Scriabin: Sym#1 & 4@Mikhail Pletnev/Russian National O. |

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Alexander Scriabin:
Symphony No.1 in E major
Symphony No.4 - 'Le Poeme de l'extase', Op.54
Svetlana Shilova (Sop), Mikhail Gubsky (Ten)
Vladislav Lavrik (Tp), Norbert Gembaczka (Org)
Chamber Choir of the Moscow Conservatory
Russian National Orchestra
Mikhail Pletnev(Cond)
スクリャービン:
交響曲第1番 ホ長調Op.26「芸術讃歌」
交響曲第4番 Op.54「法悦の詩」
スヴェトラーナ・シーロヴァ(Sop)、ミハイル・グプスキー(Ten)、
モスクワ音楽院室内合唱団(合唱指揮:アレクサンドル・ソロヴィヨフ)(#1)
ノルベルト・ゲムバチカ(Org)(#4)
ミハイル・プレトニョフ(指揮)ロシア・ナショナル管弦楽団
スクリャービンはピアノ作品において特別に目覚ましい作品群を書いた作家であるが、楽壇のメインストリームを形成したとは評価されず、割とマイナーな存在として扱われてきたと言える。また、神秘主義に傾倒していたことから難解な和声による曲が多く、独特の「神秘和音」はある一部のコアな固定ファンを持っているが一般的に知られている作家とは言えない。そのスクリャービンは生涯で管弦楽、交響曲を僅かに書いているがそれも有名ではない。その有名でない、そして録音機会も演奏機会も少ない交響曲を二つフィーチャーしたのがこの盤である。私自身、生オケで聴いたのはそれぞれ1回ずつ、手元の録音を調べるとCDは見つからず、LP時代のカセット・コピーが数本見つかった程度。なので、これを聴くのは数十年ぶり。歳を重ねた現在これらを聴くと、若い頃に感じたわだかまりと、無調性あるいはそれに類した曲への難解さに係るハードルは消えていて、ごく自然に耳に入ってくる。
1899年のことだが、スクリャービンはそれまでで最も野心的な作品=交響曲第1番=を書き始めた。この作品は依然として伝統的四楽章形式の影響を反映したものだった。1楽章ソナタ形式でアレグロ・ドラマティコ(Allegro dramatico)、次いでソナタ形式のレント、スケルツォ(ヴィヴァーチェ)、再びアレグロと続いている。しかし、スクリャービンの非凡なところは、この交響曲の構成を拡張し、導入部つまり第1楽章として遅めのテンポの曲を追加、そして彼自身の手になる歌詞に曲を付けたマーラー的な最終楽章を用意したことだ。この合唱を伴うフィナーレはこの交響曲全体の重心をなす位置付けである。
この最終楽章のテキストには、芸術の中だけで見つけることができるであろう、心の救済と統一に向けた模索の過程が記されている。これはSopとTenの二重唱で次の通り高らかに歌われ、曲は結ばれる。
"May your mighty and free spirit reign all-powerfully on earth; and humanity, lifted up by you, perform a noble deed. Come all nations of the world and let us sing praises to art!"
”地上の全能の支配者よ そなたは人を揺り動かして栄えある行いをせしむる 万人よ来たれ 芸術の許に われら芸術賛歌を歌わん”
法悦の詩は1908年12月10日にニューヨークでデビュー。というのは、ロシアで予定されていた初演はスコアが難しすぎるという理由によりキャンセルされたからだ。結局はロシアでの初演は翌年1909年2月1日に行われ、それはまさにスペクタクルであり、センセーションを引き起こした。当時、作曲法を学ぶ学生だった若きプロコフィエフが初演の様子を次のように述懐している:
ミャスコフスキーと私は隣同士に座り、大きな関心をもって法悦の詩に聴き入っていた。しかしながら、二人は演奏中の互いに違う瞬間においてこの音楽の斬新さに全くもって混乱させられてしまった。私たちの両方がよく知っていて好きな交響曲第3番「神聖な詩」をある部分で超越してしまっていると感じた。つまり、ハーモニー、テーマ素材、および対位法による声部進行に関し、我々がかつて聴いてきた何ものにも似ていなかったからだ。
法悦の詩の成り立ちについては青柳いづみこ氏のエッセイの中段に詳細な解説があるのでそちらに譲る。なお、この曲は1905年に書かれたドビュッシー:交響詩「海」に似た旋律展開と和声展開を持つ無調性現代音楽の走りとされる作品。大小の細波が押しては返すドラマティックな展開を示す単一楽章ソナタ形式の管弦楽だ。
プレトニョフ/ロシア・ナショナル管の演奏だが、精緻にして神秘、透過度が高いのにダイナミックで美しい、非の打ちどころのない出来栄え。特に、法悦の詩は殊に凄い。プレトニョフのこの種の難解な不可思議系、非和声系への造詣の深さを改めて知った。この演奏によりスクリャービンの希少な管弦楽曲の魅力が見直され、彼の名が広く知れ渡ることの一助になれば、と期待される。
(録音評)
PENTATONE PTC5186514、SACDハイブリッド。録音は2014年3月、DZZスタジオ5(モスクワ)とある。前回のマラ4も凄かったが、このスクリャービンは次元が違う。演奏の精度が極めて高いのに加え、リアルかつ広大な音場空間が完璧に創成され、そして楽器の音粒が一つ一つ飛散する様は圧巻。それに、空気感が自然に捉えられており、ホールのステージかと思われるような臨場感だ。
プレイボタンを押した瞬間、あるいは曲間の無音から立ち上がった直後の暗騒音の中に指揮者や奏者の息遣い、身振りと楽器を構えるときの些細なノイズがはっきりと刻み込まれており、異様な緊張感が伝わる。こういった異次元の超絶的録音はハイスピードなDSD方式でこそなし得るものであり、時代と技術の進歩をまざまざと見せつけられた感がある。この盤の持つ潜在能力を余すところなく引き出すには入口から出口まで吟味された装置を使用することは勿論のこと、系全体がきちんと調教され、音楽再生にこなれたコンディションを維持していることが前提となろう。

♪ よい音楽を聴きましょう ♫

マーラー:交響曲第3番ニ短調Mahler “Symphony No. 3” 100分超に及ぶ長大さ、女声合唱、児童合唱、アルト独唱と大規模な管楽器を要求するに、マーラー交響曲の中でも演奏機会に恵まれない作品ですが、音楽の内容は理解のしやすく、マーラーの“正統派な”交響曲の頂点の一つと言えます。このマーラーの交響曲第3番が、NHK交響楽団の第1824回定期演奏会で、アルトのソロにヒルギット・レンメルトを迎え、シャルル・デュトワ指揮のNHK交響楽団で演奏されました。... more