C.P.E.Bach: Vc-Con #2 Etc@Ophelie Gaillard/Pulcinella O. |

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CPE Bach Project Volume 2
Carl Philipp Emanuel Bach:
Sinfonia No.3 in C major, Wq.182/3 (H.659)
1. Allegro assai
2. Adagio
3. Allegretto
Cello Concerto No.2 in B-flat major, Wq.171 (H.436)
4. Allegro
5. Adagio
6. Allegro assai
Sinfonia in E minor, Wq.178 (H.653)
7. Allegro assai
8. Andante moderato
9. Allegro
Piccolo Cello Sonata in D major, Wq.137 (H.559)
10. Adagio, ma non tanto
11. Allegro di molto
12. Arioso
Harpsichord Concerto in D minor, Wq.17 (H.420)
13. Allegro
14. Un poco adagio
15. Allegro
Ophelie Gaillard (Vc)
Francesco Corti (Cem)
Pulcinella Orchestra
C.P.E.バッハ:
シンフォニア第3番 ハ長調Wq.182/3(H.659)
チェロ協奏曲第2番 変ロ長調Wq.171(H.436)
シンフォニア ホ短調Wq.178(H.653)
ピッコロ・チェロとチェンバロのためのソナタ ニ長調 Wq.137(H.559)
チェンバロ協奏曲 ニ短調Wq.17(H.420)
オフェリー・ガイヤール(Vc, Cond) ※1
フランチェスコ・コルティ(Cem) ※2
プルチネッラ・オーケストラ
※1 フランチェスコ・ゴフリラー1737年製、ピッコロ・チェロ
※2 フォルテピアノ: F. ブランシェ1733年製、フランツ・バウムバッハ1780年製
C.P.E.バッハはJ.S.バッハの子供たちの中で最も成功を収めた人物
カール・フィリップ・エマヌエル・バッハはヨハン・セバスティアン・バッハと最初の妻マリア・バルバラとの間に生まれた2番目の子供だった。バッハ・ファミリーの子孫の中で最も多作で、当時においては父を上回るほどの名声を得て、彼もまた"大バッハ"と呼ばれ賞賛されたそうだ。
ベルリンではフリードリヒ大王が皇太子の時代から宮廷楽師として勤める。フリードリヒ大王はフルート演奏を嗜むことから、宮廷では彼のクラヴィーア作品はあまり取り上げられず、音楽的な嗜好性が大王と合わないこともあって優遇されたとは言い難い状況だった。それでもクラヴィーア演奏の第一人者との名声は確立され、相応の評価は得ていたとされ、フリードリヒ大王もC.P.E.バッハの鍵盤演奏には一目置いていたという。しかし、やはり反りが合わなかったためか、1767年に大王の制止を振り切り30年も勤めた宮廷をやめてハンブルグへ行ってしまう。
その後、ハンブルクの主要5教会の音楽監督に就任する。ハンブルクでは教会関係や市街の行事に音楽の演奏側、提供側として参画して大いに楽しみ、忙しい日々を送ったそうで、遂には自らが主宰する演奏会を定期化して企画し、楽曲の提供、出版と活動の幅を広げた。また欧州各国の文化人や演奏家たちとも広く交流を行い、彼自身もまた著名な作家としての地位を確立していったようだ。一方、音楽史においては、父・J.S.バッハらが頂点を極めたバロック音楽と、その後の古典派音楽をつなぐ時代の架け橋となる作家として枢要な人物であったと目され、いっとき低かった評価は昨今では見直されてきている。
ハンブルク・シンフォニーの一角=Wq.182 #3、Vcコンチェルト
C.P.E.バッハの作品は、個人的には大学入学前後によく聴いていた。ホモフォニー主体で分かりやすく明るい作品が多く気分的にも癒しをもたらしてくれた。ところが、一方でJ.S.バッハの求道的で複雑なポリフォニー、即ち対位法による襞の深い難解な構築美の世界にどっぷりと填まり込み、その後数十年間抜け出せないなか、C.P.E.バッハの存在はいつしか薄れていく。前置きはそれくらいにする。その辺はまたの機会に記そうと思う。
C.P.E.バッハは生涯でシンフォニアと名付けた作品を数多く書いている。このシンフォニアとは、その後のモーツァルトやベートーヴェンなどの時代以降には交響曲と称される楽曲形式の萌芽と見ることができる。3部形式、また急=緩=急、あるいは明=暗=明といった基礎的な構図が既に確立されている。C.P.E.バッハのシンフォニアは弦楽向けと管弦楽向けに大別される。弦楽のためのシンフォニアはWq.173、Wq.177、そしてWq.182の#1~#6の6曲はWq.183と合わせて俗称ハンブルク・シンフォニー(交響曲)と呼ばれ、作品番号ベースでは3つ、曲ベースでは9つを書いている。冒頭は弦楽のためのシンフォニアWq.182の第3番で、明媚でバランスのとれた秀作。J.S.バッハのブランデンブルク協奏曲あるいはヴァイマル時代に多く書かれた長調のホモフォニー作品に通じるもの。
このアルバムの一つの頂点が次のVcコン。これまた明媚で宮廷的な気品に溢れた作品だ。J.S.バッハというよりはテレマンやボッケリーニに似た作風だ。オフェリーはちょっとアンニュイなパートも絡ませながらゴフリラーを駆って優美に歩を進めていく。しかし、この典雅で堂々たるボウイングはどうだろう。ぞくぞくする弦のタッチと絶妙なヴィブラート、速い旋回和音、大き目の構図でC.P.E.バッハの世界を紡いでいく。
シンフォニアWq.178、Vcソナタ、Cemコンチェルト
Vcコンの後に入るシンフォニアWq.178は管弦楽向けとされる作品群のうちの一つ。管弦楽向けシンフォニアはWq.174~176、Wq.178~181、Wq.183の#1~#3とあり、作品番号ベースでは8つ、曲ベースでは11曲を数える。曲想はJ.S.バッハでいえば管弦楽組曲の延長線上にあるような感じで、かつ、ケーテン時代のように少し思索的なパッセージも見え隠れする佳作。なお補足だが、Wq.178は現在では管弦楽向けシンフォニアとされている。しかし元々は弦楽向けに書かれたようだ。その後、作家自身が大衆受けするよう規模を拡張して補筆したというのが真相らしい。IMSLPで原曲の譜面を見る限り、第1Vn+第2Vn、Va、Vc、Bas(この時代はバス・ド・ヴィオール)に加え、Ob(オーボエ)、Fl(この時代はフラウト・トラヴェルソ)×2(あるいはホルン×2)がフィーチャーされているが、この盤でプルチネッラ・オーケストラが演奏するのは当初の弦楽版のようで、Ob、Fl等は入っていない。
このアルバムのもう一つの頂点がピッコロVcソナタだが、これは元々はヴィオラ・ダ・ガンバと弦楽アンサンブルのためのソナタで、現代ではチェロ、あるいはピッコロチェロに置き換えられる。わざわざJ.S.バッハと対比するまでもないくらい秀逸で伸びやかな曲である。敢えて言うとJ.S.バッハの無伴奏Vcソナタ的な味わいも少し入っている感じか。演奏機会も録音機会も割と多めで耳にした人も多いのではなかろうか。
この曲は全3楽章で遅=速=遅の構成をとり、1楽章は通奏低音を担うCemとは素朴な対位法を形成するが、明白な分離を示さずホモフォニーの延長の「遊び」として取り入れられたものだろう。2楽章が演奏時間の過半を占めるという大規模なソナタ形式の作品であり、親交があったとされるモーツァルトとの類似性を仄かに感じる作風とスタイルといえる。オフェリーのピッコロ・チェロは実に魅惑的で、力強く朗々と旋律を刻むし抑揚に満ちたアーティキュレーション、深々としたダブルストップが聴く側の耳をグリップして離さない。
チェンバロ協奏曲 ニ短調Wq.17は、音数が多くダイナミックレンジの広い作品だが、憂愁に満ちた内面的な旋律と重層的な和声が特徴的でなんとも耳に残る秀作。J.S.バッハのBWV1000番台の一連のチェンバロ協奏曲に匹敵する作風と出来栄えだ。初めて耳にするフランチェスコ・コルティのCemは技巧的であるが何とも幽玄で雰囲気がある。
録音評
Aparte AP118、通常CD。録音2015年9月7~10日。ベニューは、á Paris église luthérienne de Bon Secoursとある。機材はMerging Pyramix、Horus AD8DP/DA8P、マイク:DPA 4041-SP、MMC4041+MMP4000-SPとある。なお、サンプリングがPCMであるかDSDあるいはDXDであるかの明示はない。音質だが、アンビエンスが非常に強くて超美麗に収録されている。弦やCemの微細な撥音が極めて明瞭に捉えられているし、オフェリーのVcの擦過音もとてもリアル。Cemの低域弦やコントラバスの低音も意外に伸びていてワイドレンジであることが分かる。音場は奥よりも左右に広がるタイプだが定位はセンターに自然に集まる傾向。従来のAparteレーベルの調音よりかは陽性なサウンドだ。また、録音レベルはかなり大きいのでヘッドフォン聴取に際しては音量に要注意。
2016.12.29 追記:
Vol.1とVol.2を合冊したお買い得2枚組(AP141)が発売されたのでお勧め。

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