Sacrifices: Carissimi: Historia di Jepthe Etc.@David Bates/La Nuova Musica |
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Sacrifices
Brossard: Symphonies pour le Graduel SDB229
Charpentier: Le Reniement de Saint Pierre, H 424
Brossard: Symphonies pour le Graduel SDB228
Charpentier: Sacrificium Abrahae H 402
Brossard: Sonate en trio SDB221
Carissimi: Historia di Jepthe
La Nuova Musica, David Bates
ブロッサール: 昇階唱のための交響曲(ニ長調)[SDB.229]
シャルパンティエ: 聖ペテロの否認[H.424]
ブロッサール: 昇階唱のための交響曲(ト短調)[SDB.228]
シャルパンティエ: アブラハムの生贄[H.402]
ブロッサール: トリオ・ソナタ(ニ長調)[SDB.221]
カリッシミ: エフタの物語
デヴィッド・ベイツ(指揮)ラ・ヌオヴァ・ムジカ
このアルバムの名称であるSacrificeとは、一般に犠牲と邦訳されるが、ここでのより具体的な意味としては捧げ物、もっと端的にいうと生贄ということになる。指揮および音楽プロデュースのデイヴィッド・ベイツはバロック中期の宗教的オラトリオのなかから鮮烈でドラマティックな作品をピックアップしてこのプログラム=以下の3つの胸を刺すような苛烈で悲しい否認(裏切り)および生贄の物語=を用いて構成した。
(1)聖ペテロの否認
有名な「最後の晩餐」の後、キリストはペテロに「お前は鶏が鳴く前に3度、私を知らないというだろう」と予言し、ペテロは「それは絶対にない」と否定する。しかしキリストが翌日捕えられて連行され、ペテロがその様子をうかがっていると、周囲から「お前はキリストの弟子だろう」と詰問されると「違う」と否認する。ペテロは再三問われ、3度目に否認した直後に鶏が甲高く鳴き、その声を聞いてペテロはキリストが言っていた予言を思い出し慙愧の涙に暮れる。この場面は「ペテロの否認」として、レンブラントなどが絵画に描いているが、このアルバムではオラトリオで再現している。
(2)アブラハムの生贄
旧約聖書の創世記 22章1節から19節にかけて記述されているアブラハムの逸話のこと。不妊の妻サラとの間に年老いてから生まれた一人息子イサクを生贄に捧げるよう彼が信じる神によって命じられるというもの。この試練を乗り越えたことでアブラハムは模範的な信仰者としてユダヤ教徒、キリスト教徒、並びにイスラム教徒によって今日でも讃えられている。結末はこうだ。アブラハムは準備を整え生贄を捧げる山の麓まで来る。息子に生贄用の薪を背負わせ、自分はナイフと火を手に進んで行く。途中、イサクが尋ねる。「お父さん。薪と火はあります。でも生贄の子羊はどこにいるのですか。」アブラハムは答える。「息子よ。主は生贄の子羊を必ず用意して下さるのだ。」 目的地に到着し、アブラハムは祭壇を作って薪を積み上げると 息子のイサクを縛って祭壇の薪の上に横たえた。アブラハムがナイフに手をのばし、我が子を生贄にしようとした瞬間、 天使がアブラハムを呼ぶ。「アブラハム!アブラハム!息子を手にかけてはならない。 お前は私の声に従ってたったひとりの息子でさえも私に捧げることを惜しまなかったからだ。」アブラハムが周りを見ると 一匹の牡羊が藪に角をとられているのが見えたのでその羊を捕え生贄として捧げた。天使がまた言う。「お前は神の言葉に従った。 お前は自分のたった一人の子をも惜しまなかった。 だから、私はお前を大いに祝福する。お前の子孫を天の星のように、浜辺の砂粒のように増やそう。お前の子孫によって地上の全ての民が祝福される。」
(3)エフタの物語
旧約聖書の士師記11章に出てくるエフタと娘の物語。エフタはヨルダン川東岸のイスラエル・ギレアド生まれ。エフタは父が遊女に産ませた子供であった。疎まれて家を追い出されたが、後に腕っ節の強さと親分肌が人望を集め、ヨルダン川東岸の領土紛争をしていたアンモン人たちとの戦争の先頭に立つこととなる。エフタは決戦を前に神に戦勝を祈願し誓いを立てる。「神よ、どうかアンモン人との戦いに勝利させてください。もし戦いに勝って私が無事に戻ることができたなら、その時、家から最初に迎えに出てくる者をあなたへの生贄として献げます。」戦いはエフタ軍の圧勝。大勝利をあげ意気揚々と凱旋した。エフタの家から真っ先に飛び出して彼を迎えた人の姿を見てエフタは愕然とする。それはまだ幼さの残る少女=たったひとりの肉親である自分の娘=が出迎えるために駆け寄ってきたのだ。二か月の猶予期間ののちエフタは神に誓った通り一人娘を焼いて生贄として神に献げた。
ブロッサールは1655~1730年、シャルパンティエは1643~1704年、カリッシミは1605~1674年の生涯であり、前回取り上げたフランドル楽派よりも一世紀ほど新しい時代の作家たち。合唱を主とした宗教的な音楽はその間に器楽による伴奏を従えるという形態がある程度浸透し、歌唱の一部に関しては厳格対位法の痕跡が認められるものの弦やオルガンなどは通奏的な使い方であって、この役割分担については紛れもなくモノフォニーを志向したものである。
バロック中期のオラトリオは初めて聴いた。オペラやオペレッタとは異なり一つ一つのシーンが短く、そのため順序立ててテキストを追いかけながら聴くのが容易で、これはこれで割と楽しい。扱っているテキスト/内容が絶望の淵に沈むほど暗くて重いのであるが、メロディーや和声には思いのほかそれほどの悲愴感はない。どのオラトリオも作家は違えども似た形式の展開を示すし、使われている作曲技法も類似のものと思われる。殆どの場面ではデイヴィッド・ベイツが指揮を執りながら通奏低音とカウンター部を小型オルガンで付けてアクセントとしているし、バロックVnやテオルボによる対旋律の付け方もほぼ同じ流儀。
なお、ブロッサールの器楽小品が途中に挟まっているが、これは幕間の間奏曲としての位置付けであってデイヴィッド・ベイツが雰囲気的に繋がりが良くなるようにとフィーチャーしたものと推測する。ぽろんぽろんと憂愁に満ちたテオルボの響きが印象的であり、幕間として使用するにはもったいない立派な作品。
ラ・ヌオヴァ・ムジカはイギリスで設立され、ロンドンヘンデル国際フェスティバル、スピタルフィールズ国際フェスティバル、およびオールドバラ国際フェスティバルの常連であり、昨今では国際的にその存在が認められるに至ったとある。Harmonia Mundi USAに対しては既に5枚以上の録音を残しているらしいが、今回初めて聴いた。なるほど、こういった声楽を含む古楽アンサンブルとしては卒なく美しい演奏だし、だいいち器楽も歌も巧いのだ。コーラスについてはどのパートの歌手も声量がたっぷりあるだけでなく低歪で透明度が高いのはワールドクラスで通用している証だろう。
(録音評)
Harmonia Mundi USA HMU807588、SACDハイブリッド。録音は2014年1月 St. John's, Smith Square, London、2012年10月 Snape Maltings, Suffolk, UKとある。録音スタッフはBrad MichelとRobina C. Youngのコンビ。音質については今更云々すべき余地はない完璧なもので、ここまで人の気配がする録音は今やHMUレーベルの専売特許とでもいえるもの。先のAll Hallows教会よりも寒色系で引き締まった空間感は物凄く魅力的だ。
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