2014年 09月 29日
Hindemith: Viola Works@Antoine Tamestit, Paavo Järvi/hr SO |
今年の年初のnaïveの新譜で、没後50周年となるパウル・ヒンデミットのVa(ヴィオラ)作品集。Va独奏は今や中堅のホープとなったアントワン・タメスティ、後半のオケはパーヴォ・ヤルヴィ指揮のhr交響楽団(旧フランクフルト放送響)。

http://tower.jp/item/3343170/
Hindemith: Viola Works
Sonata for Viola & Piano in F major, Op.11 No.4
Sonata for Solo Viola, Op.25 No.1
Der Schwanendreher
Trauermusik
Antoine Tamestit (Va)
Markus Hadulla (Pf, Op.11)
hr Symphony Orchestra(Frankfurt Radio Symphony Orchestra), Paavo Järvi
ヒンデミット:
・ヴィオラ・ソナタ ヘ長調 Op.11-4
・無伴奏ヴィオラ・ソナタ Op.25-1
・白鳥を焼く男
・葬送音楽
アントワン・タメスティ(Va)
マルクス・ハドゥラ(Pf)
パーヴォ・ヤルヴィ(指揮)、hr交響楽団(旧フランクフルト放送交響楽団)
ヒンデミット(Paul Hindemith)は前世紀ドイツを代表する現代作家であり、ヴィオリスト、指揮者としても高名だった。Va以外の弦楽器、木管楽器やPfの演奏にも秀でていたそうで、このキャリアからかオケを構成する殆ど全ての独奏楽器のための曲を書いていて、現在においてもマイナーな独奏楽器奏者からリスペクトされている所以だ。勿論、他に例があまりないVaのための曲も数多く書いている。
一次大戦の後、後期ロマン派の終焉を宣言して目指したのは新即物主義、新古典主義なる様式であった。その後オペラ「画家マチス」を書いたが、これがナチスの意に沿う作品ではないものと批判を浴び、頽廃主義者とのレッテルを貼られて迫害される運命となる。1935年にトルコ政府から請われてアンカラ音楽院の開校に従事、その後1938年にスイスへ亡命、更に1940年にはアメリカに亡命した。亡命後はエール大学の教授に着任し、二次大戦後の1953年にスイス/オーストリアへ戻り、ウィーン音楽院で教鞭を執るに至った。1963年、故郷ドイツ/フランクフルトにて死去。
そういえば、五嶋みどりは、昨年8月リリースのNDR北ドイツ放送響/クリストフ・エッシェンバッハ指揮のヒンデミット作品集(ONDINE ODE-1214)においてソリストを務め、このアルバムが第56回グラミー賞(2014年1月27日発表)で最優秀クラシック・コンペンディアム賞を受賞した、というのは記憶に新しい。最近、なにかとヒンデミットの名を耳にするのは気のせいだけではなさそうだ。
一方、タメスティの優れた音楽性と演奏に関してはちょっと前から着目しており、ショスタコ/シュニトケ作品集、ベルリオーズのイタリアのハロルドが良かった。特に後者は録音も非常に優秀でSound of the Year 2011に選定しているほど。
ヒンデミットが目指した新古典主義とは、即ち、無調性の12音やトーンクラスタによらない現代曲を意味するらしく、確かにここに収録されている作品は無調性に近い有調性、有拍子であり、どちらかというと斬新で先例に囚われない不協和音、それに載せて紡がれる特異かつ飛翔感のある旋律が特徴と言える。
冒頭はPf伴奏によるVa独奏ソナタで、分厚くて柔らかなタメスティの弦から放たれるビロードの音が縦横無尽に空間を埋めて行く。明媚で美しい協和音主体の箇所と、どろっと混濁した不協和音に乗せた無調性的な箇所が交互に現れる複雑系の楽曲だ。ヒンデミットの目指した作風(新古典主義)は、恐らくは純と不純、明と暗が交錯しつつ両者が鬩ぎ合ってバランスするというものなのだろうが、こういった妙味がダイレクトに反映された佳作だ。こういったダイアログにおいてはVnではなくて、やはり少し太目のVaがナラティブで合っていると思う。Pfには共演歴が長いというマルクス・ハドゥラを起用。
中ほどは無伴奏Va独奏となっており、これはどちらかというとバッハの無伴奏シリーズというよりかは、情感的にはイザイの無伴奏に近く、バルトークの不可思議系の和声/旋律進行に範に取ったような翳りがある作品。不協和音なのにノーブルで快い響きに聴こえてくるのは不思議なところ。この曲に限らずヒンデミットの作品にはそういった不条理な魅力があって、全然調和しているはずのない不協和音がなんとも綺麗に調和して聴こえるのだ。
後半は小編成オケを背景とした一種のコンチェルトとなっている。白鳥を焼く男は題材を古い民謡の旋律から取ったとされる作品。独奏Va以外の弦楽隊はVcとCbに絞り、木管+金管、打楽器隊はにティンパニ+ハープといったところでちょっと変わった編成だ。だが、これだけでも和声の厚みは十二分に増しており聴き応えするサウンドとなる。パーヴォのリードはどちらかというとソリッドで直進的だけれどもタメスティのVaは朗々として柔和、曲面的な描き方であって、そのコントラストが却ってタメスティのヴィルトゥオージティを際立たせる演出となっている。
最後の葬送音楽は、聴く者の心の襞の奥底にまで透過してくるような瞑想的で美しい旋律、そして沈痛な不協和音と摩訶不思議な崩れた旋律が相半ばするのが特徴。パーヴォの静謐なタクトのもとで静かに紡がれるhr響のバック、タメスティの主旋律が空間全体に浸透していく。キングインターの販促テキストによれば、2011年に新日フィルとタメスティが共演した折には、予定のプログラムに先んじてこの曲の最終楽章・・・1分30秒ほど・・・を震災犠牲者への追悼として演奏し、讃嘆の喝采を集めたそうだ。短い作品だがなんともいい難い気持ちにさせてくれる寂寥感が支配する佳曲。
(録音評)
naïve V5329、通常CD。2012年12月、2013年4、9月、ヘッセン放送協会(フランクフルト)。録音機材に関しては、マイク:DPA、Neumann、Schoeps、プリアンプとA/DはLawo MC66、録音/編集システムはSequoiaとある。これもまた新世代のPC録音の類だが、音質に関しては昔のdCS時代を思わされる高密度で稠密なもの。まぎれもないハイレゾながら、周波数レンジが上下で圧縮されたような雰囲気なのだ。しかしよくよく聴き込むと上下端とも恐ろしいほどに延びていることに気が付く。例えるならDVD-Audioのような濃密なサウンドといえようか。音場に関しては大きなホール感をちゃんと捉えていて器楽音が美しく飛散し、和声が広大な空間に綺麗に浸透する。
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http://tower.jp/item/3343170/
Hindemith: Viola Works
Sonata for Viola & Piano in F major, Op.11 No.4
Sonata for Solo Viola, Op.25 No.1
Der Schwanendreher
Trauermusik
Antoine Tamestit (Va)
Markus Hadulla (Pf, Op.11)
hr Symphony Orchestra(Frankfurt Radio Symphony Orchestra), Paavo Järvi
ヒンデミット:
・ヴィオラ・ソナタ ヘ長調 Op.11-4
・無伴奏ヴィオラ・ソナタ Op.25-1
・白鳥を焼く男
・葬送音楽
アントワン・タメスティ(Va)
マルクス・ハドゥラ(Pf)
パーヴォ・ヤルヴィ(指揮)、hr交響楽団(旧フランクフルト放送交響楽団)
ヒンデミット(Paul Hindemith)は前世紀ドイツを代表する現代作家であり、ヴィオリスト、指揮者としても高名だった。Va以外の弦楽器、木管楽器やPfの演奏にも秀でていたそうで、このキャリアからかオケを構成する殆ど全ての独奏楽器のための曲を書いていて、現在においてもマイナーな独奏楽器奏者からリスペクトされている所以だ。勿論、他に例があまりないVaのための曲も数多く書いている。
一次大戦の後、後期ロマン派の終焉を宣言して目指したのは新即物主義、新古典主義なる様式であった。その後オペラ「画家マチス」を書いたが、これがナチスの意に沿う作品ではないものと批判を浴び、頽廃主義者とのレッテルを貼られて迫害される運命となる。1935年にトルコ政府から請われてアンカラ音楽院の開校に従事、その後1938年にスイスへ亡命、更に1940年にはアメリカに亡命した。亡命後はエール大学の教授に着任し、二次大戦後の1953年にスイス/オーストリアへ戻り、ウィーン音楽院で教鞭を執るに至った。1963年、故郷ドイツ/フランクフルトにて死去。
そういえば、五嶋みどりは、昨年8月リリースのNDR北ドイツ放送響/クリストフ・エッシェンバッハ指揮のヒンデミット作品集(ONDINE ODE-1214)においてソリストを務め、このアルバムが第56回グラミー賞(2014年1月27日発表)で最優秀クラシック・コンペンディアム賞を受賞した、というのは記憶に新しい。最近、なにかとヒンデミットの名を耳にするのは気のせいだけではなさそうだ。
一方、タメスティの優れた音楽性と演奏に関してはちょっと前から着目しており、ショスタコ/シュニトケ作品集、ベルリオーズのイタリアのハロルドが良かった。特に後者は録音も非常に優秀でSound of the Year 2011に選定しているほど。
ヒンデミットが目指した新古典主義とは、即ち、無調性の12音やトーンクラスタによらない現代曲を意味するらしく、確かにここに収録されている作品は無調性に近い有調性、有拍子であり、どちらかというと斬新で先例に囚われない不協和音、それに載せて紡がれる特異かつ飛翔感のある旋律が特徴と言える。
冒頭はPf伴奏によるVa独奏ソナタで、分厚くて柔らかなタメスティの弦から放たれるビロードの音が縦横無尽に空間を埋めて行く。明媚で美しい協和音主体の箇所と、どろっと混濁した不協和音に乗せた無調性的な箇所が交互に現れる複雑系の楽曲だ。ヒンデミットの目指した作風(新古典主義)は、恐らくは純と不純、明と暗が交錯しつつ両者が鬩ぎ合ってバランスするというものなのだろうが、こういった妙味がダイレクトに反映された佳作だ。こういったダイアログにおいてはVnではなくて、やはり少し太目のVaがナラティブで合っていると思う。Pfには共演歴が長いというマルクス・ハドゥラを起用。
中ほどは無伴奏Va独奏となっており、これはどちらかというとバッハの無伴奏シリーズというよりかは、情感的にはイザイの無伴奏に近く、バルトークの不可思議系の和声/旋律進行に範に取ったような翳りがある作品。不協和音なのにノーブルで快い響きに聴こえてくるのは不思議なところ。この曲に限らずヒンデミットの作品にはそういった不条理な魅力があって、全然調和しているはずのない不協和音がなんとも綺麗に調和して聴こえるのだ。
後半は小編成オケを背景とした一種のコンチェルトとなっている。白鳥を焼く男は題材を古い民謡の旋律から取ったとされる作品。独奏Va以外の弦楽隊はVcとCbに絞り、木管+金管、打楽器隊はにティンパニ+ハープといったところでちょっと変わった編成だ。だが、これだけでも和声の厚みは十二分に増しており聴き応えするサウンドとなる。パーヴォのリードはどちらかというとソリッドで直進的だけれどもタメスティのVaは朗々として柔和、曲面的な描き方であって、そのコントラストが却ってタメスティのヴィルトゥオージティを際立たせる演出となっている。
最後の葬送音楽は、聴く者の心の襞の奥底にまで透過してくるような瞑想的で美しい旋律、そして沈痛な不協和音と摩訶不思議な崩れた旋律が相半ばするのが特徴。パーヴォの静謐なタクトのもとで静かに紡がれるhr響のバック、タメスティの主旋律が空間全体に浸透していく。キングインターの販促テキストによれば、2011年に新日フィルとタメスティが共演した折には、予定のプログラムに先んじてこの曲の最終楽章・・・1分30秒ほど・・・を震災犠牲者への追悼として演奏し、讃嘆の喝采を集めたそうだ。短い作品だがなんともいい難い気持ちにさせてくれる寂寥感が支配する佳曲。
(録音評)
naïve V5329、通常CD。2012年12月、2013年4、9月、ヘッセン放送協会(フランクフルト)。録音機材に関しては、マイク:DPA、Neumann、Schoeps、プリアンプとA/DはLawo MC66、録音/編集システムはSequoiaとある。これもまた新世代のPC録音の類だが、音質に関しては昔のdCS時代を思わされる高密度で稠密なもの。まぎれもないハイレゾながら、周波数レンジが上下で圧縮されたような雰囲気なのだ。しかしよくよく聴き込むと上下端とも恐ろしいほどに延びていることに気が付く。例えるならDVD-Audioのような濃密なサウンドといえようか。音場に関しては大きなホール感をちゃんと捉えていて器楽音が美しく飛散し、和声が広大な空間に綺麗に浸透する。

♪ よい音楽を聴きましょう ♫
by primex64
| 2014-09-29 00:58
| Orchestral
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