Prokofiev: P-Con #2, #5@Vadym Kholodenko, Miguel Harth-Bedoya/Fort Worth SO. |
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Prokofiev: Piano Concertos Nos. 2 & 5
Piano Concerto No.2 in G minor, Op.16
1. Ⅰ. Andantino; Allegretto
2. Ⅱ. Scherzo. Vivace
3. Ⅲ. Intermezzo. Allegro moderato
4. Ⅳ. Finale. Allegro tempestoso
Piano Concerto No.5 in G major, Op.55
5. Ⅰ. Allegro con brio
6. Ⅱ. Moderato ben accentuato
7. Ⅲ. Toccata. Allegro con fuoco
8. Ⅳ. Larghetto
9. Ⅴ. Vivo
Vadym Kholodenko (Pf)
Fort Worth Symphony Orchestra, Miguel Harth-Bedoya (Cond)
プロコフィエフ:
(1)ピアノ協奏曲第2番ト短調Op.16
(2)ピアノ協奏曲第5番ト長調Op.55
ヴァディム・ホロデンコ(ピアノ)
ミゲル・ハース=ベドーヤ(指揮)フォートワース交響楽団
ヴァディム・ホロデンコは1986年ウクライナ生まれで、現在はアメリカ在住の若手気鋭
1986年9月4日、キエフで生まれ、1994年からキエフのM.ルイセンコ記念キエフ音楽中等学校でナタリア・グルイドネワ、ボリス・フョードロフに、2005年からモスクワ音楽院でヴェーラ・ゴルノスタエワに師事。なお、ゴルノスタエワはネイガウス門下である。
卒業後は多くの著名な指揮者/オーケストラ/ソリストと共演し、特にユーリ・バシュメットとは頻繁に共演している。本格活動に入ってからは本拠を米国に移し、欧米やアジアなどの各地で活躍、また室内楽活動も積極的だ。2004年のマリア・カラス国際音楽コンクールでグランプリ、2010年の仙台国際音楽コンクール・ピアノ部門1位、2013年のヴァン・クライバーン国際コンクールで優勝している。
なお、ショッキングなことだが、このアルバムがリリースされた直後、ボロデンコはテキサス州フォートワースの自宅において彼の長女と二女を事件性のトラブルで亡くするという不幸な事態に見舞われており、その後の彼の演奏活動には支障が出ている。
プロコフィエフのPコンはどれもが難曲で、聴き手にも相応の受容能力を求める
個人的にはプロコの作品のうち前衛性の強いものに関しては割と聴き疲れするためか余り食指を伸ばしてこなかった。4楽章形式の2番だが、過去においてはフレディ・ケンプのソリッドで剛健、ハイスピードな録音が印象に残っている。
1楽章の冒頭、自由な気風かつ不可思議系のメロディアスな主題と怒涛の如く激しい副主題が入り乱れる。中間部の長めのカデンツァにはホロデンコの超絶技巧ぶりが存分に発揮されておりぐっと引き込まれる。再現部からこの楽章のコーダまでは咳き込むような加速度感で、極彩色のピアノが炸裂する。
2楽章はヴィヴァーチェ指定のスケルツォで、これまた息急き切って走り抜ける構造、絶えず上下に変化し続ける音価は音楽用語では無窮動的とでもいうのだろうか。ホロデンコの繰り出すオクターブ奏法の速さ、無茶なくらいのアチェレランドとリタルダンドの出し入れには目が回る。
3楽章インテルメッツォを経て4楽章へ入るとプロコの特質がよく現れ、和声部と非和声部とが目まぐるしく交錯するデモーニッシュな展開となる。冒頭から中間部手前まではホロデンコが剛腕からオクターブ奏法あるいは分散和音で打ち下ろす協和音と不協和音がけたたましく、なかなかにスリルがある。中間部は一転してアジアン・テイストの抒情的な和声部となり、執拗にリフレインされるこの短い主題旋律が脳裏に焼き付く。ここがこの作品の中で唯一ゆったり聴ける部分かもしれない。しかし、各パラグラフの終わりには不協和音が混ぜられていて綺麗には終わらない。展開部では冒頭主題と抒情的な主題とが混ざって変奏として再現されて戻り、オケも加わったトゥッティを形成しドラマティックなコーダまでそのまま突き抜けていく。
5番はプロコフィエフ最後のPコンで、ヴィルトゥオーゾの両手のためのコンチェルトを目指して書かれたとされる
初演は1932年10月31日ベルリン、フルトヴェングラー/BPO+作家本人のピアノ独奏により挙行されたとある。この曲にはプロコの特質であるデモーニッシュな非和声が多用はされているが個人的にはおとなしめな作品だと思っていて、2番や3番ほどのスリルとスペクタクル感は覚えない。大規模な5楽章形式だが、構造的な構築美を狙ったものではないし、1~3楽章は同一主題を割と平坦に使い回していることから循環形式あるいは長大な三部形式の単一楽章と見ることができる。
そうすると、メロディアスで雄大に歌い上げられるラルゲットが普通のコンチェルトにおける緩徐楽章の第2楽章の役割を担うことになり、そして全体はフィナーレを含む通常の3楽章形式とみなすこともできるわけだ。その最終楽章ヴィーボだが、最後を飾るここはデモーニッシュで無窮動的な、ある種気忙しい冒頭部となっており、この前半部は2番の2楽章ヴィヴァーチェに似たスピード感が支配する超絶技巧を要するパート。コーダ直前で歩を緩めるものの再びアチェレランドを効かせて一気に加速しコーダを迎える。
5番についてはこの盤のメインディッシュとの位置付けなんだろうが、これに関しては上述したとおり、作家自身が目指したとするヴィルトゥオージティを備えている曲とは思われないのだ。従って、個人的には2番においてこそホロデンコの技巧と音楽性が発露していると評価する。
ホロデンコの演奏設計はスケールが大きく、和声の捉え方、旋律進行の構成方法がマクロ的である。微小な時間領域では認識できない意図が、ある程度長い時間領域においてはホログラムのように浮かび上がるような、ある種俯瞰した捉え方をするピアニストである。ことにプロコの音楽は気紛れな非和声部が多く含まれ、表現すべきことが曖昧、または表現すべきことが解らない、なんてことになりがちなのだが、ホロデンコは強い意志をもって雄弁に語りかけてくる。
なお、ミゲル・ハース=ベドーヤ、フォートワースSOに関しては特段に技巧的なわけでも美麗な音色を備えているわけでもないが、普通に巧いと思う。それ以外特段にコメントはない。要はプロコのコンチェルトにおけるオケの評価基準がよく分からないのだ。
録音評
Harmonia Mundi USA HMU807631、SACDハイブリッド。録音はPコン#2が2014年10月、Pコン#5が2015年3月、ベース・パフォーマンス・ホール(フォートワース、テキサス)でのライブ収録とある。この盤はSACDレイヤーで聴くべきだ。CDレイヤーに比べてSACDレイヤーは圧倒的に高音質である。iPodなどで普通のCDレイヤーをリッピングしたものを聴いていては分からないような空間成分がたくさん含まれており、それを聴くと、ライナーにある通り、客を入れたライブ収録であることがはっきりと聴き取ることがでる。収録曲には静寂部が少ないので微小領域のリニアリティはよく分からないが最大音量におけるヘッドルームの余裕度がさすがであり、また周波数レンジも非常に広くてグランカッサの衝撃波から木管の吹かれ音、擦れ音、奏者の息遣いまでもが克明に捉えられている。
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