Silvestrov: To Thee We Sing@Sigvards Klava/Latvian Radio Choir |
http://tower.jp/item/4041583/
Valentin Silvestrov: To Thee We Sing - Sacred Choral Works
Silvestrov:
Alleluia
1: Evening
2: Morning
3: Night
Four Spiritual Songs(from Liturgical Chants)
4: Cherubic Song
5: Alleluia
6: O Holy God
7: Ave Maria
Diptych
8: Otche nash (The Lord's Prayer)
9: Zapovit (Testament)
Two Sacred Chants
10: Milist' Miru (Mercy of Peace)
11: Tobi spivaemo (To Thee We Sing)
Two Sacred Songs
12: Alleluia
13: Ave Maria
Two Christmas Lullabies
14: Spi, Isuse (I Sleep, Jesus)
15: Tikha nich' (Quiet Night)
Kārlis Rūtentāls (Ten)1-5,7,8-9
Rūdolfs Bērtiņš (Ten)12-13
Ieva Ezeriete (Sop)5,8-9,14-15
Agata Burkina (Sop)8-9,12-13,14-15
Dace Strautmane (Alt)5
Latvian Radio Choir, Sigvards Klava(Cond)
ヴァレンティン・シルヴェストロフ: 汝のためにわれらは歌う ~宗教合唱作品集
1-3.アレルヤ(2006)<夕べの祈り/朝の祈り/夜の祈り>
4-7.典礼聖歌(2005)<天使の歌/アレルヤ/聖なる神/アヴェ・マリア>
8-9.二連祭壇画<主の祈り/遺言>
10-11. 2つの聖歌(2006)<平和への感謝/主のためにわれらは歌う>
12-13. 2つの聖歌(2006)<アレルヤ/アヴェ・マリア>
14-15. 2つのクリスマスの子守歌<眠れ、イエス/静かな夜>
イエヴァ・エツェリエーテ(ソプラノ)
アガーテ・ブルキーナ(ソプラノ)
カールリス・ルーテンタールス(テノール)
シグヴァルズ・クリャーヴァ(指揮)
ラトヴィア放送合唱団
シルヴェストロフというウクライナの作家については、気鋭のオルガニストである塚谷水無子さんに教えてもらった。彼女が本職とするオルガンではなく敢えて独奏ピアノでリリースしてきたシルヴェストロフのアルバムを聴いた日には、その内容・演奏ともに静かな衝撃が走った。世の中には余り知られていない凄い作家がいるもので、こんなにまで音価を減らした中で主張したいことをきちんと表現出来る人がいるとは、まさに驚天動地だった。
その異彩と異才に満ちたシルヴェストロフの歌曲集、それも聖歌のスタイルをとった宗教色オンリーのアカペラのアルバムが出たとすれば聴かない選択肢はないのだ。静かに針を降ろした。厳かという表現が適切か否かは分からないが、アレルヤ(ハレルヤ)が静かに訥々と始まる。因みにこのアルバムにはアレルヤが合計5曲も入っていて、どれも似た感じの明るめの旋律だ。だが、それぞれに趣は微妙に異なっている。
塚谷さんのピアノソロのアルバムとこの歌曲とは方向性は全く違う。しかし、シンプルで穏和な旋律の紡ぎ出し、古典的な和声とちょっと前衛的な和声を混ぜて提示してくる組み立てについてはピアノソロで披瀝された独奏曲と相通ずるものがあり、これは非常に聴かされる内容と出来栄えとなっているのだ。純度の高い協和音を主軸とした重厚な混声合唱を基礎とし、前面に浮かび上がらせる独唱もまた濁りのない美し過ぎる旋律を刻んでいく。
塚谷さんのアルバムの構成曲にあったように、ここでの宗教的歌曲もまた殆ど全てが長調で構成されている。しかし、長調で明るいはずの旋律展開と和声であるにも拘らず、もの悲しくて涙を誘うような曲想なのはどういったメカニズムなのか。流行歌においても長調でありながら悲哀を湛えた歌詞のお蔭でもの悲しく聴こえる曲というのはあるにはあるが、このシルヴェストロフの歌曲はさしたる情感がテキストに籠っているわけではなく、従って単に長調のシンプルな旋律と和音がそこにあるだけだ。なのに、なぜかもの悲しいのだ。それは後半の二つの聖歌が二組、それとクリスマスの子守歌を聴けばよく分かる。唯一の短調は二連祭壇画のうち9トラック目の「遺言」がそれで、これは究極的に薄暗くて暗鬱、そして悲しい曲である。逆に、これ以外の曲は全て長調を基調とした展開となっていて、途中に転調で暗転する場面は僅かながらあるものの、基本は長調を守り通している。
これは実に不思議な現象なのだが、シルヴェストロフはそれを目の前で、しかも限られた音価の組み合わせにおいて実現している。音程の偏移および和声の遷移状況=コード=においては明らかに長調=メジャー・コードなのに、短調における情感表現および心理効果を獲得するには別の要素技術を導入しているに違いない、などと愚にもつかない素人考えを巡らせながらこれらを聴いたわけだ。結論は勿論ないのだが、以下の仮説を立てた。一つは、短いスパンだが重層的な転調が執拗に繰り返されること、そしてもう一つはテンポ取りとアゴーギク、若しくは付点や八分音符、パウゼの挿入、シンコペーション的な拍取りにより、仮想的で穏和なポリリズムが脳内に生み出され、特異なシンパシーというか、なにがしかの既体験へのシンクロニシティが生み出されるということ。誤解を承知で敢えて類似作品をあげるとすれば、デュルュフレのレクイエムあたりと出来ようか。
つまらない仮説と理屈は抜くとして、この上ない美しい旋律・和声であるのはとりもなおさず真実。これらを小規模混声合唱と限定的な独唱を用いて特定テーマに沿った音の放出・散乱と影・翳り、緩急、脈動、静止などという、人の移ろい行く心象風景をおよそ全てを見透かしたかの心憎い音響設計は21世紀に入っての音楽の一つの理想形ではなかろうかと思うのだ。以上は個人的感想だが決して大袈裟に言っているわけではない。この曲たちの真価は文章、いや言語による表現では表しがたく、これらの聴感を体験するには実際に聴いてみるしかないだろう。
(録音評)
Ondine ODE1266、SACDハイブリッド。録音は2014年2月27-28日、4月14-15日、ラトヴィアのリガ、聖ジョン教会とある。Ondineは久し振りに聴いたが、やはり音が非常に良い。SACDレイヤーは音粒は稠密ながら音場展開が広大かつ立体的であり、こういったアカペラものの権威であるHarmonia Mundi USAに比肩するクォリティであると断言できる。CDレイヤーも非常に高音質でありSACDレイヤーとの差異はそれほどない。要はどちらのレイヤーで聴いても相当レベルの録音品質であるということ。いっときCD-DAに回帰していたOndineがここへきてSACDを再度リリースし始めたところを見ると、やはりDSD録音あるいはDSDマスタリングの優秀性を再発見したということなのかもしれない。録音プロセスについては詳述はないが、ふんわりと膨らんだ低域の傾向から見ると録音段階からDSDあるいはDXDである可能性が高い。だからと言ってアナログLPレコードと同一傾向で音が良いとか、ノスタルジックで良い音だという評価には当たらないので念のため。あくまで今日的な評価として音は良い、と言っておく。
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『ヘントの祭壇画』 ファン・エイク兄弟 聖バーフ大聖堂が所蔵する『ヘントの祭壇画』は、フーベルト・ファン・エイクとヤン・ファン・エイクのファン・エイク兄弟により制作された、北方ヨーロッパ絵画の最高傑作のひとつであり、人類の至宝と見なされています。当代隋何時の画家として世に知られたヤン・ファン・エイクとより優れた画家と言い伝えのあるフーベルト・ファン・エイクが残した唯一の作品です。兄フーベルトが構想を練り下絵を指図し、弟ヤンが20年の歳月を経て完成させました。... more