2015年 02月 27日
Rimsky Korsakov: Scheherazade Op.35 Etc.@Jos van Immerseel/Anima Eterna |
これも昨夏のリリースから、インマゼール/アニマ・エテルナのシェエラザード他。発売元はZig-zag Territoiresというインマゼールのプライベート・レーベルとなる。実はこの盤は10年前に同一内容で一度リリースされており、今回はリ・イシュー盤となるもの。青い特徴的なジャケットの絵柄には見覚えがあった。

http://tower.jp/item/3662440/
Rimsky Korsakov:
Scheherazade, Op. 35
Russian Easter Festival Overture, Op. 36
Borodin:
In the Steppes of Central Asia
Prince Igor: Polovtsian Dances
Midori Seiler(solo Vn)
Anima Eterna, Jos van Immerseel
リムスキー=コルサコフ:
交響組曲 シェエラザード Op.35
海とシンドバッドの船
カレンダー王子の物語
王子と王女
バグダットの祭り、海、青銅の騎士の立つ岩での難破、終曲
序曲 ロシアの復活祭 Op.36
ボロディン:
交響詩 中央アジアの草原にて
イーゴリ公 - ダッタン人の踊り
ミドリ・ザイラー(ヴァイオリン・ソロ)
アニマ・エテルナ、ジョス・ヴァン・インマゼール(指揮)
昭和中期、私がまだ小学校高学年だった頃の光景が思い出されてこの盤に思わず手が伸びた。大昔のことを書いても詮無いのだが、戦前からの商家であった実家の応接間に古風なセパレート・ステレオがあって、父親が夕食後に展覧会の絵や禿山の一夜、チャイコフスキーのVnコン、その後にはだいたい決まってシェラザード、中央アジアの草原にて、韃靼人の踊り、などのレコードをよく聴いていた。あの当時これらを長時間聴くには20分ほどのインターバルでLP盤を裏返したり掛け替えたりと随分と煩雑だったものだ。
新聞を開いては中共やソ連の批判を弄していた典型的な保守、つまり自民党支持者であった父親がソ連(今のロシア)の音楽を聴くのは不思議に思ったものだ。またドフトエフスキーの本を仕事の合間によく読んでいて反社会主義(=というか反ソ連体制)的な思想を応援していたようでもあった。そんな時期があったものだから聴覚の奥深いところにはこれらロシア民族楽派の特徴的な旋律が焼き付いていたということなのかもしれない。
インマゼール率いるアニマ・エテルナはピリオド楽器(古楽器)を集結させた厳格なオリジナル主義を貫く楽団として異彩を放っている。彼らはつとに有名なのでこれ以上コメントはしない。なお、ソロVnを弾いているミドリ・ザイラーは、前回取り上げたシュタインバッハーと同様、日系ドイツ人。いわば、今回は日系ドイツ人を取り上げる2回目。
ミドリ・ザイラーはドイツ人の父親と日本人の母親の間で大阪に生まれた。両親はともに演奏家であり、二人はジュリアード留学中に知り合って結ばれたという。その後両親は欧州での演奏機会とモーツァルテウムでの教職を得てミドリの幼少期に一家揃ってザルツブルクへ移住する。それからかなり経った現在、ザイラー夫妻の子供たちはそれぞれが自立し、一人を除き全員がプロ演奏家となっている。
ザイラーという苗字は、関西方面ではザイラー・ピアノデュオとして有名なのではなかろうか。現在の妻=カズコ・ザイラー(まさだ和子=桐朋高校を経てモーツァルテウムへ進学)は京都府出身ということからか、夫=エルンスト・ザイラーと共に日本へ舞い戻り、現在でも京都府の山間部に暮らしながら旺盛に音楽活動をしているという。エルンストの先妻(=小木曽美枝=ジュリアードへ留学)には4人の子があり、カズコとの間の一男一女と合わせて6人の子がいるそうだ。なおミドリは死別した先妻との末娘。長男を除く彼女らはそれぞれ大きさの異なる弦楽器を専攻しており、現在でも日本以外の世界各地で活動している。時折家族一緒に集まって演奏会をやっているそうだ。ミドリは幼少期からずっとオーストリア/ドイツで過ごしており、現在ではベルリン古楽アカデミー・オーケストラの首席Vnを務める。その傍ら、主義思想の合うインマゼールとの交流を通じアニマ・エテルナとの共演も多いようだ。
1987年に創設されたアニマ・エテルナはインマゼールのライフワークとして当初はバッハの協奏曲に取り組んでいたが、それが一段落した後はモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどを時系列的に取り上げてきた。昨今では19~20世紀の作品群に取り組んでいるところで、この盤ではロシアの大家であるリムスキー=コルサコフとボロディンを取り上げている。
世にはピリオド・アプローチを自称する楽団はあまた存在する。志を同じくしたメンバーが集まり最初は小規模なバロックからスタートしたものの、レパートリーの拡大途上で設立趣旨から次第に外れていって普通のロマン派オケに成り下がったというところもある。例えばウィーン・コンツェントゥス・ムジクスはアーノンクールの拡大路線によりそういった経過を辿った典型と言える。また、ピリオドの残り香が強く感じられるけれども、その拡大路線からいずれ凡庸なところへ着地しそうな気配なのがOAE(エイジ・オヴ・インライトゥメント管弦楽団)。
反面、頑強なまでにピリオド路線を堅持し、レパートリーを選びながら当初の血筋を絶やさない楽団としてはレ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル・グルノーブル(ルーヴル宮廷音楽隊)(ミンコフスキ)、 レ・シエクル(グザヴィエ・ロト)、 シャンゼリゼ管弦楽団(フィリップ・ヘレヴェッヘ)などが挙げられる。
では、アニマ・エテルナはどうなんだというと間違いなく後者の仲間であり、それも筋金入りの屈強さだ。管楽器が作曲/初演当時のもので用意されているのは勿論、Vn等の弦楽器に張る弦までも時代性を吟味しているそうだ。そして演奏スタイルだが、アゴーギクをストイックに排除してデュナーミクだけで情感起伏を象(かたど)るスタイルを貫徹、そして独奏を除き全てのパートでヴィブラートは原則禁止して音程管理を厳格化、アインザッツ/リリースの同時性と小節の頭揃えの管理を徹底している。
その結果、弦楽隊のユニゾンも和声も恐ろしく清澄となり、作家が譜面に籠めた本来の旋律がホログラフィーのように三次元的に浮き出てくる。真っ直ぐな持続音には一切の混濁はなくて、たとえ強奏部を迎えても飽和・破綻とも一切観察されず、とにかくすっきりと嫌みのないサウンドに仕上がっているのだ。シェエラザードはダイナミックレンジの広大な作品であるけれども、最弱部でもビームが強く放散され、そして最強部でも全体のポートフォリオが崩れず、そしてタイムラグなく瞬時に吹け上がる。厳格な時間軸管理という点においては旋律の溜めを一切作らず直進するので、普通のシェエラザードの演奏とはプレゼンスが大いに異なり、ところどころでは全く違う曲ではないかと錯覚するほどだ、それくらいに異色で変わったシェエラザードなのだが、これは大いに気に入った。一切のべたつきを排除した筋肉質でハイスピードなシェエラザードは何度聴いても食傷せず、また聴きたくなってくるという麻薬のような習慣性がある。なお、ここでいうハイスピードとはテンポが速いという意味ではなくて、音価(音符)が遷移する時の反応が正確で素早い、即ち過渡特性に優れているという意味だ。
ソロをとるミドリ・ザイラーは、他のバロック・ヴァイオリンには例がないほど寒色系かつ緻密で精妙な音を発する。そして先日のシュタインバッハーのようなロマン派ソリストの発する馥郁とした甘美な音は全く出さない。ソロパートゆえヴィブラートは軽くかけてはいるが襞は浅くて直進性が極めて強い剛健なパッセージが主体。どういった弦を張っているかはわからないが渋く研ぎ澄まされた透明な正弦波がビームとなってこちらに真っ直ぐ向かってくる。アゴーギクといえるほどの時間軸の揺らぎは殆ど感じられないが、クイックで微細な独特の節回しが観察され、これがかなり快感で癖になりそうだ。全体的な印象としてはタイトでアキュレート、辛口の曲想であって、敢えて例えるならファウストやポッジャーが弾くバッハ無伴奏のような厳しさがある。シェエラザードは協奏曲ではないのでミドリの出番は多くはないが、それでも要所には必ずソロVnが登場する設定なのでちょいちょい現れてはクールな弦捌きを披瀝する。
このアルバムの曲はどれもが素晴らしく甲乙はつけがたい。だが、シェエラザードを除いて敢えて挙げるとするなら、"中央アジアの草原にて"だろうか。ミドリのタイトな独奏Vnは聴けないのだが。この曲はシンプルで、コーカサスの風景を模したと思われる寂寥感のある、だけれどもどこか勇壮な第一主題、暗鬱でデモーニッシュ、どことなくアジアン・テーストな第二主題が交代で現れては主役をとるという展開。コーダ部に至り、この二つの全く似ていない主題の旋律が上下左右に分かれてリチェルカーレを形成し同時演奏されるという仕掛けだ。主旋律にフィーチャーされている木管隊、すなわちOb、Cl、Fg、Flに加えて部分的にHr、Tpも活躍する。彼らが奏でる第一主題が限りなく細く透き通っていて、草原の上を吹き渡る風の爽やかさを想像させられる。勿論コーカサスには行ったことはないし、この曲が描写しているような茫洋たる草原の風景が現在でも広がっているか否かもわからないのだが。
(録音評)
Zig-zag Territoires(ジグザグ・テリトワール)ZZT050502、通常CD。 録音は前述の通り古く、2004年6月1-3日、場所はブリュッヘ、コンサートホール(コンセルトヘボウ)とある。この再販盤が10年前のマスターのままなのか、あるいはリマスターしたものなのかは定かではない。いずれであったにせよ音質は極上の解像度であり、ヘッドホンで微細に検聴してもその優秀性には舌を巻く。音場空間は広大であり、主力である弦楽隊の揺るがない音程を具(つぶさ)に捕え、そこに重なってくる金管、木管、そしてグランカッサ等の打楽器隊の発する球面波が非常にリアルかつ僅かな時間差を伴って容赦なく襲ってくる。質感からいうと芯の通ったPCM録音であり、そこからハイビット・ハイサンプリングの結果得られたビット折り畳み信号を生成して組み込んだものと判断される。演奏がハイスピードであることは上述の通りだが、録音もまたまぎれもなくシュアなハイスピードであり、この盤はロシア民族楽派ファン、オーディオファンの双方にお勧めできるもの。10年前の優秀な音源がこういった形で再度リリースされるのは喜ばしい限りだ。
1日1回、ここをポチっとクリック ! お願いします。
♪ よい音楽を聴きましょう ♫

http://tower.jp/item/3662440/
Rimsky Korsakov:
Scheherazade, Op. 35
Russian Easter Festival Overture, Op. 36
Borodin:
In the Steppes of Central Asia
Prince Igor: Polovtsian Dances
Midori Seiler(solo Vn)
Anima Eterna, Jos van Immerseel
リムスキー=コルサコフ:
交響組曲 シェエラザード Op.35
海とシンドバッドの船
カレンダー王子の物語
王子と王女
バグダットの祭り、海、青銅の騎士の立つ岩での難破、終曲
序曲 ロシアの復活祭 Op.36
ボロディン:
交響詩 中央アジアの草原にて
イーゴリ公 - ダッタン人の踊り
ミドリ・ザイラー(ヴァイオリン・ソロ)
アニマ・エテルナ、ジョス・ヴァン・インマゼール(指揮)
昭和中期、私がまだ小学校高学年だった頃の光景が思い出されてこの盤に思わず手が伸びた。大昔のことを書いても詮無いのだが、戦前からの商家であった実家の応接間に古風なセパレート・ステレオがあって、父親が夕食後に展覧会の絵や禿山の一夜、チャイコフスキーのVnコン、その後にはだいたい決まってシェラザード、中央アジアの草原にて、韃靼人の踊り、などのレコードをよく聴いていた。あの当時これらを長時間聴くには20分ほどのインターバルでLP盤を裏返したり掛け替えたりと随分と煩雑だったものだ。
新聞を開いては中共やソ連の批判を弄していた典型的な保守、つまり自民党支持者であった父親がソ連(今のロシア)の音楽を聴くのは不思議に思ったものだ。またドフトエフスキーの本を仕事の合間によく読んでいて反社会主義(=というか反ソ連体制)的な思想を応援していたようでもあった。そんな時期があったものだから聴覚の奥深いところにはこれらロシア民族楽派の特徴的な旋律が焼き付いていたということなのかもしれない。
インマゼール率いるアニマ・エテルナはピリオド楽器(古楽器)を集結させた厳格なオリジナル主義を貫く楽団として異彩を放っている。彼らはつとに有名なのでこれ以上コメントはしない。なお、ソロVnを弾いているミドリ・ザイラーは、前回取り上げたシュタインバッハーと同様、日系ドイツ人。いわば、今回は日系ドイツ人を取り上げる2回目。
ミドリ・ザイラーはドイツ人の父親と日本人の母親の間で大阪に生まれた。両親はともに演奏家であり、二人はジュリアード留学中に知り合って結ばれたという。その後両親は欧州での演奏機会とモーツァルテウムでの教職を得てミドリの幼少期に一家揃ってザルツブルクへ移住する。それからかなり経った現在、ザイラー夫妻の子供たちはそれぞれが自立し、一人を除き全員がプロ演奏家となっている。
ザイラーという苗字は、関西方面ではザイラー・ピアノデュオとして有名なのではなかろうか。現在の妻=カズコ・ザイラー(まさだ和子=桐朋高校を経てモーツァルテウムへ進学)は京都府出身ということからか、夫=エルンスト・ザイラーと共に日本へ舞い戻り、現在でも京都府の山間部に暮らしながら旺盛に音楽活動をしているという。エルンストの先妻(=小木曽美枝=ジュリアードへ留学)には4人の子があり、カズコとの間の一男一女と合わせて6人の子がいるそうだ。なおミドリは死別した先妻との末娘。長男を除く彼女らはそれぞれ大きさの異なる弦楽器を専攻しており、現在でも日本以外の世界各地で活動している。時折家族一緒に集まって演奏会をやっているそうだ。ミドリは幼少期からずっとオーストリア/ドイツで過ごしており、現在ではベルリン古楽アカデミー・オーケストラの首席Vnを務める。その傍ら、主義思想の合うインマゼールとの交流を通じアニマ・エテルナとの共演も多いようだ。
1987年に創設されたアニマ・エテルナはインマゼールのライフワークとして当初はバッハの協奏曲に取り組んでいたが、それが一段落した後はモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどを時系列的に取り上げてきた。昨今では19~20世紀の作品群に取り組んでいるところで、この盤ではロシアの大家であるリムスキー=コルサコフとボロディンを取り上げている。
世にはピリオド・アプローチを自称する楽団はあまた存在する。志を同じくしたメンバーが集まり最初は小規模なバロックからスタートしたものの、レパートリーの拡大途上で設立趣旨から次第に外れていって普通のロマン派オケに成り下がったというところもある。例えばウィーン・コンツェントゥス・ムジクスはアーノンクールの拡大路線によりそういった経過を辿った典型と言える。また、ピリオドの残り香が強く感じられるけれども、その拡大路線からいずれ凡庸なところへ着地しそうな気配なのがOAE(エイジ・オヴ・インライトゥメント管弦楽団)。
反面、頑強なまでにピリオド路線を堅持し、レパートリーを選びながら当初の血筋を絶やさない楽団としてはレ・ミュジシャン・デュ・ルーヴル・グルノーブル(ルーヴル宮廷音楽隊)(ミンコフスキ)、 レ・シエクル(グザヴィエ・ロト)、 シャンゼリゼ管弦楽団(フィリップ・ヘレヴェッヘ)などが挙げられる。
では、アニマ・エテルナはどうなんだというと間違いなく後者の仲間であり、それも筋金入りの屈強さだ。管楽器が作曲/初演当時のもので用意されているのは勿論、Vn等の弦楽器に張る弦までも時代性を吟味しているそうだ。そして演奏スタイルだが、アゴーギクをストイックに排除してデュナーミクだけで情感起伏を象(かたど)るスタイルを貫徹、そして独奏を除き全てのパートでヴィブラートは原則禁止して音程管理を厳格化、アインザッツ/リリースの同時性と小節の頭揃えの管理を徹底している。
その結果、弦楽隊のユニゾンも和声も恐ろしく清澄となり、作家が譜面に籠めた本来の旋律がホログラフィーのように三次元的に浮き出てくる。真っ直ぐな持続音には一切の混濁はなくて、たとえ強奏部を迎えても飽和・破綻とも一切観察されず、とにかくすっきりと嫌みのないサウンドに仕上がっているのだ。シェエラザードはダイナミックレンジの広大な作品であるけれども、最弱部でもビームが強く放散され、そして最強部でも全体のポートフォリオが崩れず、そしてタイムラグなく瞬時に吹け上がる。厳格な時間軸管理という点においては旋律の溜めを一切作らず直進するので、普通のシェエラザードの演奏とはプレゼンスが大いに異なり、ところどころでは全く違う曲ではないかと錯覚するほどだ、それくらいに異色で変わったシェエラザードなのだが、これは大いに気に入った。一切のべたつきを排除した筋肉質でハイスピードなシェエラザードは何度聴いても食傷せず、また聴きたくなってくるという麻薬のような習慣性がある。なお、ここでいうハイスピードとはテンポが速いという意味ではなくて、音価(音符)が遷移する時の反応が正確で素早い、即ち過渡特性に優れているという意味だ。
ソロをとるミドリ・ザイラーは、他のバロック・ヴァイオリンには例がないほど寒色系かつ緻密で精妙な音を発する。そして先日のシュタインバッハーのようなロマン派ソリストの発する馥郁とした甘美な音は全く出さない。ソロパートゆえヴィブラートは軽くかけてはいるが襞は浅くて直進性が極めて強い剛健なパッセージが主体。どういった弦を張っているかはわからないが渋く研ぎ澄まされた透明な正弦波がビームとなってこちらに真っ直ぐ向かってくる。アゴーギクといえるほどの時間軸の揺らぎは殆ど感じられないが、クイックで微細な独特の節回しが観察され、これがかなり快感で癖になりそうだ。全体的な印象としてはタイトでアキュレート、辛口の曲想であって、敢えて例えるならファウストやポッジャーが弾くバッハ無伴奏のような厳しさがある。シェエラザードは協奏曲ではないのでミドリの出番は多くはないが、それでも要所には必ずソロVnが登場する設定なのでちょいちょい現れてはクールな弦捌きを披瀝する。
このアルバムの曲はどれもが素晴らしく甲乙はつけがたい。だが、シェエラザードを除いて敢えて挙げるとするなら、"中央アジアの草原にて"だろうか。ミドリのタイトな独奏Vnは聴けないのだが。この曲はシンプルで、コーカサスの風景を模したと思われる寂寥感のある、だけれどもどこか勇壮な第一主題、暗鬱でデモーニッシュ、どことなくアジアン・テーストな第二主題が交代で現れては主役をとるという展開。コーダ部に至り、この二つの全く似ていない主題の旋律が上下左右に分かれてリチェルカーレを形成し同時演奏されるという仕掛けだ。主旋律にフィーチャーされている木管隊、すなわちOb、Cl、Fg、Flに加えて部分的にHr、Tpも活躍する。彼らが奏でる第一主題が限りなく細く透き通っていて、草原の上を吹き渡る風の爽やかさを想像させられる。勿論コーカサスには行ったことはないし、この曲が描写しているような茫洋たる草原の風景が現在でも広がっているか否かもわからないのだが。
(録音評)
Zig-zag Territoires(ジグザグ・テリトワール)ZZT050502、通常CD。 録音は前述の通り古く、2004年6月1-3日、場所はブリュッヘ、コンサートホール(コンセルトヘボウ)とある。この再販盤が10年前のマスターのままなのか、あるいはリマスターしたものなのかは定かではない。いずれであったにせよ音質は極上の解像度であり、ヘッドホンで微細に検聴してもその優秀性には舌を巻く。音場空間は広大であり、主力である弦楽隊の揺るがない音程を具(つぶさ)に捕え、そこに重なってくる金管、木管、そしてグランカッサ等の打楽器隊の発する球面波が非常にリアルかつ僅かな時間差を伴って容赦なく襲ってくる。質感からいうと芯の通ったPCM録音であり、そこからハイビット・ハイサンプリングの結果得られたビット折り畳み信号を生成して組み込んだものと判断される。演奏がハイスピードであることは上述の通りだが、録音もまたまぎれもなくシュアなハイスピードであり、この盤はロシア民族楽派ファン、オーディオファンの双方にお勧めできるもの。10年前の優秀な音源がこういった形で再度リリースされるのは喜ばしい限りだ。

♪ よい音楽を聴きましょう ♫
by primex64
| 2015-02-27 00:01
| Orchestral
|
Trackback
|
Comments(0)