコンバスのうねり、チェコフィル弦楽隊伝統の松脂が飛散するような美音も抑制気味に捉えられている。一方、ソロ・カルテットの狙い方は鋭敏で、これは臨場感に優った録りかただ。全体として曲想に合わせた音調に収斂させていることは間違いはなく、過度な刺激を抑えつつも音楽の感動を伝えるための理性的な調音が施されているのは流石と言わざるを得ない。演奏内容もさることながら録音技法もまたそれに呼応してコーディネートされたという好事例。とても素晴らしい録音だ。

♪ よい音楽を聴きましょう ♫す