2016年 09月 12日
Arvo Pärt: Passacaglia Etc.@Kristjan Järvi/MDR Leipzig RSO, Anne Akiko Meyers |
昨年末のnaïveのリリースで、クリスティアン・ヤルヴィ率いるMDRライプツィヒRSOによるアルヴォ・ペルト作品集。途中、日系ハーフの米国人Vnソリスト=アン・アキコ・マイヤースがソロを弾く協奏的作品も含む。

http://tower.jp/item/4048170/
The Kristjan Järvi Sound Project - Arvo Pärt: Passacaglia
Arvo Pärt:
1.Credo
2.Mein weg hat Gipfel und Wennentaler
3.Summa
4.Darf ich…
5.Passacaglia
6.Fratres for Violin, Strings & Percussion
7.Festina Lente
8.La Sidone for orchestra
9.Fratres ( in memoriam Rduard Tubin)
Anne Akiko Meyers (Vn, 4~6)
Elena Kashdan(Pf, 1)
MDR Leipzig Radio Symphony Orchestra & Chorus, Kristjan Järvi
ペルト:
1.クレド
2.わが道(弦と打楽器版)
3.スンマ
4.ダルフ・イッヒ
5.パッサカリア
6.フラトレス(ヴァイオリンと弦楽版)
7.フェスティーナ・レンテ
8.聖骸布(2015年改訂版)
9.フラトレス(オリジナル版)
アン・アキコ・マイヤース(Vn)(4)(5)(6)
エレーナ・カシダン(Pf)(1)
クリスティアン・ヤルヴィ(指揮)
MDR交響楽団、同合唱団
エストニアを代表する現代作家アルヴォ・ペルトと故国を一にするクリスティアン・ヤルヴィが、手兵・MDR SO.を率い、特別なセレモニーを挙行した時の模様を収めたもの。すなわち、ペルト生誕80年を祝福するオマージュとなる録音とのことで、ライナーノーツには2015年、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスで行われたバッハ・フェスティヴァル期間中、作曲者ペルト自身の立ち会いのもとでセッション録音された、と記してある。
また、このところ「The Kristjan Järvi Sound Project」と称する企画物をnaïveで連続プロデュースしており、今回のペルトはその第4弾に相当するのだそうだ。
昨今、ペルトの人気は世界中で上昇中であり、日本でもかなり知られる存在となってきている。そして現代音楽というジャンルを超越したところでの演奏頻度も高くなってきているようだ。現代音楽は奇怪かつ難解な旋律・和声のいわゆる無調性、またトーンクラスタなど鑑賞するに厳しい技法を使用するのが常だが、ペルトはこれらのやり方をせず、どちらかというとミニマル系に分類される単純で美しい響きの有調性音楽を多く書いている。このアルバムはこれらの美点が存分に楽しめる内容だ。
冒頭はペルトの若かりし日の代表作=クレド。この作品は確かクリスティアンの父親=ネーメ・ヤルヴィが初演を果たしていたはず。しかし手許を調べてもその痕跡は見当たらなかった。誰かに借りた盤だったのか。それと、この曲はエレーヌ・グリモーのDGデビュー盤のアルバムタイトルとしても名を馳せたのでMusicArenaの読者諸兄でご存知の方は多いかもしれない。今更だが、クレドは主題をバッハの平均律クラヴィーア曲集・第1巻の1番、BWV846のプレリュードから拝借している。なお、平均律クラヴィーアという曲集の名前よりもグノーのアヴェ・マリアといったほうが通りがよいかも知れない。
グリモー盤とこの演奏を比べてみると、こちらはテンポが穏和で微細な部分の描き込みが丹念だ。グリモー版は派手でドラマティックだが細かなパッセージが速足で細部の歪は多め、かつ駆け抜けている個所では音価がずれてフォーカスが甘い感じ。どちらにも慣れの問題があるのかもしれないがクリスティアンのこの演奏は現代的クールさという点では後退しており、暖色系の情感を込めつつも冷涼な浮遊感をも追求した演奏と言えようか。ここにクリスティアンの現代作品における重きの置きようがよく表れている象徴的な解釈。平たく言うと突出したオリジナリティと厚手の情感の込め方において差別化が図られている演奏。
次のトラックからはミニマルが続き、わが道(弦と打楽器版)は不安を煽る短調作品で、テンポは速め。コンバスの通奏低音、グランカッサと鐘が定期的に打ち鳴らされ、心の闇、隙間に忍び寄る畏怖・恐怖が想起させられる。スンマも短調作品だがテンポは緩徐でこれは弦楽四部によるしっとりとした寂寥感あるミニマルだ。
ダルフ・イッヒ、パッサカリア、フラトレス(ヴァイオリンと弦楽版)の3作品は協奏曲の形態を持つ連作と言ってよい作品で、Vnソリストをアン・アキコ・マイヤースが務める。
但し3作品とも旋律も和声も連関性がなく、全く雰囲気の違う曲想だ。ダルフ・イッヒは寂しい旋律と和声が脈動する作品で割と物静か。
アルバムタイトルになっているパッサカリアはデモーニッシュで、ペルトとしては珍しく混濁した和声、コード進行が特徴であってVnソロの絡みがスリリング。
そしてフラトレス(ヴァイオリンと弦楽版)は規模の大きな協奏曲の一つの楽章に相当する程度の長めの作品で、内容は極めて瞑想的だ。基本は同一旋律が周期的に現れては消えるミニマルだが変奏が凝った作りで技巧的。例えばVnソロ部がダブルストップ、トリプルストップで書かれており、アン・アキコ・マイヤースの疾駆感のある弦捌きが際立って映える。彼女の名前はよく目にはするが演奏を聴くのは初めて。なかなかにソリッドでドライ、尖鋭なVnを弾く人だ。そして、こういった現代作品には虚飾がなくて彼女の芸風は向いている気がする。
聖骸布は今回のセッション録音のためにペルト自身により改定されたという2015年版。3管編成に準ずる大き目の器楽構成で演奏され、特に後半の金管楽器の咆哮は圧巻だ。そして最終トラックにはフラトレスのオリジナル版が配されており、これはアン・アキコ・マイヤースが弾いていた協奏版と全く同じ旋律・和声なのだが、独奏Vnがないこと、テンポがかなり遅めで瞑想感と飛翔感がより強調されているところが違う点だ。
クリスティアンはクラシックをカノニカルに演奏・録音する機会が少なく、前衛作品や特定テーマに沿った企画物をやっているというイメージが強い。今回のこのアルバムもその方向性であって、形式主義に囚われない人々からは支持がそこそこ多いと思う。実は個人的にはクリスティアンについては少し気の毒だと思っていて、それは実父のネーメ、実兄のパーヴォがあそこまで完璧主義かつオーソドックスな世界で成功してなければ、彼はもうちょっと正統なクラシックの領域で勝負できていたのかもしれない、ということ。そういった事情があったにせよ、私個人としては彼のユニークで破天荒な強い個性が更に良い方向で伸びることを期待し応援しているのだ。
(録音評)
naïve V5425、通常CD。録音は2015年ライプツィヒ・ゲヴァントハウス、バッハ・フェスティヴァル期間中、作曲者立ち会いのもとセッション録音とある。音質はクレドとその後が少し趣が違っている。クレドが終わった後に盛大な拍手が入っていて客を入れたライブ収録であることに気付く。残りのトラックは客を入れないゲヴァントハウスで録ったセッション録音なのだろう。ナイーヴ特有の中高域のまろび出るブリリアンスは殆ど感じらない代わりに低域から高域までブロードに伸びる帯域の広さは素晴らしい。音場空間の捉え方も自然で奥深く実に優秀なアンビエントで、これはこのホール特有の残響特性によると思われる。特筆すべきはグランカッサの衝撃波が空間に広く静かに伝播すること、そして鐘や金管の伸びやかな響きが漆黒の空間に散乱し、減衰していくことだ。
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The Kristjan Järvi Sound Project - Arvo Pärt: Passacaglia
Arvo Pärt:
1.Credo
2.Mein weg hat Gipfel und Wennentaler
3.Summa
4.Darf ich…
5.Passacaglia
6.Fratres for Violin, Strings & Percussion
7.Festina Lente
8.La Sidone for orchestra
9.Fratres ( in memoriam Rduard Tubin)
Anne Akiko Meyers (Vn, 4~6)
Elena Kashdan(Pf, 1)
MDR Leipzig Radio Symphony Orchestra & Chorus, Kristjan Järvi
ペルト:
1.クレド
2.わが道(弦と打楽器版)
3.スンマ
4.ダルフ・イッヒ
5.パッサカリア
6.フラトレス(ヴァイオリンと弦楽版)
7.フェスティーナ・レンテ
8.聖骸布(2015年改訂版)
9.フラトレス(オリジナル版)
アン・アキコ・マイヤース(Vn)(4)(5)(6)
エレーナ・カシダン(Pf)(1)
クリスティアン・ヤルヴィ(指揮)
MDR交響楽団、同合唱団
エストニアを代表する現代作家アルヴォ・ペルトと故国を一にするクリスティアン・ヤルヴィが、手兵・MDR SO.を率い、特別なセレモニーを挙行した時の模様を収めたもの。すなわち、ペルト生誕80年を祝福するオマージュとなる録音とのことで、ライナーノーツには2015年、ライプツィヒ・ゲヴァントハウスで行われたバッハ・フェスティヴァル期間中、作曲者ペルト自身の立ち会いのもとでセッション録音された、と記してある。
また、このところ「The Kristjan Järvi Sound Project」と称する企画物をnaïveで連続プロデュースしており、今回のペルトはその第4弾に相当するのだそうだ。
昨今、ペルトの人気は世界中で上昇中であり、日本でもかなり知られる存在となってきている。そして現代音楽というジャンルを超越したところでの演奏頻度も高くなってきているようだ。現代音楽は奇怪かつ難解な旋律・和声のいわゆる無調性、またトーンクラスタなど鑑賞するに厳しい技法を使用するのが常だが、ペルトはこれらのやり方をせず、どちらかというとミニマル系に分類される単純で美しい響きの有調性音楽を多く書いている。このアルバムはこれらの美点が存分に楽しめる内容だ。
冒頭はペルトの若かりし日の代表作=クレド。この作品は確かクリスティアンの父親=ネーメ・ヤルヴィが初演を果たしていたはず。しかし手許を調べてもその痕跡は見当たらなかった。誰かに借りた盤だったのか。それと、この曲はエレーヌ・グリモーのDGデビュー盤のアルバムタイトルとしても名を馳せたのでMusicArenaの読者諸兄でご存知の方は多いかもしれない。今更だが、クレドは主題をバッハの平均律クラヴィーア曲集・第1巻の1番、BWV846のプレリュードから拝借している。なお、平均律クラヴィーアという曲集の名前よりもグノーのアヴェ・マリアといったほうが通りがよいかも知れない。
グリモー盤とこの演奏を比べてみると、こちらはテンポが穏和で微細な部分の描き込みが丹念だ。グリモー版は派手でドラマティックだが細かなパッセージが速足で細部の歪は多め、かつ駆け抜けている個所では音価がずれてフォーカスが甘い感じ。どちらにも慣れの問題があるのかもしれないがクリスティアンのこの演奏は現代的クールさという点では後退しており、暖色系の情感を込めつつも冷涼な浮遊感をも追求した演奏と言えようか。ここにクリスティアンの現代作品における重きの置きようがよく表れている象徴的な解釈。平たく言うと突出したオリジナリティと厚手の情感の込め方において差別化が図られている演奏。
次のトラックからはミニマルが続き、わが道(弦と打楽器版)は不安を煽る短調作品で、テンポは速め。コンバスの通奏低音、グランカッサと鐘が定期的に打ち鳴らされ、心の闇、隙間に忍び寄る畏怖・恐怖が想起させられる。スンマも短調作品だがテンポは緩徐でこれは弦楽四部によるしっとりとした寂寥感あるミニマルだ。

但し3作品とも旋律も和声も連関性がなく、全く雰囲気の違う曲想だ。ダルフ・イッヒは寂しい旋律と和声が脈動する作品で割と物静か。
アルバムタイトルになっているパッサカリアはデモーニッシュで、ペルトとしては珍しく混濁した和声、コード進行が特徴であってVnソロの絡みがスリリング。
そしてフラトレス(ヴァイオリンと弦楽版)は規模の大きな協奏曲の一つの楽章に相当する程度の長めの作品で、内容は極めて瞑想的だ。基本は同一旋律が周期的に現れては消えるミニマルだが変奏が凝った作りで技巧的。例えばVnソロ部がダブルストップ、トリプルストップで書かれており、アン・アキコ・マイヤースの疾駆感のある弦捌きが際立って映える。彼女の名前はよく目にはするが演奏を聴くのは初めて。なかなかにソリッドでドライ、尖鋭なVnを弾く人だ。そして、こういった現代作品には虚飾がなくて彼女の芸風は向いている気がする。
聖骸布は今回のセッション録音のためにペルト自身により改定されたという2015年版。3管編成に準ずる大き目の器楽構成で演奏され、特に後半の金管楽器の咆哮は圧巻だ。そして最終トラックにはフラトレスのオリジナル版が配されており、これはアン・アキコ・マイヤースが弾いていた協奏版と全く同じ旋律・和声なのだが、独奏Vnがないこと、テンポがかなり遅めで瞑想感と飛翔感がより強調されているところが違う点だ。
クリスティアンはクラシックをカノニカルに演奏・録音する機会が少なく、前衛作品や特定テーマに沿った企画物をやっているというイメージが強い。今回のこのアルバムもその方向性であって、形式主義に囚われない人々からは支持がそこそこ多いと思う。実は個人的にはクリスティアンについては少し気の毒だと思っていて、それは実父のネーメ、実兄のパーヴォがあそこまで完璧主義かつオーソドックスな世界で成功してなければ、彼はもうちょっと正統なクラシックの領域で勝負できていたのかもしれない、ということ。そういった事情があったにせよ、私個人としては彼のユニークで破天荒な強い個性が更に良い方向で伸びることを期待し応援しているのだ。
(録音評)
naïve V5425、通常CD。録音は2015年ライプツィヒ・ゲヴァントハウス、バッハ・フェスティヴァル期間中、作曲者立ち会いのもとセッション録音とある。音質はクレドとその後が少し趣が違っている。クレドが終わった後に盛大な拍手が入っていて客を入れたライブ収録であることに気付く。残りのトラックは客を入れないゲヴァントハウスで録ったセッション録音なのだろう。ナイーヴ特有の中高域のまろび出るブリリアンスは殆ど感じらない代わりに低域から高域までブロードに伸びる帯域の広さは素晴らしい。音場空間の捉え方も自然で奥深く実に優秀なアンビエントで、これはこのホール特有の残響特性によると思われる。特筆すべきはグランカッサの衝撃波が空間に広く静かに伝播すること、そして鐘や金管の伸びやかな響きが漆黒の空間に散乱し、減衰していくことだ。

♪ よい音楽を聴きましょう ♫
by primex64
| 2016-09-12 23:02
| Orchestral
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