J.S.Bach: Partitas #4,6 Etc.@Yoko Kaneko |
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J.S.Bach:
Partita No.4 in D Major, BWV828
Ouverture, Allemande, Courante, Aria, Sarabande, Menuet, Gigue
Fantasia and Fugue in A minor, BWV904
Fantasia, Fugue
French Suite No.5 in G major, BWV816
Allemande, Courante, Sarabande, Gavotte, Bourree, Loure, Gigue
Partita No.6 in E minor, BWV830
Toccata, Allemande, Corrente, Air, Sarabande, Tempo di Gavotta, Gigue
Yoko Kaneko, Fortepiano(built by Christopher Clarke in 2004, afte Anton Walter)
J.S.バッハ:
パルティータ 第4番 BWV828 ニ長調
幻想曲とフーガ BWV904 イ短調
フランス組曲 第5番 BWV816 ト長調
パルティータ 第6番 BWV830 ホ短調
金子陽子(フォルテピアノ)
使用楽器:アントン・ワルター/クリストファー・クラーク(2004年製)
周知のことであるが、バッハは鍵盤楽器のための作品を非常に多く書いた。当時の鍵盤楽器とはオルガンとチェンバロを意味し、一方のオルガンはその殆どが教会礼拝堂へ作りつけられた特殊な環境下にあった。一方、アンサンブルにも参加可能な可搬型の鍵盤楽器といえばもっぱらチェンバロを指した。それ以外、現代ピアノに匹敵する多様な表現能力を備えた本格的な楽器は存在しなかったとされている。
チェンバロは、弦を爪で引っ掻いて発音するメカニズムであり、打鍵の工夫によって音の強弱を付けたりニュアンスを付けることはほぼ不可能だった。演奏会で広く使われていたチェンバロに対し、主として家庭空間における私的な嗜みのための楽器としてクラヴィコードという楽器があった。この楽器はタンジェントと呼ぶハンマー様の錘で弦を叩いて発音する機構であったため打鍵の強弱によって音の強弱を付けることが可能であったが、音域はせいぜいで4オクターブ、また卓上使用を前提としていたため躯体が小型で音量はとても小さく、これは大きめのトイピアノと思えばだいたい間違いはないだろう。
音域的にも音量的にも音楽堂での演奏に向く寸法だったチェンバロには音の強弱が付けられないという大きなウィークポイントがあったわけで、これに対して小型で小音量、狭音域ではあるけれどもクラヴィコードの豊かな表現能力に着目した演奏家、楽器職人は少なくなく、これら二つの特色が融合するのは時間の問題だったわけだ。このあたりの事情が日本語版のライナーノートに丁寧に記載されており、その解説はルネ・ボーパン、翻訳は金子陽子とある。長いので大意を要約して以下に記しておく。
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ハンマーで叩く原理を持った比較的大型の楽器はフィレンツェの楽器職人、バルトロメオ・クリストフォリ(1655-1731)によって実現された。これをもってクリストフォリをピアノの発明者と認定している音楽学者が大多数だ。但し、ハンマーやダンパーを精緻に制御するメカニズムは複雑となったことにより莫大な生産コストがかかり、また生産台数もごく限られたものであったとされる。
複雑なアクション機構に簡略化の道を開いたのは、あの高名なオルガン製作者であるゴットフリート・ジルバーマン(1683-1753)であった。彼の初期の試作楽器は1730年代半ば頃にバッハに使われることになったが、バッハは高域弦の響きの不足と鍵盤のタッチの重さを問題視したとされる。それから相当期間が経過した1747年、ジルバーマンの改良楽器は再びバッハに弾かれることとなる。それはポツダム王宮でプロシアのフリードリヒ大王の前での演奏機会であった。フリードリヒが短い主題を示したものをバッハがアレンジして即興で弾くというもので、この時バッハは王の主題から変奏した三声のフーガをすかさず披露したという。これが現在にまで残されている名作=音楽の捧げものの原点であったことは言うまでもない。
この演奏が余りに見事であったため、バッハは相前後してジルバーマン作のフォルテピアノを所有して弾き慣れていたのではないかと推測されているようだ。更に、先に述べた王の主題による変奏を多声フーガの大作として完成させるまでの間、フォルテピアノの特性を明らかに意識した作曲をしていたというのが確実視されている。つまり晩年を迎えたこの頃のバッハは強弱の付く新しいフォルテピアノを駆使してチェンバロ協奏曲の連作を書き、実際にもフォルテピアノを使って演奏していたのではなかろうかと推測されるのだ。
これらの史実と状況証拠を総合すれば、バッハはフォルテピアノの存在は当然に知っていて、なおかつそれを実際に使用して作曲・演奏していたことは確実である。この前提に立てば、晩年のバッハのクラヴィーア作品をフォルテピアノで演奏することで悠久の時を超えて彼の構想した音楽とサウンドが忠実に再現できるだろうし、また現代ピアノ演奏による激しい違和感も解消できるのはないかと期待したのだ。
今回の録音に使用したフォルテピアノは、クリストファー・クラークが2004年に製作した18世紀末のアントン・ワルターによる楽器のレプリカである。全体が木製で、金属枠を全く使用していないことから、倍音の構成や大きさなどは、バッハがその50年程前に弾いていたフォルテピアノにより近いと言える。
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このCDは、晩年のバッハがフォルテピアノを知っていて、なおかつこれを使って作曲および演奏をしていた、との有力な仮説に基づく時代考証と研究成果をもとに構成されたパルティータその他の同時代の作品集だ。金子陽子という人はなかなかに理論家なのだが、それ以上に演奏テクニックが素晴らしく、また、単にピリオド・アプローチという一言では片付けられないエモーショナルな解釈、また心象的にも深い隈取の演奏をする人だ。
結論的にいうと彼女の考証にある通り、抑揚がある程度付くことを前提とした譜面だったと窺がわれる興味深い内容だ。パルティータ4番は、明瞭かつ明媚、そしてめりはりのある、ほぼマルカートに徹した演奏。序曲に続きアルマンド、クーラント、アリア、サラバンド、メヌエット、ジーグで構成。ほぼ全ては当時のしきたりどおり舞曲から構成しているがアリアだけが異質で、これは詠唱の曲だ。いずれも歯切れ・思い切りが良くて思わずトランスするような畳みかける演奏だ。
このアルバムの最後に位置する、余りに有名なパルティータ6番はやはり他の例に漏れず重厚だ。そして金子が好んで弾くこの楽器の特質なのかもしれないが陰翳が非常に濃くて驚かされる。少し物悲しく侘しくもある各楽章の主題は周到に準備されたテンポとデュナーミクで紡がれる。味わいが深いというべきか沈み込むときの浸透圧が強いというべきか、なんだか、この美音のフォルテピアノの波動でもって全身が満たされるのである。舞曲を原型として書かれているこの6番もまた当時の作法に従った作りだが、イタリア風ということでコレンテ(フランス風の4番ではクーラント)、やはり詠唱のエール(フランス式ではアリア)と記載され、その後はサラバンド、この曲の場合はガヴォット、ジーグで閉じられる。とても満足な演奏で、これまたトランスする執拗なスタッカート、シンコペーションが耳の奥に残像としてずっと残るのだ。
途中に挟まるフランス組曲の明媚さは今まで聴いたこの曲の中でも数本の指に数えるべき出来栄え。可能なら即座に全曲を聴いてみたいところだ。純粋チェンバロでは得られない、さりとて現代ピアノのように事大がからない強弱方向のアーティキュレーションがとても典雅で奥ゆかしい。しかし、主張するところと引くところが明晰に区分されたこの金子の解釈の優秀性の方が耳に残るのだ。音圧レベル的に強弱が付かないチェンバロで弾くこの曲と、強弱がつけられるフォルテピアノで弾く場合とでは余裕度が違う。無論、広大なダイナミックレンジを前面に押し出す現代ピアノによる演奏もいいのだが、こういった密やかなレンジのエンシェント楽器で味わうのもいいものだ。
(録音評)
MA Recordings MAJ510、通常CD。2014年7月 ポール・ロワイヤル修道院、フランスとある。編集とマスタリングはMAの総帥=タッド・ガーフィンクル。ワンポイントで5.6MHz DSDレコーディング。使用マイクは米谷淳一氏による無志向性振動版、DC電源のライン出力仕様、ケーブルはクリスタルケーブルとある。色艶が明確なブリリアンスで満たされた音場空間は素晴らしい。そして、楽器の捉え方が終始ニュートラルな距離感であり、オーディオ系を重視したこの種のアルバムではオンマイク+音像肥大が典型的なのだがこの録音はちょっと様子が違っていてどちらの形質も備えているのだ。つまり、どっぷりと聴きたいときには左右スピーカーに近付いてニアフィールド・リスニングすると音像は肥大化し、その逆の場合にはバッフル面から距離を離せば離すほど音像は中央に寄り奥行きも出るのだ。音色だが、非常に綺麗な艶が乗るのはマニア受けするもの。しかし根底ではこういった室内楽録音の正しい定石が堅持されており、結ぶ音像はコンパクト、かつ音場展開も自然に広くて安心できるもの。
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