Scriabin: Complete Etudes@Andrei Korobeinikov |
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Scriabin: Complete Etudes
Étude Op.2 No.1 in C sharp minor
12 Etudes for piano, Op. 8
8 Etudes, Op.42
Étude Op.49 No.1 in E flat major
Étude Op.56 No.4
Three Etudes Op.65 (1911/1912)
Piano Sonata No.7, Op.64 'White Mass'
Andrei Korobeinikov (Pf)
スクリャービン: 練習曲集(全曲)
練習曲嬰ハ短調Op.2-1
12の練習曲Op.8
8つの練習曲Op.42
練習曲変ホ長調Op.49-1
練習曲変ホ長調Op.56-4
3つの練習曲Op.65
ピアノ・ソナタ第7番「白ミサ」Op.64
アンドレイ・コロベイニコフ(ピアノ)
このアルバムは、スクリャービンの数多くの作品群の中から特にエチュードと題された作品たち、および後期ソナタに着目し、彼が歩んだライフステージと鍵盤楽器との技術的相関性、更にスクリャービンの和声に対する語法とその進化をテーマの中心に据えて構成されたものであり、若年期にショパンより受けた影響から晩年に無調性の境地に至るまでの過程を時系列的に示している。特に、スクリャービンの書いた10曲のソナタのうちの7番目、白ミサは晩年の1912年に書かれた作品。これは彼の全作品中で一つの頂点をなすものであり、20世紀に到達するであろう音世界を遠く見据えた孤高の傑作と言えよう。
コロベイニコフについては数年前にショスタコのPコンが演奏/録音ともに出色で、MusicArena Awards 2012 - Sound of the yearに選定したほど。彼はその超絶技巧のみならず精神性、感情表現の多彩さ/繊細さにおいても群を抜いた能力を持っており、現代若手ピアニストの中では最高峰のうちの一人と言って過言ではない。その彼が満を持して自らの最得意フィールドであるスクリャービンを掘り下げたこのCDは素晴らしい出来栄えだ。
Op.2-1およびOp.8の12曲については、スクリャービンがいわゆる「ロシアのショパン」と評される根源となったロマンティックでアンニュイな作品群。Op.8はスクリャービンが22~23歳の時の作品で、当時の彼の後援者の一人であったペテルブルグ音楽院のべリャーエフが内容の優秀さから出版を勧めたとされる。スクリャービンがべリャーエフに宛てた書簡の中で、この練習曲集はショパンのOp.10ないしOp.12を規範とし、12曲で1つのテーマを成すように構成したとの記述が見られ、実際にもショパンの影響が少なくなかったものと考証されている。
コロベイニコフのここでの演奏の白眉は11番変ロ短調、そして有名な12番嬰ニ短調である。特に12番に関してはショパンのOp.10-12革命と似た曲想であり、執拗なオクターブ奏法と離散音程、左手の強打・連打が特徴のエモーショナルな作品で、心が打ち震える慟哭に似た叫びが聴かれる。ここまではオーソドックスな有調性有拍子の作品であり、ままショパンに似た風情と言ってよい。但し、ショパンのほうが旋律が世俗的であり、スクリャービンの旋律は透徹されたクールなもの。
Op.42の8曲セットについては20世紀初頭の作曲で、この作品を手掛ける直前まで彼はモスクワ音楽院のピアノ教授の職にあった。作曲に専念するために職を辞したすぐ後の作品。この頃、あるいはちょっと前からスクリャービンの和声への嗜好が変わってきていたようで、神秘主義的な和声への語法を確立するまでの過渡的、試作的な位置づけの作品と言えようか。
ほぼ全編にポリリズムが認められ、複雑で多感な拍子と飛翔感の強い跳躍和声が組み合わさった独特の空気感が特徴だ。ここでは既にショパンの影響と呪縛は見られず、寧ろ、どちらかというとフォーレやドビュッシーといったフランス印象楽派の全音音階に似た危うさを秘めた秀作と思う。コロベイニコフのここでの白眉はやはり有名な5番を挙げておこう。周波数レンジもダイナミックレンジも広い左手の受け持ち領域に対し、右手は肉声部(主旋律)と内声部(対旋律)を交錯して扱う必要があり、かつ一部においてはポリリズムの拍子が不明瞭となるなど破綻箇所もあったりと、スクリャービンの作品のなかでも難曲中の難曲だ。コロベイニコフの左手の打鍵圧は恐らく限界に近い強度だが混濁は認められず、また煩瑣な右手の多重動作は呪術的ともいえる統率力を保っており、スクリャービンがこの時代に目指していた透過度の高い音楽性を高度に再現しているといってよいだろう。というか、こういったメロディーラインの曲だったことを初めて知った次第。
Op.49以降は無調性となっている。Op.65は1912年、スイスでの作曲。彼が目指した神秘主義的な音楽をほぼ体現した晩年では頂点を成す作品の一つと言える。7度あるいは9度のディミニッシュを多用した飛翔感に満ちた独特の世界は若い頃の作品とはまるで別人の作風であり、ピカソの絵の時代的変貌と近しいものを感じる。こういう変わった和声進行の語法を含む遺伝子はのちのプロコフィエフやメシアン、ベルク等へと引き継がれていったと物の本には書いてあった。
最後の白ミサは、スクリャービン自身が好んで演奏したという単一楽章形式のソナタである。そしてこの愛称は彼自身がこのソナタを白ミサと称したことがそのまま引き継がれているもの。前のOp.65と同じ1912年の作曲。この作品あたりから最晩年に至るまでは、音楽に対する精神的な動機づけが奇妙というか、毒々しい自己愛と変質狂的な偏った理解・定義づけに立脚するようになってくる。この作品の根底のテーマは「万物は一者から生じ、後にそこへ回帰する」という宇宙システムの普遍だと言い、これは理解の域を殆ど超えているのだ。
ただ、そういった背景を知らず虚心坦懐に聴くと、このデモーニッシュなソナタからは色んな音たちが響いてきてこれはこれで乙なものである。あるところはマーラーの角笛に似た風情だったり、あるところはガーシュウィンのコンチェルトin Fのモチーフだったり、和声だってドビュッシー的なところとショーソン的なところが相和して聴こえてきたりと、恐らくは意識して取り込まれた要素ではないものの、彼が生きた前後の音楽世界が縮図のように詰まっている無調性曲なのだ。コロベイニコフの勇猛な演奏も大胆な捉え方も素晴らしいものであることは言うまでもない。
居ながらにして体験する、スクリャービンの生涯を追う音の旅のような聴き応えのするアルバムであり、また、コロベイニコフの精妙で内面的な、そして深い彫琢を施したピアニズムが存分に楽しめる素晴らしい出来栄えの作品である。
(録音評)
MIRARE MIR218、通常CD。録音は2013年5月21-23日、ミュンヘン、バイエルン放送局第1スタジオとある。これはMIRAREとバイエルン放送の共同制作であり、ライナーにはBRのロゴがクレジットされている。音質は、まさに透徹された美しく澄み渡った音色・音場であり、コロベイニコフの打鍵術の巧妙さはもとより完璧に調律されたスタインウェイの音の美しさ、実力を如実に表したものと言えそうだ。録音方式がハイレゾのDSDであるとかPCMであるとかといった技術的な側面を超越した現代ピアノ録音の最高到達点の一つと言っておこう。素晴らしいのひとこと。
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