J.S.Bach: Sonatas & Partitas for solo Vn, BWV1001-1006@Midori |
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J.S. Bach: Sonatas & Partitas for solo Vn, BWV1001-1006@Midori
Disk 1
Sonata No.1 in G minor BWV1001
1. I. Adagio
2. II. Fuga. Allegro
3. III. Siciliana
4. IV. Presto
Partita No.1 in B minor BWV1002
5. I. Allemanda
6. I. Double
7. II. Corrente
8. II. Double. Presto
9. III. Sarabande
10.III. Double
11. IV. Tempo di Borea
12. IV. Double
Sonata No.2 in A minor BWV1003
13. I. Grave
14. II. Fuga
15.III. Andante
16. IV. Allegro
Disk 2
Partita No.2 in D minor BWV1004
1. I. Allemanda
2. II. Corrente
3. III. Sarabanda
4. IV. Giga
5. V. Ciaccona
Sonata No.3 in C major BWV1005
6. I. Adagio
7. II. Fuga
8. III. Largo
9. IV. Allegro assai
Partita No.3 in E major BWV1006
10. I. Preludio
11. II. Loure
12.III. Gavotte en Rondeau
13. IV. Menuet I - Menuet II
14. V. Bouree
15. VI. Gigue
Midori (Vn)
ヨハン・セバスティアン・バッハ(1685-1750):
「無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータ」(全6曲)
ソナタ第1番ト短調 BWV.1001
パルティータ第1番ロ短調BWV.1002
ソナタ第2番イ短調BWV.1003
パルティータ第2番ニ短調 BWV.1004
ソナタ第3番ハ長調BWV.1005
パルティータ第3番ホ長調 BWV.1006
五嶋みどり(ヴァイオリン)
五嶋みどりは日本人ヴァイオリニストとして欧米で成功しているアーティストの一人だが、日本国内では余り有名ではなく、寧ろ彼女の異父兄弟の弟である五嶋龍の方が名が売れているかもしれない。
このアルバムのライナーノートは五嶋みどり自身が各作品ごとに丁寧に書いていて、緒言にはバッハの無伴奏との馴れ初め、そして、結言にはバッハ作品との現在の関わり合い方について、それぞれ感情の籠った端的な説明をしていたので以下に引用する。但し、和訳したのは私なので正確さについては含みおきしてご覧いただきたいと思う。
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バッハにまつわる物語は、私がまだ2歳の頃に遡る。母が数日前に練習していたバッハの旋律を私が口ずさむのを発見したという。バッハに関する私自身の記憶は、無伴奏ト短調ソナタを練習し始めた頃から始まっていて、それは確か7歳の時だった。その歳にバッハ無伴奏の他の全ての譜面が渡され、私はそれらをどう扱ってよいかまるで分からなかった。
永年に渡って私はバッハを学んで来ていて、そのことを通じて分かってきたことがある。それは、バッハからの学びは決して終わることがないということ。無伴奏ソナタ&パルティータは種々の理由により「文学の記念碑」である、と私は考えるが、これには他の大部分のヴァイオリニストも同意するものと確信している。
バッハ無伴奏の勉強は、より正確に、より深く聴き込むための耳の鍛錬から始まる。次に、単に音符それ自体を聴くことに加え、個々の音符どうしの関係性を理解することを学ぶ。確かに、私はバッハ作品からは、他のどの音楽からよりも更に多くのことを学んできたことに気が付く。私がこの名作たちと完全な絆を結んだとき、私自身を包み込む、殆ど奇跡といえるような感覚に囚われる。これらの作品は、命よりも大きな存在となる・・・これらの作品は人が楽曲に対峙する時の芸術上の、あるいは技巧上のレスポンスを伸長する。
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バッハの音楽は常にあらゆる状況下において「正しい」のだ。私はどういった場所においてもこれらの作品たちを表現することができた: 難民のための屋外環境で、病院の集中治療室で、大きなコンサートホールで、礼拝の場所で、祝福の場で、追悼の場で、そして、私が今まで演奏してきたいずれの国のいずれの場所においてでも。バッハはよく旅をする。彼の音楽は特別な装置や特別の条件を必要としない。それらはシンプルに演奏され聴かれるべきで、そして普遍的でコミットされた演奏は、老若を問わず聴き手を、夢中になっているあらゆる演奏者に変えてしまう。
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以上のように、五嶋みどりはバッハ、とりわけ無伴奏パルティータ&ソナタには思い入れがあるようだ。ではこの演奏はどうなのか、だが、端的に言うと、エナジー感、階調ともに低く、独特の語り口の無伴奏ソナタ&パルティータだ。特にパルティータ1番に関してはどの楽章もちょっとダルで演奏時間が長く感じられる。コレンテ(仏:クーラント)は本来ならば規則的に律速された三拍子系の韻を踏む舞曲であるべきところ、不規則なアゴーギクによって時間軸の揺らぎが激しく、悪く言えばよたった感じ。弱起(アウフタクト)が随所に入ることで一種の緊張と変化を織り込んでいくべきところ、そのアクセントとなる大切な短い空白が前後の音価で潰れて連続し輪郭が暈けてしまうのでのっぺりと平坦な印象になっているのも残念なところ。
続くプレスト指定のあるドゥーブルは、五嶋みどりの高度な技巧が発現してはいるが、小節の頭を大切にしたいという意図からか糸を引くような不自然なテヌートで速度を抑制して入るため、前のクーラントの主旋律が内声部として聴こえづらくなっていて、もうなにを演奏しているのだか分からないくらいに煩瑣でノイジーな旋律展開となっている。主旋律に沿って高速に駆け抜けるのは良いのだが、ドゥーブルが多声の変奏曲である以上、縦糸の中に横糸としての対旋律が見えなければバッハが譜面に込めた意図を汲んでいるとは言い難い。
パルティータ3番だが、他よりかはまとまりが感じられる出来栄え。但し、階調が低くてモノクロームの粗い水墨画のような描き方であり、やはり内声部の見通しが良くなくて、表層的な主旋律にどうしても耳が引っ張られてしまう。また、過度なアゴーギクは船酔いにも似た揺らぎをもたらし、これは五嶋みどりがロマン派作品や現代曲において見せる雄弁な語り口とほぼ同様なのだが、何度繰り返し聴いてもこの節回しによるバッハ無伴奏はどうも馴染むことはできなかった。
五嶋みどりは今や世界的なVnソリストであり、彼女ならではの個性と世界を持っているのは否定はしないし、多くの支持者を得ているのも事実だ。しかし、私の聴感でいうと他の多くの奏者のバッハ無伴奏、例えばポッジャー、ファウスト、ムローヴァなどを聴いてしまうと表現幅、即ちプレゼンスの豊かさやインサイトの深さといった点においてはどうしても見劣りしてしまうのであった。
(録音評)
ONYX 4123、通常CD。録音は少し古くて2013年8月13-17日、Klaus von-Bismarck-Saal, Funkhaus, Cologneとある。 音質はオニックス標準とでも言うべき、とても優秀な出来栄え。弦の擦れや弓捌き、奏者の息遣いまでもが克明に捉えられている。但し、輪郭を抉り出したような過度な強調感は全くなく、ごく自然なアンビエンスである。楽器の定位も良くて五嶋みどりの立ち位置がぶれずに中央に屹立する。録音品質は極めて良好なので五嶋みどりファンで音質重視タイプの人にはお勧めだ。
追記:
amazonのカスタマーレビュー欄に、低域に空調ノイズが派手に乗っている、との投稿があると読者のかたからお知らせがあった。確かに40Hz前後をピークとする帯域にゴーっという暗騒音が入っていることは気が付いていたが、全体の録音レベルに比べるとそれほど気になるものでもない。
もともと、ケルンのクラウス・フォン・ビスマルク・ザールはWDR(西部ドイツ放送協会)所有の古いシューボックス型の録音スタジオ兼ホールなので、設備的には改修を繰り返していたとしても老朽化は否めないと思われる。シューボックス型の縦長のホールは音響的には素直だが、低域に共振点を持ちやすく、従って暗騒音は割と多め。古いベニューで録音されることの多い欧州録音には暗騒音が混入したものは珍しくなく、この程度で目くじらを立てていると聴けるCDは少なくなってしまう。
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♪ よい音楽を聴きましょう ♫
五嶋みどりさんの新譜コメント、ありがとうございます。
このCDは聴いてはおりませんが、最近の来日公演で、ショスタコーヴィチの協奏曲No.1をパーヴォ・ヤルヴィ指揮で聴いた時に感じた点と重なる面が多々あります。確か、出産されて間もないとのことで、聞かせどころの解釈に(あら?)という部分が目立ちました。
ところで、昨今は、神尾真由子、ヒラリー・ハーンなども含め、おめでた続きの女性ヴァイオリニスト界です。
若い時に超絶技巧などで世界的に有名になってしまうと、人生後半から、私生活との両立などとの兼ね合いもあり、体力的にも何かと大変でしょうねぇ。
...ということを感じながら、今回は読ませていただきました。今後も楽しみにしております。
あっという間に年末ですが、いかがお過ごしでしょうか。
さて、五嶋みどりの新譜ですが、エナジー感が低くて解釈的な違和感が気になるという点では庄司紗矢香のバッハ http://musicarena.exblog.jp/16884372/ に通じるものがありました。例えは悪いですが、日本人の血には演歌的な節回しが生得的に流れているのではないか、と訝ります。
ヒラリーは出産後も精力的で、心のゆとりと安定性は益々良好との噂ですが、神尾はなんだか第一線からは身を引いたような方向転換です。おっしゃる通り人それぞれにドラマがあって種々の心境/環境の変化もあるんでしょうね。
日本人ヴァイオリニストの演歌節は、千住真理子さんがテレビで勘違い指導をしていた時に気づきました。もう17年ほど前のことになります。何と彼女は、「この箇所は演歌のように」と言っていて、(え!いくら何でもそれはないのでは?)とびっくりしました。
その路線で行けば、五嶋みどりさん(お母様がいかにも、といった調子)や庄司紗矢香さんの場合、海外育ちで遥かに技量を上回っているとはいえ、日本人の血に流れる生得的なものは否定出来ないのだろうと思います。むしろ、それだからこそ、人気を保っているとも言えるのかもしれません。
ヒラリー・ハーンは、やはり合理的で用意周到なアメリカ人で、いい意味で、かなり計算した上での人生設計のような感じがします。
計算高いと言えば神尾真由子さんを思い浮かべますが、残念ながら、彼女はチャイコン優勝時がピークで、あとは楽しく人生を謳歌したいのでしょうねぇ。最初から、そんな印象でした。演奏会のチケット価格を見ても、私の意地悪ではなさそうです。
ヒラリーは仰る通り、王道を行く計算が出来ています。神尾に関してもユーリさんのお見立て通りって感じですね。人はそれぞれですね・・。
あと、ピアニストですが、リーズ・ドゥ・ラ・サールも結婚しました。その後も精力的に変わらず活動しているようですが・・。
良いクリスマス&お正月をお迎えくださいませ。