Debussy: Preludes Book 1 Etc@Nino Gvetadze |
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Nino Gvetadze plays Debussy
Debussy:
Arabesque No. 1
Arabesque No. 2
Preludes - Book 1 (12, complete)
Clair de Lune (from Suite Bergamasque)
Estampes (3) (Complete)
Nino Gvetadze (Pf)
ニーノ・グヴェターゼ ドビュッシー作品集
1.アラベスク 第1番
2.アラベスク 第2番
3.前奏曲 第1巻: デルフォイの舞姫
4.前奏曲 第1巻: 帆
5.前奏曲 第1巻: 野を渡る風
6.前奏曲 第1巻: 音と香りは夕べの大気の中に漂う
7.前奏曲 第1巻: アナカプリの丘
8.前奏曲 第1巻: 雪の上の足あと
9.前奏曲 第1巻: 西風の見たもの
10.前奏曲 第1巻: 亜麻色の髪のおとめ
11.前奏曲 第1巻: さえぎられたセレナーデ
12.前奏曲 第1巻: 沈める寺
13.前奏曲 第1巻: パックの踊り
14.前奏曲 第1巻: 吟遊詩人
15.版画: パゴダ
16.版画: グラナダの夕べ
17.版画: 雨の庭
18.ベルガマスク組曲より「月の光」
ニーノ・グヴェターゼ(ピアノ)
ニーノ・グヴェターゼはグルジアのトビリシ出身で1981年生まれというから今年で33歳ということになる。地元の音楽大学を卒業後はオランダに本拠を移してPaul Komen、Jan Wijnに師事し、その後、欧米やアジアなどを舞台に国際的な演奏活動を始めている。彼女の経歴で最も着目すべきは、International Franz Liszt Piano Competition 2008(第8回フランツ・リスト国際ピアノ・コンクール)で2位に入ったことだろう(同時にPress Prize、Audience Awardも受賞)。
リスト・コンクールは1986年創設の割と新しい国際コンペティションであるが、日本ではショパン・コンクールだけがクローズアップされていてリストのほうはまだ殆ど知られていない。今まででいうと、1989年(第2回)にAkimoto Satomiが5位、1992年(第3回)にSeino Naoyoが5位、1996年(第4回)に奈良田朋子が3位、 1999年(第5回)に岡田将が優勝(因みにこの時の3位はユンディ・リー)、前回の2011年(第9回)には後藤正孝が優勝しており、日本人ピアニストはかなり健闘しているのだ。
グヴェターゼはこのドビュッシー以前には3枚のアルバム(展覧会の絵、ラフマニノフのプレリュード、リスト作品集)をリリースしており、いずれも欧州での評価は高いようだ。残念ながら私はこれらの前作は聴いてはいないが。
さて、このドビュッシーだが、なんとも鮮烈にして清冽な解釈と語法であって、今までの誰のドビュッシーにもおよそ似ていないカラーである。冒頭の名曲アラベスク2題だが、1番はモデレートで大人しい感じの入りでとても女性的で嫋やかである。それは冒頭だけであって展開部から再現部にかけては急峻なアチェレランドと巧妙なデュナーミクが交錯し目くるめく展開となる。そして2番は冒頭からドライブ感が凄まじく、ヴィヴィッドでブリリアントな独特のピアニズムが充満する。
プレリュードBool-1の12曲は圧巻のひとこと。要は、冒頭のアラベスクにも見られた形質がより明瞭に表れていて怒涛のように一気に聴感に押し寄せてくるのだ。グヴェターゼの語法はノンレガート、いや、徹底したマルカートのドビュッシーであると出来る。これらだが、独特の解釈からか冒頭へ戻してリピートし何度も何度も聴いていたいという魔力が備わっているようだ。
一級のドビュッシー弾きであるパスカル・ロジェが彼主催のマスタークラスなどで常々述べている通り、本来であるならば美しく途切れることのない極めて滑らかなレガートで全ての音符を繋ぎ通す、というのがドビュッシー演奏上の常套手段だ。しかし、グヴェターゼは一音一音をすべて分離させたうえでピアノ上部の空間内でこれらの音粒を集めて再合成させているのである。こういった技法は、たまたまだが今月上旬に取り上げたルガンスキーのショパンPコンに相通ずるものがあって、彼の場合にもマルカート基調でショパンPコンを弾き通していたのだ。このところのムーブメントなのかどうかはまだ判然とはしないが、歴史的に見てかつてはベタなレガートで弾くべきところ、敢えてノンレガートあるいはマルカートによって今まで聴こえなかった微小領域を抉り出そうという趣向なのかもしれない。こういうのには昨今の私はなぜか鋭く反応してしまうのだ。
フランスの印象派画家にたとえるなら、線と面を使って光と影を描いたのがモネ、セザンヌ、シスレーであった。その対極において点描で光陰を描き切ったのがピサロである。つまり、グヴェターゼのドビュッシーはピサロの点描画に酷似した語法により成り立っている。その手法は本来的には霞たなびく第4曲(音と香りは夕べの大気の中に漂う)、第10曲(沈める寺)においてはレガート以外は考えられない、という曲に対しても徹底してマルカートで挑んでいるのだ。尚、これらはサスティン・ペダルを踏まないだとか譜面を無視してスタッカートで弾いているというような単純で表面的なことを言っているわけではなく、つまりは潔癖な粒々の音を個々に紡ぎ出し、それらを再構築・混合して全体和声として聴かせている、ということを意味しているのだ。
ドビュッシーをノンレガート基調、あるいは極端なマルカートで弾き通している例は実は余り多くはない。唯一あげるとすると、これは故人だが田中希代子の演奏がそれだ。グヴェターゼの演奏は田中の迫力を凌駕できていないが、それでも相当に求道的なマルカート・ドビュッシーと言えよう。次に昨今の録音から選ぶとなるとヒューイットのアルバム、また、今川裕代の演奏が田中およびグヴェターゼに準ずるものと言えよう。但し、音の骨格としてはヒューイットや今川は骨太であるが、田中は細くて可憐、グヴェターゼは更に細く極めて繊細だ。テレビ画像でいうなら、グヴェターゼの超高速な指回りと夥しい音数の情報量はまさに4Kテレビであり、細部が見え過ぎるくらい滲みなく明瞭に見えるのだが、これを俯瞰的に眺めてみると実に豊かで滑らかな実在感、そして精細な面描写にははっとさせられるのである。
これは、奇抜なアイディアやアクロバティックな解釈によらず、それでいて世の定番とされる王道的手法に阿ることなくチャレンジングな内容としているアルバムだ。グヴェターゼは彼女独自の語法を高純度に昇華させてこのアルバムを完成させており、これは全く新しいドビュッシー観を確立したと言ってよいエポック・メーキングでクールな演奏なのである。才能溢れる若きピアニストがまた一人見つかった。
(録音評)
Orchid Classics ORC100041、通常CD。録音は2013年6月10-12日、オランダ フリッツ・フィリップス・アインドホーフェン、ムジクヘボウとある。音質だが、曲集ごとに微妙に異なる。アラベスク集はどちらかというと刺激が少なくて滑らかかつオフマイク気味の捉え方で、プレリュード集は鮮鋭でディテールがしっかりと見える高解像度系の捉え方。版画と月の光に関してはアンビエントを重視したふくよかな音調となっている。いずれも嫌みな音は一切入っておらず、それでいてノーブルな香りのするハイセンスな録音である。オーディオファンには話材提供できないかも知れないが音楽を純粋に楽しみたいという人たちにはお薦めだ。
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