2014年 08月 12日
Mahler: Sym#7@Eliahu Inbal/TMSO |
Extonの春の新譜で、マラ7夜の歌。前回に引き続き国内オケ、国内録音のSACDハイブリッド。それにしても、Extonの盤は暫く買っておらず本当に久しぶりだ。

http://tower.jp/item/3472270/
Mahler: Symphony No.7
1. Langsam (Adagio)
2. Nachtmusik. Allegro moderato
3. Scherzo. Schattenhaft - Trio
4. Nachtmusik. Andante amoroso
5. Rondo-Finale. Tempo 1
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra
Eliahu Inbal(Cond)
マーラー:交響曲第7番「夜の歌」
エリアフ・インバル(指揮)
東京都交響楽団
在京オケは多数ある。その中でも東京を冠する楽団は都響を筆頭に、思いつくだけでも東響(東京交響楽団=元の東宝楽団)、東フィル(新星日本と合併)、東京シティ・フィルなどが挙げられる。昨今気を吐いているのがこの都響で、インバルを2008年から主席として招聘してからは(今年からは桂冠)評判が良い。その中でもマーラー・チクルスは一定の成果を挙げているようで、識者からの評価も高いものがある。残念ながら私は聴いたことがなかったが。
というわけで、春にリリースされたExtonの新譜にマラ7夜の歌を見つけたので買ってみた。そのわけは、以前から述べているようにマラ7は不可思議で理解不能ともいえる困難な作品であり、この曲をどうまとめるかによりオケおよび指揮者の力量、あるいは譜読みの深さ、解釈や語法といった側面が審らかになるであろうと考えたからだ。
冒頭楽章は太めのHrが象徴するようにしっかりとした歩調で始まり、楽章の終わりまでその骨太さが続く。太いだけではなくて細部の見通しも良好で、相当に微細な部分にまで目を光らせたリードを行っているのが随所で聴き取れる。要は一本調子に陥ることなく、アゴーギクを適切に使ってテンポを微妙に揺らすことで飽きずに聴けるようになっている。都響の金管隊はそこそこ巧い。
2楽章と4楽章のいわゆる夜の歌は、平坦になりがちなところ、これまたルバートをうまく配することにより深い彫りを基底とした、やるせなく鬱々とした暖色系の闇を描いて見せる。間に挟まるスケルツォは軽快さの中にも丹念さが認められ、荒れた部分が微塵もない綺麗で滑らかな展開。しかしポップに弾むことと矛盾しないような持って行き方はさすがだ。
唐突に始まる終楽章の色彩感はワールドクラスの出来栄えであり、指揮者以外がオールジャパンの面々とするならば過去最高クラスのマラ7フィナーレと言えようか。今までにも何度も書いているように、この終楽章は2~4楽章とは連続性が薄くて、いきなり冒頭楽章との循環形式が提示される格好だが、ここでのインバルは、そういった形式を一切無視してまるで別の曲として扱っているようだ。これまでに抑圧されてきたエナジーを一気に開放するこの場面は他の名録音と比較してもかなり良い。
全体を通じて言えるのは、やはりインバルの老獪な指導・育成と一種一流の解釈技法の伝授に尽きると言っておこう。彼はユダヤの流れを汲んだ人物でありながらマーラーという作家の美点をちゃんと理解して少しでも世に知らしめようという気概が強いようだ。そういった点において過去に起きた国家間の悲しい衝突や民族間の迫害の歴史というのは音楽を通して濾過されていく気がしたのだ。
各楽章を通じて共通して感じられるのが丁寧なソステヌートと大胆なリタルダンドである。これは、特に金管隊に言えることなのであるが、譜面指定よりも心持ち長めに維持することにより次のパッセージへの繋がりが良くなると同時に現行フレーズとは別の表情へと瞬時に切り替えることを可能としている。こういった謂わば「交響曲の紡ぎ方」とでもいう、いかにも地味な抑揚のつけ方ひとつから都響を指導しているのが奏功しているような気がする。都響が他の在京オケとプレゼンスがちょっと違うのはこのインバルの存在があるからだと思うのだ。
この演奏を少しだけ過去の録音と比較してみた。ブーレーズ/クリーブランドよりは明らかに動的であって抑揚が効いている。一方、ゲルギエフ/LSOも動的なのだが、インバルはこれほど急いではおらず、従ってゲルが細くてドライでクール、インバルは太くウェットでウォームに感じられる。もう一つ、動的というか劇的なのでいうとヤンソンス/BRSOが挙げられる。これと比べるとインバルの方はちょっと温度感が低いかもしれないが、ドラマティックであるかどうかという点においては両者肉薄している。因みにもう一つ、MTT/SFSOというのがあるのだが、色々な意味においてこれとは比べない方が良いだろう。
参考までに、blogの知り合いであるゆうけいさんがまとめられたマラ7の研究プロジェクト その1、その2についてもリンクを貼っておく。
(録音評)
Exton OVCL-00517、SACDハイブリッド。録音は2013年11月8日 横浜・みなとみらいホール、11月9日 東京劇術劇場とある。慎重に聴き込んでみたが両者のホールの特徴はうまくバランスするように溶け込ませてあるようで、たとえば楽章ごとにどちらのホール、というふうには明確に区分して録り分けてはいないようだ。但し、1楽章と5楽章のff(フォルティッシモ)における寒色系の空間感と残響の長さについては池袋の芸劇と思われ、2~4楽章の随所で聴かれる弦のすすり泣き、木管の甘美なアンビエント成分についてはみなとみらいホールのメロウな音質に合致している。
録音の出来映えだが、国内録音/国内マスタリングとしては優秀だ。超低域がブロードに捉えられているのと音場空間の広がりが奥手方向へ展開していて自然な録り方だ。但し、定位が今一つ甘くて、たとえば金管や木管の位置がふわふわするし、1stVnとVc、Va、そして2ndVnの位置が交錯して混ざっていてゆらゆらする。とはいっても、以前のExtonよりも完成度が数段上がっており、これならば欧州の超高音質レーベルに伍していくことが辛うじて可能かと思われる。マイクの向け方がもうちょっと思慮深ければ完璧だったのに、惜しい仕上がりだ。
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♪ よい音楽を聴きましょう ♫

http://tower.jp/item/3472270/
Mahler: Symphony No.7
1. Langsam (Adagio)
2. Nachtmusik. Allegro moderato
3. Scherzo. Schattenhaft - Trio
4. Nachtmusik. Andante amoroso
5. Rondo-Finale. Tempo 1
Tokyo Metropolitan Symphony Orchestra
Eliahu Inbal(Cond)
マーラー:交響曲第7番「夜の歌」
エリアフ・インバル(指揮)
東京都交響楽団
在京オケは多数ある。その中でも東京を冠する楽団は都響を筆頭に、思いつくだけでも東響(東京交響楽団=元の東宝楽団)、東フィル(新星日本と合併)、東京シティ・フィルなどが挙げられる。昨今気を吐いているのがこの都響で、インバルを2008年から主席として招聘してからは(今年からは桂冠)評判が良い。その中でもマーラー・チクルスは一定の成果を挙げているようで、識者からの評価も高いものがある。残念ながら私は聴いたことがなかったが。
というわけで、春にリリースされたExtonの新譜にマラ7夜の歌を見つけたので買ってみた。そのわけは、以前から述べているようにマラ7は不可思議で理解不能ともいえる困難な作品であり、この曲をどうまとめるかによりオケおよび指揮者の力量、あるいは譜読みの深さ、解釈や語法といった側面が審らかになるであろうと考えたからだ。
冒頭楽章は太めのHrが象徴するようにしっかりとした歩調で始まり、楽章の終わりまでその骨太さが続く。太いだけではなくて細部の見通しも良好で、相当に微細な部分にまで目を光らせたリードを行っているのが随所で聴き取れる。要は一本調子に陥ることなく、アゴーギクを適切に使ってテンポを微妙に揺らすことで飽きずに聴けるようになっている。都響の金管隊はそこそこ巧い。
2楽章と4楽章のいわゆる夜の歌は、平坦になりがちなところ、これまたルバートをうまく配することにより深い彫りを基底とした、やるせなく鬱々とした暖色系の闇を描いて見せる。間に挟まるスケルツォは軽快さの中にも丹念さが認められ、荒れた部分が微塵もない綺麗で滑らかな展開。しかしポップに弾むことと矛盾しないような持って行き方はさすがだ。
唐突に始まる終楽章の色彩感はワールドクラスの出来栄えであり、指揮者以外がオールジャパンの面々とするならば過去最高クラスのマラ7フィナーレと言えようか。今までにも何度も書いているように、この終楽章は2~4楽章とは連続性が薄くて、いきなり冒頭楽章との循環形式が提示される格好だが、ここでのインバルは、そういった形式を一切無視してまるで別の曲として扱っているようだ。これまでに抑圧されてきたエナジーを一気に開放するこの場面は他の名録音と比較してもかなり良い。
全体を通じて言えるのは、やはりインバルの老獪な指導・育成と一種一流の解釈技法の伝授に尽きると言っておこう。彼はユダヤの流れを汲んだ人物でありながらマーラーという作家の美点をちゃんと理解して少しでも世に知らしめようという気概が強いようだ。そういった点において過去に起きた国家間の悲しい衝突や民族間の迫害の歴史というのは音楽を通して濾過されていく気がしたのだ。
各楽章を通じて共通して感じられるのが丁寧なソステヌートと大胆なリタルダンドである。これは、特に金管隊に言えることなのであるが、譜面指定よりも心持ち長めに維持することにより次のパッセージへの繋がりが良くなると同時に現行フレーズとは別の表情へと瞬時に切り替えることを可能としている。こういった謂わば「交響曲の紡ぎ方」とでもいう、いかにも地味な抑揚のつけ方ひとつから都響を指導しているのが奏功しているような気がする。都響が他の在京オケとプレゼンスがちょっと違うのはこのインバルの存在があるからだと思うのだ。
この演奏を少しだけ過去の録音と比較してみた。ブーレーズ/クリーブランドよりは明らかに動的であって抑揚が効いている。一方、ゲルギエフ/LSOも動的なのだが、インバルはこれほど急いではおらず、従ってゲルが細くてドライでクール、インバルは太くウェットでウォームに感じられる。もう一つ、動的というか劇的なのでいうとヤンソンス/BRSOが挙げられる。これと比べるとインバルの方はちょっと温度感が低いかもしれないが、ドラマティックであるかどうかという点においては両者肉薄している。因みにもう一つ、MTT/SFSOというのがあるのだが、色々な意味においてこれとは比べない方が良いだろう。
参考までに、blogの知り合いであるゆうけいさんがまとめられたマラ7の研究プロジェクト その1、その2についてもリンクを貼っておく。
(録音評)
Exton OVCL-00517、SACDハイブリッド。録音は2013年11月8日 横浜・みなとみらいホール、11月9日 東京劇術劇場とある。慎重に聴き込んでみたが両者のホールの特徴はうまくバランスするように溶け込ませてあるようで、たとえば楽章ごとにどちらのホール、というふうには明確に区分して録り分けてはいないようだ。但し、1楽章と5楽章のff(フォルティッシモ)における寒色系の空間感と残響の長さについては池袋の芸劇と思われ、2~4楽章の随所で聴かれる弦のすすり泣き、木管の甘美なアンビエント成分についてはみなとみらいホールのメロウな音質に合致している。
録音の出来映えだが、国内録音/国内マスタリングとしては優秀だ。超低域がブロードに捉えられているのと音場空間の広がりが奥手方向へ展開していて自然な録り方だ。但し、定位が今一つ甘くて、たとえば金管や木管の位置がふわふわするし、1stVnとVc、Va、そして2ndVnの位置が交錯して混ざっていてゆらゆらする。とはいっても、以前のExtonよりも完成度が数段上がっており、これならば欧州の超高音質レーベルに伍していくことが辛うじて可能かと思われる。マイクの向け方がもうちょっと思慮深ければ完璧だったのに、惜しい仕上がりだ。

♪ よい音楽を聴きましょう ♫
by primex64
| 2014-08-12 00:02
| Symphony
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Trackback
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Comments(2)

こんにちは。こんな高尚なレビューにリンクを張っていただいてお恥ずかしい限りです。インバルはDENONというイメージがあったのですが、今回はエクストンから出たのですね。
そう言えば先日小澤征爾さんと村上春樹さんの対談で小澤さんが「7番は一番わけがわからない」とおっしゃってました。
そう言えば先日小澤征爾さんと村上春樹さんの対談で小澤さんが「7番は一番わけがわからない」とおっしゃってました。
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リンクの件はお知らせしなければ、と思っていてかまけておりました。済みません・・。
都響/インバルは2012年からマーラー・チクルスを1番から順にEXTONで録っていて、7番まで来ています。来年にはコンプしそうですね。
あー、小澤さんの感想はご尤もで、正直なところなんだと思いますね。無理に意味付けをみいだそうという試み自体が意味がないことなのかもしれません。
都響/インバルは2012年からマーラー・チクルスを1番から順にEXTONで録っていて、7番まで来ています。来年にはコンプしそうですね。
あー、小澤さんの感想はご尤もで、正直なところなんだと思いますね。無理に意味付けをみいだそうという試み自体が意味がないことなのかもしれません。