2015年 11月 18日
Mahler: Sym#4@Marc Albrecht/Netherlands PO. |
PENTATONEが続く。春の新譜でマルク・アルブレヒト率いるオランダPOが演奏するマラ4。勿論SACDハイブリッドだ。

http://tower.jp/item/3843414
Mahler: Symphony No.4
Elizabeth Watts (Sop)
Netherlands Philharmonic Orchestra, Marc Albrecht(Cond)
マーラー: 交響曲第4番ト長調
マルク・アルブレヒト(指揮)
オランダ・フィルハーモニー管弦楽団
エリザベス・ワッツ(ソプラノ)
クラシック愛好家の諸兄は骨の髄までマーラーを聴き込んでいるから当然にご存知だが、彼は精神的に変わった人物で、とても神経質、ナルシストでありながら小心で自己嫌悪に陥りやすいというセンシティブな作家だった。世には彼を精神病患者だったと断ずる人もいるが、そこまで酷くはなかった模様。彼の交響曲作品については敢えて蘊蓄を並べようとは思わない。が、ちょっとだけ述べておく。彼の曲で有名なものは多いが日本国内で有名なものを敢えて挙げると1番巨人と2番復活だろうか。ちょっと離れて8番千人の交響曲、大地の歌、9番あたりと思う。
そういった背景があったからかどうかはわからないが、彼の交響曲は大概が屹立する二つの精神的支柱を楽章ごとに対峙させる緊迫の構造を設定して書き上げたものといえる。絶望と希望が基本となっていて、そこに様々なモチーフを書きつけては緊張構造を作り出して、殆どのケースは大団円の歓喜で終わるというのが日本人には受け入れやすい造作なのかもしれない。
勿論、そういった構図にジャストフィットはしない作品もあるのだが、その典型が交響曲第4番だろう。これまで一般の人から見たものとは異なる、彼自身のまるで別の側面を描いていて、つまり大きな葛藤を内包しないのである。事実、音楽的な構成要素を見てもこの交響曲は葛藤あるいは戦いの場面が現れない。むしろ人生におけるチャイルディッシュな局面・視点と、現在から未来、いや来世へ向けての理想的な夢世界への希望だけを連ねた描写がなされているとみている。
オランダ人でマーラーの友人かつ作曲家仲間だったアルフォンス・ディーペンブロックという人物は、マーラーの全作品の中でこの4番の出自と立ち位置に関し非常に的を射た以下のようなコメントを述べている。
--
マーラーはこの世界のあらゆる繋がりから自らを隔絶し、自らの魂を昇華させ、子供ような幼稚で陽気な、あるいは神の啓示としか思われぬ神秘的な黙想によって最高の音楽的境地に達している。この作品は夢と現実を対峙させるマーラーの他の九つの交響曲への不可欠な連接点であり、記念碑的な作品とみなされる。
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マルク・アルブレヒトの指揮は実に爽やかで屈託がなくて、マーラーの楽想を完全に理解したうえで、確信犯的に蟠(わだかま)りを除去したピュアな演奏設計としているようだ。質量感がまるでなくて揺蕩うという表現がもっとも合う自然体のマラ4だ。但し、この楽団は弦楽セクションに関しては巧いのだが音が硬く、そして金管セクションのテクニックはもう一息といったクォリティであって、静謐なマラ4をやるには力量的にはちょっとどうかと思う。木管はそこそこ巧い。
実は、このアルバムにおける個人的な興味は4楽章。角笛シリーズの終楽章に登場するソプラノは、個人的には現時点で今世紀最高とレーティングするエリザベス・ワッツなのだ。ワッツは随分前だがハルモニアムンディUSAのバッハ/カンタータを録音していて、この盤には度肝を抜かれたものだ。この人の浸透性の強い、しかも単なるコロラトゥーラと片付けることのできない有機的で湿潤なソプラノは存外だった。この4楽章のためだけにこのアルバムを買うという人は割と多いのではなかろうか。私もこのソプラノが聴けたのは幸運だった。
(録音評)
PENTATONE PTC5186487、SACDハイブリッド。録音は2014年6月アムステルダムとある。録音品質と解像度に関しては新生ペンタトーンの域内にあるが、調音がちょっと変わっていてブリリアンスを強調する方向性。これは、そう、ポリヒムニアのリーダーたちが若かりし日に手掛けていたPhilipsのデジタル・クラシックシリーズ、しかも「金文字」の音世界と非常に似ている。ちょっとだけ華美に振れているけれど、SACDの品質としては他の高音質CD-DAを凌駕しうるし、現時点の国内外SACDよりも行き届いた音質。深い音場の展開や定位の鋭さ、気配感までも捉えたHi-Fi感とどこをとっても高水準である。特に気配感を醸すアンビエント成分の付加に関しては絶妙だ。
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http://tower.jp/item/3843414
Mahler: Symphony No.4
Elizabeth Watts (Sop)
Netherlands Philharmonic Orchestra, Marc Albrecht(Cond)
マーラー: 交響曲第4番ト長調
マルク・アルブレヒト(指揮)
オランダ・フィルハーモニー管弦楽団
エリザベス・ワッツ(ソプラノ)
クラシック愛好家の諸兄は骨の髄までマーラーを聴き込んでいるから当然にご存知だが、彼は精神的に変わった人物で、とても神経質、ナルシストでありながら小心で自己嫌悪に陥りやすいというセンシティブな作家だった。世には彼を精神病患者だったと断ずる人もいるが、そこまで酷くはなかった模様。彼の交響曲作品については敢えて蘊蓄を並べようとは思わない。が、ちょっとだけ述べておく。彼の曲で有名なものは多いが日本国内で有名なものを敢えて挙げると1番巨人と2番復活だろうか。ちょっと離れて8番千人の交響曲、大地の歌、9番あたりと思う。
そういった背景があったからかどうかはわからないが、彼の交響曲は大概が屹立する二つの精神的支柱を楽章ごとに対峙させる緊迫の構造を設定して書き上げたものといえる。絶望と希望が基本となっていて、そこに様々なモチーフを書きつけては緊張構造を作り出して、殆どのケースは大団円の歓喜で終わるというのが日本人には受け入れやすい造作なのかもしれない。
勿論、そういった構図にジャストフィットはしない作品もあるのだが、その典型が交響曲第4番だろう。これまで一般の人から見たものとは異なる、彼自身のまるで別の側面を描いていて、つまり大きな葛藤を内包しないのである。事実、音楽的な構成要素を見てもこの交響曲は葛藤あるいは戦いの場面が現れない。むしろ人生におけるチャイルディッシュな局面・視点と、現在から未来、いや来世へ向けての理想的な夢世界への希望だけを連ねた描写がなされているとみている。
オランダ人でマーラーの友人かつ作曲家仲間だったアルフォンス・ディーペンブロックという人物は、マーラーの全作品の中でこの4番の出自と立ち位置に関し非常に的を射た以下のようなコメントを述べている。
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マーラーはこの世界のあらゆる繋がりから自らを隔絶し、自らの魂を昇華させ、子供ような幼稚で陽気な、あるいは神の啓示としか思われぬ神秘的な黙想によって最高の音楽的境地に達している。この作品は夢と現実を対峙させるマーラーの他の九つの交響曲への不可欠な連接点であり、記念碑的な作品とみなされる。
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マルク・アルブレヒトの指揮は実に爽やかで屈託がなくて、マーラーの楽想を完全に理解したうえで、確信犯的に蟠(わだかま)りを除去したピュアな演奏設計としているようだ。質量感がまるでなくて揺蕩うという表現がもっとも合う自然体のマラ4だ。但し、この楽団は弦楽セクションに関しては巧いのだが音が硬く、そして金管セクションのテクニックはもう一息といったクォリティであって、静謐なマラ4をやるには力量的にはちょっとどうかと思う。木管はそこそこ巧い。
実は、このアルバムにおける個人的な興味は4楽章。角笛シリーズの終楽章に登場するソプラノは、個人的には現時点で今世紀最高とレーティングするエリザベス・ワッツなのだ。ワッツは随分前だがハルモニアムンディUSAのバッハ/カンタータを録音していて、この盤には度肝を抜かれたものだ。この人の浸透性の強い、しかも単なるコロラトゥーラと片付けることのできない有機的で湿潤なソプラノは存外だった。この4楽章のためだけにこのアルバムを買うという人は割と多いのではなかろうか。私もこのソプラノが聴けたのは幸運だった。
(録音評)
PENTATONE PTC5186487、SACDハイブリッド。録音は2014年6月アムステルダムとある。録音品質と解像度に関しては新生ペンタトーンの域内にあるが、調音がちょっと変わっていてブリリアンスを強調する方向性。これは、そう、ポリヒムニアのリーダーたちが若かりし日に手掛けていたPhilipsのデジタル・クラシックシリーズ、しかも「金文字」の音世界と非常に似ている。ちょっとだけ華美に振れているけれど、SACDの品質としては他の高音質CD-DAを凌駕しうるし、現時点の国内外SACDよりも行き届いた音質。深い音場の展開や定位の鋭さ、気配感までも捉えたHi-Fi感とどこをとっても高水準である。特に気配感を醸すアンビエント成分の付加に関しては絶妙だ。

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by primex64
| 2015-11-18 23:20
| Symphony
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