Korngold & Britten : Vn-Con@Vilde Frang,James Gaffigan / hrSO |

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Britten & Korngold: Violin Concertos
Korngold: Violin Concerto in D major, Op.35
Britten: Violin Concerto in D minor Op.15
Vilde Frang (Vn)
hr-Sinfonieorchester(Frankfurt Radio Symphony), James Gaffigan(Cond)
ヴィルデ・フラング /ブリテン、コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲
コルンゴルト:ヴァイオリン協奏曲 ニ長調Op.35
ブリテン:ヴァイオリン協奏曲Op.15,
ヴィルデ・フラング(ヴァイオリン)、
ジェイムズ・ガフィガン(指揮) フランクフルト放送交響楽団(hr交響楽団)
コルンゴルトとブリテンのVnコンチェルトに共通する背景
ライナーによれば、ここに収録されている二つのコンチェルトには共通点がある。それは、彼らが二次大戦の頃に北米に滞在している間に書かれているということ:コルンゴルトは1945年、ブリテンは1939年に曲を書き上げている。それと、多くのVnコンの名曲がそうであるように、Dキー(ニ調)を主調として書かれている。また、二人とも神童と称され幼少期からその才能を開花させている。
ヴィルデ・フラングはチュマチェンコ門下の才能豊かな逸材の一人
アナ・チュマチェンコは現在ミュンヘン音楽大学の教授。生まれはイタリア・パドヴァだが、後にアルゼンチンに移住し、更にその後、音楽家として欧州に戻ったという異色の経歴の持ち主。今までに彼女が輩出したヴァイオリニストは数多く、名伯楽と評価されている。彼女が育てたVnソリストはMusicArenaでも幾度となく取り上げており、例えばユリア・フィッシャー、リサ・バティアシビリ、アラベラ・シュタインバッハーなども彼女の門下生だ。それは、優秀なロシア系ピアニストとグネーシン音楽大学/ウラディーミル・トロップ教授の関係性に似ている。フラングはチュマチェンコの弟子としては最も若い年代といえようか。
近現代作品に対しては抜群の親和性
フラングの演奏を聴くのはこれが初めてではなく、ずっと以前だがEMIからの三枚目、チャイコン&ニールセンを聴いている。なお簡単な略歴はそちらを参照。チャイコンは巧かったが、どちらかというと生硬な解釈で型通り、教科書通りの演奏だった。しかし今後の成長に期待したいと思うだけの光る技巧と度胸とが聴きとれた。出来が良かったのは茫洋たる和声に乗せたニールセンが編んだ孤高の旋律にあった。今一度聴き直してみると、この人は近現代物が当初から抜群に合っていたのかもしれない。そして今回のコルンゴルトは、結論から言うと素晴らしい出来栄えだ。華やいでいて不可思議な明るさを湛えたコルンゴルトは陰りも曇りもほぼ感じられず、直進する素直な音楽性が抜きん出ていて唸ってしまう。
表現技巧・表現能力は著しく進化、難曲のブリテンで本領発揮
この盤を聴いて分かるのは、技巧面でも大きな進化を遂げているという事。それを一言で言うとダイナミックレンジと分解能の驚異的な拡大にある。音楽の世界の言い方だと「豊かな抑揚」という抽象表現に集約されるのだが、これは二つの要素に分解される。一つ目は、最弱音と最強音の幅が極めて広くなったということ。二つ目は時間軸方向の微細な表現、即ち揺らぎや刻みのコントロールが極めて精巧になったということ。もう一つ、以前のチャイコンで気になっていた縮緬(ちりめん)ヴィブラートだが、それは克服されている。というよりも、振幅の大きなヴィブラート、振幅の小さなヴィブラートを場面に応じて使い分けることが可能となっている。
白眉はとても難しいブリテンのVnコン。極めて安定し正確にトレースされるスケール、霊妙なフラジオレット、均質で揺らぎなく純度の高いダブルストップなど、どこをとっても破綻のない超絶技巧が冒頭から発露される。これらを基盤として、時に熱く、時に瞑想的に提示されるテンペラメントには息を飲むし、この過酷で一風変わった協奏曲の三つの楽章の全てにおいて彼女独自の明晰で率直な語法とストーリー性が貫かれている。
その語法とは、老獪な策を弄することなくストレートでナチュラル、強くて素直な音価の捉え方に立脚した直進性の強い奏法のこと。この難解で複雑なブリテンの文脈、例えば不協和音と協和音が不連続に交差する領域においてはその語法=ストレートに強く弾くこと=を内声部に適用することで、今までこの曲からは聴こえなかったような旋律ラインが形成され、この作品の別の表情を浮かび上がらせることに成功している。
バックを支えるのは、ルツェルンSOの首席=ジェイムズ・ガフィガン指揮のhrSO。ダイナミックでエモーショナル、しかし細部にまで色彩感を鏤めたガフィガンのリードはこういった近現代作品と非常にマッチしている。そして、hrSOは、個人的にはマーラー室内管と並んで現在世界最高と評価しているオケの一つであり、この演奏においてもその期待は裏切らないのだ。
録音評
Warner Classics 2564600921、通常CD。録音は2015年6~8月、フランクフルト、ヘッセン放送(デジタル:セッション)とある。音質は間違いなくEMIクォリティであり、高解像度をいたずらに前面に押し出したものではなく手堅い。その割にはハイファイ感も意外に出ていてバランスが取れている。中域はふくよかで、高域には分かるか分からない程度、ほんの僅かだがブリリアンスが乗る。そのためかフラングの独奏Vnはビロードのように滑らかで綺麗な音色だ。音場空間の展開は幅が広く、かつ奥が深い。レンジは非常に広く、グランカッサの咆哮が縦横無尽に捉えられている。hrSOの各パートの音数が非常に多くて煌びやか。ここまでゴージャスかつ色彩感・空間感に満ちたコンチェルトは久々で、実に心躍る録音なのだ。
補足:EMIレーベルは消滅、版権はワーナー・ミュージックへ移管
世界的な巨大音楽レーベルであったEMIは、2007年に蜜月関係にあった東芝との合弁を解消してから数奇な運命を辿る。途中に米国ファンドが介入したりと色々なごたごたがあったが、2011年には音楽出版部門はソニーが全株取得、レコード部門はユニバーサルが取得する。流浪の歴史はこれで終わらず、ユニバーサルは2013年にEMIを冠するレコード部門を版権ごとワーナーに売却する。ワーナーは良質で名演と称されるEMIクラシックの資産に係る版権を一気に掌中に収めた格好だ。このため、EMI専属だったヴィルデ・フラングも自動的にワーナーに属することとなったため、この新譜もワーナー・レーベルからリリースされている。

♪ よい音楽を聴きましょう ♫