2016年 02月 27日
Ravel: P-Con G-min & for Left Hand@Yuja Wang, Lionel Bringuier/TOZ |
昨秋のDGの新譜から、ユジャ・ワンが弾くラヴェルの両手Pコン、片手Pコン、フォーレのバラードOp.19。バックは新鋭リオネル・ブランギエ率いるチューリッヒ・トーンハレ。

http://tower.jp/item/4014199/
Yuja Wang plays Ravel
Ravel: Piano Concerto in G major
Faure: Ballade in F sharp major for solo Pf(or Pf & Orc.) Op.19
Ravel: Piano Concerto in D major (for the left hand)
Yuja Wang (Pf)
TOZ - Tonhalle-Orchester Zurich, Lionel Bringuier
ユジャ・ワン/ラヴェル:ピアノ協奏曲集
ラヴェル: ピアノ協奏曲 ト長調
フォーレ: バラード 作品19
ラヴェル: 左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調
ユジャ・ワン(ピアノ)
チューリヒ・トーンハレ管弦楽団 指揮:リオネル・ブランギエ
一昨年末だか、シャルル・デュトワを迎えたN響の定期があって、その時にソリストとしてユジャ・ワンが出ていてフランス物をいくつかやった。そのプログラムの中でラヴェルの両手Pコンが良いと一般マスコミまでもが取り上げて話題になったことがあった。国内のWebやBlogでも出色の出来とのことでもてはやされた。その数ヵ月後にNHKで放映があったとき両手Pコンを聴いたが、さしたる印象には残らなかった。ただ、そんなに変な演奏ではなかったことと、N響としては集中していて熱い演奏だったこと、ユジャ・ワンのオーバーアクションと打力の弱い左手について記憶に残っていた。
そして、その時のプログラムを彷彿とさせるCDが出たことで買ってみようという気になった。勿論、ユジャ・ワンはDG専属ゆえ、オケがN響ということはなく、今回はTOZ=チューリッヒ・トーンハレ。指揮者は若手の売り出し中らしくて知らない人だが、昨今ではネゼ=セガンを筆頭に優秀な若手指揮者も台頭しているので期待した。
ユジャ・ワンは将来を約束された世界的なピアニストに成長したと言われている。では昨今の出来はどうなのだろうか、という期待と興味はあったので虚心坦懐に聴いてみた。結論から言うと5年前のラフPコン#2と殆ど同じ印象を持った。不思議なもので、私の聴き方が変わっていないせいか5年前と同様にピアノが響いてこない。正確に言うとピアノが殆ど聴こえない部分が多くて論評に苦しむ。
ピアノに限らず、速いパッセージを芯を明確にして強く弾き切るためには相応の体力と筋力が必要で、それに加え胆力が重要だ。さもなくばハイテンポな部分はか弱く繊細に、そうでない部分は豪胆に強く弾くというのが一般的な趨勢。ちょっと前のラフPコン#2と同様、このラヴェルもその傾向が色濃く出ていて、改めて奏者の特質というのはそうそう変わることはない、ということを再認識した。
両手Pコンだが、このブランギエという指揮者の解釈が奇異だ。この曲の場合、指揮者/ソリストの組み合わせにあっては色んな解釈はあるのだが、ラヴェルが記したスコアの自由度はそれ程大きくはなくて大概はモデレートな範囲内に収まるものだ。この録音におけるブランギエの演奏設計の狙いは明らかではないものの、非常に変わった、いわば変則に過ぎた解釈だ。ブランギエがユジャ・ワンにどう指示したのか、逆にユジャ・ワンがブランギエになんらかを依頼したのか、その辺は詳らかではないが、とにかく奇抜な誇張が随所に挿入された一風変わった演奏なのだ。本来ならばスコアの当該箇所を逐一追って説明したいところだが変則箇所が余りに多く、かつ紙面にも限りがあることから、以下、総括的に記す。
一楽章だが、元々はバスク地方あるいはカスティーリャの地元民謡から採取したと言われる土着民俗的な主題、ガーシュウィンとの深い親交を通じて得た往時の北米ジャズ風味をあしらった副主題、そしてパリのエスプリを利かせたお洒落で明媚な和声を融合させた傑作中の傑作。このハイブリッドな楽章をどう弾くかは先達たちが様々な規範を示している。
鞭の一撃から始まる第一主題はハイテンポ・ハイエナジーながら実際には小刻みな上下スケールや分散和音の微細な組み合わせからなるピアノ独奏部、そして中規模オーケストレーションでサポートされる内声部を巧妙に調和させたパート。普通に考えれば一定リズムを刻んで淡々と進めるのが吉と思うのだが、この演奏はかなりグロテスクなテンポ揺らぎを加え、気持ちが悪くなるくらい極端で急峻なデュナーミク、というかSfz(スフォルツァンド)を多用し続ける。
加えて高速分散和音やトレモロの時のアチェレランドやリタルダンドが情感移入しすぎでべたべたしている。途中で幾度となく交差させている、ジャズでいうバラード風のアンニュイな内声部に関しても十分柔和に歌わせるべきところ、タフでソリッドな強奏に終始。どう聴いても主旋律と副旋律が入れ替わっている。何度聴いても耳が慣れず違和感が増幅されていく。
二楽章は緩徐楽章なのだが、これが緩徐すぎる。つまりエナジー感がまるでなく、平坦な瞑想状態なのだ。確かに速度指定はアダージオ・アッサイとなっていて、極めて緩やかに弾くべきなんだろうが、精気を削いで弾けという指定ではない。ユジャ・ワンのピアノは極めて滑らかで静か、即ち極小音量だ。
フィナーレはアップテンポかつ諧謔な曲で、四楽章形式の作品ならばスケルツォに相当する浮き立つような曲想。高速で微細に摺動する上下スケールとクロマティックを中心としたピアノ独奏部と、金管隊、パーカッション隊が息の詰まるような掛け合いを演じるというスリリングな構図。やはりここでもブランギエの解釈は変わっていて、時間軸を大きく揺らしているのだ。ユジャ・ワンのピアノは高速スケールにあっては小音量で自信がなさげだが、それ以外の部分では強打が目立つ。
最後に入れている左手Pコンだが、これはもうコメントするに値しない。ユジャ・ワンの左手一本の現在のケイパビリティではこの曲は無理、ということ。あと、中間に挟まるフォーレのバラードだが、ユジャ・ワンの精密で高度な打鍵技巧が明瞭に確認できる。しかしながら、フォーレはこんな実在型解釈ではなく、霞棚引くファジーで飛翔感の強い演奏設計とすべき。
(録音評)
DG 4794954、通常CD。録音は2015年4月27-29日 チューリッヒ、トーンハレ、フォーレは2015年5月10日ベルリンのテルデックス・スタジオ。エグゼクティブ・プロデューサー:Angelika Meissner、プロデューサー:Chris Hazell(Ravel)、Sid McLauchlan(Fauré)、トーンマイスター:Simon Eadon(Ravel)、Stephan Flock(Fauré)。尚、フォーレについてはエミール・ベルリーナ・スタジオのクレジットがある。一方のラヴェルには特にクレジットはないが、Simon EadonはTOZとジンマンのマーラー・チクルスなどをずっと録ってきたDecca出身のエンジニアであり、英国のクラシック録音専門集団=Abbas Records社の経営者。ラヴェルの録音はそこそこ優秀で空間の展開や空気感の捉え方が上手い。が、トーン・ポリシーとしては演色傾向が強く、クライアントであるDGの典型的なアペタイトと思われる。フォーレの方は近接したマイクアングルであり、アンビエンスに対してそれほど気を使ったものではなく、どちらかというとぶっきらぼうな作り。
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http://tower.jp/item/4014199/
Yuja Wang plays Ravel
Ravel: Piano Concerto in G major
Faure: Ballade in F sharp major for solo Pf(or Pf & Orc.) Op.19
Ravel: Piano Concerto in D major (for the left hand)
Yuja Wang (Pf)
TOZ - Tonhalle-Orchester Zurich, Lionel Bringuier
ユジャ・ワン/ラヴェル:ピアノ協奏曲集
ラヴェル: ピアノ協奏曲 ト長調
フォーレ: バラード 作品19
ラヴェル: 左手のためのピアノ協奏曲 ニ長調
ユジャ・ワン(ピアノ)
チューリヒ・トーンハレ管弦楽団 指揮:リオネル・ブランギエ
一昨年末だか、シャルル・デュトワを迎えたN響の定期があって、その時にソリストとしてユジャ・ワンが出ていてフランス物をいくつかやった。そのプログラムの中でラヴェルの両手Pコンが良いと一般マスコミまでもが取り上げて話題になったことがあった。国内のWebやBlogでも出色の出来とのことでもてはやされた。その数ヵ月後にNHKで放映があったとき両手Pコンを聴いたが、さしたる印象には残らなかった。ただ、そんなに変な演奏ではなかったことと、N響としては集中していて熱い演奏だったこと、ユジャ・ワンのオーバーアクションと打力の弱い左手について記憶に残っていた。
そして、その時のプログラムを彷彿とさせるCDが出たことで買ってみようという気になった。勿論、ユジャ・ワンはDG専属ゆえ、オケがN響ということはなく、今回はTOZ=チューリッヒ・トーンハレ。指揮者は若手の売り出し中らしくて知らない人だが、昨今ではネゼ=セガンを筆頭に優秀な若手指揮者も台頭しているので期待した。
ユジャ・ワンは将来を約束された世界的なピアニストに成長したと言われている。では昨今の出来はどうなのだろうか、という期待と興味はあったので虚心坦懐に聴いてみた。結論から言うと5年前のラフPコン#2と殆ど同じ印象を持った。不思議なもので、私の聴き方が変わっていないせいか5年前と同様にピアノが響いてこない。正確に言うとピアノが殆ど聴こえない部分が多くて論評に苦しむ。
ピアノに限らず、速いパッセージを芯を明確にして強く弾き切るためには相応の体力と筋力が必要で、それに加え胆力が重要だ。さもなくばハイテンポな部分はか弱く繊細に、そうでない部分は豪胆に強く弾くというのが一般的な趨勢。ちょっと前のラフPコン#2と同様、このラヴェルもその傾向が色濃く出ていて、改めて奏者の特質というのはそうそう変わることはない、ということを再認識した。
両手Pコンだが、このブランギエという指揮者の解釈が奇異だ。この曲の場合、指揮者/ソリストの組み合わせにあっては色んな解釈はあるのだが、ラヴェルが記したスコアの自由度はそれ程大きくはなくて大概はモデレートな範囲内に収まるものだ。この録音におけるブランギエの演奏設計の狙いは明らかではないものの、非常に変わった、いわば変則に過ぎた解釈だ。ブランギエがユジャ・ワンにどう指示したのか、逆にユジャ・ワンがブランギエになんらかを依頼したのか、その辺は詳らかではないが、とにかく奇抜な誇張が随所に挿入された一風変わった演奏なのだ。本来ならばスコアの当該箇所を逐一追って説明したいところだが変則箇所が余りに多く、かつ紙面にも限りがあることから、以下、総括的に記す。
一楽章だが、元々はバスク地方あるいはカスティーリャの地元民謡から採取したと言われる土着民俗的な主題、ガーシュウィンとの深い親交を通じて得た往時の北米ジャズ風味をあしらった副主題、そしてパリのエスプリを利かせたお洒落で明媚な和声を融合させた傑作中の傑作。このハイブリッドな楽章をどう弾くかは先達たちが様々な規範を示している。
鞭の一撃から始まる第一主題はハイテンポ・ハイエナジーながら実際には小刻みな上下スケールや分散和音の微細な組み合わせからなるピアノ独奏部、そして中規模オーケストレーションでサポートされる内声部を巧妙に調和させたパート。普通に考えれば一定リズムを刻んで淡々と進めるのが吉と思うのだが、この演奏はかなりグロテスクなテンポ揺らぎを加え、気持ちが悪くなるくらい極端で急峻なデュナーミク、というかSfz(スフォルツァンド)を多用し続ける。
加えて高速分散和音やトレモロの時のアチェレランドやリタルダンドが情感移入しすぎでべたべたしている。途中で幾度となく交差させている、ジャズでいうバラード風のアンニュイな内声部に関しても十分柔和に歌わせるべきところ、タフでソリッドな強奏に終始。どう聴いても主旋律と副旋律が入れ替わっている。何度聴いても耳が慣れず違和感が増幅されていく。
二楽章は緩徐楽章なのだが、これが緩徐すぎる。つまりエナジー感がまるでなく、平坦な瞑想状態なのだ。確かに速度指定はアダージオ・アッサイとなっていて、極めて緩やかに弾くべきなんだろうが、精気を削いで弾けという指定ではない。ユジャ・ワンのピアノは極めて滑らかで静か、即ち極小音量だ。
フィナーレはアップテンポかつ諧謔な曲で、四楽章形式の作品ならばスケルツォに相当する浮き立つような曲想。高速で微細に摺動する上下スケールとクロマティックを中心としたピアノ独奏部と、金管隊、パーカッション隊が息の詰まるような掛け合いを演じるというスリリングな構図。やはりここでもブランギエの解釈は変わっていて、時間軸を大きく揺らしているのだ。ユジャ・ワンのピアノは高速スケールにあっては小音量で自信がなさげだが、それ以外の部分では強打が目立つ。
最後に入れている左手Pコンだが、これはもうコメントするに値しない。ユジャ・ワンの左手一本の現在のケイパビリティではこの曲は無理、ということ。あと、中間に挟まるフォーレのバラードだが、ユジャ・ワンの精密で高度な打鍵技巧が明瞭に確認できる。しかしながら、フォーレはこんな実在型解釈ではなく、霞棚引くファジーで飛翔感の強い演奏設計とすべき。
(録音評)
DG 4794954、通常CD。録音は2015年4月27-29日 チューリッヒ、トーンハレ、フォーレは2015年5月10日ベルリンのテルデックス・スタジオ。エグゼクティブ・プロデューサー:Angelika Meissner、プロデューサー:Chris Hazell(Ravel)、Sid McLauchlan(Fauré)、トーンマイスター:Simon Eadon(Ravel)、Stephan Flock(Fauré)。尚、フォーレについてはエミール・ベルリーナ・スタジオのクレジットがある。一方のラヴェルには特にクレジットはないが、Simon EadonはTOZとジンマンのマーラー・チクルスなどをずっと録ってきたDecca出身のエンジニアであり、英国のクラシック録音専門集団=Abbas Records社の経営者。ラヴェルの録音はそこそこ優秀で空間の展開や空気感の捉え方が上手い。が、トーン・ポリシーとしては演色傾向が強く、クライアントであるDGの典型的なアペタイトと思われる。フォーレの方は近接したマイクアングルであり、アンビエンスに対してそれほど気を使ったものではなく、どちらかというとぶっきらぼうな作り。

♪ よい音楽を聴きましょう ♫
by primex64
| 2016-02-27 22:41
| Concerto - Pf
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