2014年 07月 14日
Martinu: Sonatas for Vc & Pf Etc@Steven Isserlis, Olli Mustonen |
BISの新譜、SACDハイブリッドでスティーブン・イッサーリス、ムストネンによるマルティヌーVcソナタ他から。尚、Pfで共演しているムストネン自身の作であるVcソナタも収録しており、これは世界初録音ということになる。
http://tower.jp/item/3495284
Steven Isserlis plays Martinů, Sibelius & Mustonen
Martinů: Sonata for Cello & Piano No.1, H.277
Mustonen: Sonata for cello and piano
Martinů: Sonata for Cello & Piano No.2, H.286
Sibelius: Malinconia, Op. 20
Martinů: Sonata for Cello & Piano No.3, H.340
Steven Isserlis (Vc), Olli Mustonen (Pf)
マルティヌー: チェロ・ソナタ第1番 H.277
オリ・ムストネン: チェロ・ソナタ (世界初録音)
マルティヌー: チェロ・ソナタ第2番 H.286
シベリウス: 「憂鬱」Op.20
マルティヌー: チェロ・ソナタ第3番 H.340
スティーヴン・イッサーリス(チェロ:ストラディヴァリウス1726年‘Marquis de Corberon')
オリ・ムストネン(ピアノ:Steinway D)
マルティヌー(Bohuslav Martinů)は様々な楽器向けの夥しい数の室内楽を書いたが、日本国内ではさほど取り上げられない作家だ。私自身もまた多くの録音を持っているわけではないし演奏会でも殆ど聴いたことはない。多く書いた室内楽にあっても、チェロという楽器はマルティヌーの内面においては特別の場所を占めていたように思われ、また三つのチェロ・ソナタは恐らく彼にとっては大きく重要なものだったと考察される。これらの三つの作品は完全に独立した特性を持っており、即ち、曲想も曲風も、また雰囲気も全然似ていない。これらは全て音楽の外側で起きていた事象に立脚して成り立っているように見える。
三つのソナタの中で最も劇的なのは、まず一番ソナタがマルティヌーの祖国=チェコがナチに陥落した直後の1939年5月に留学先のパリで書かれているということ。たまたまパリにいたために直接の難は逃れたものの、反ナチのレッテルを貼られた彼は1940年にはパリを離れて身を隠す。
1941年、更に身の安全を確保するためマルティヌーはアメリカに渡り、その直後に二番ソナタを書いている。この作品は斬新なリズム、および新世界=米国の迫力を祝しているかの大胆で抑揚の効いた曲想だ。
逝去した友達を偲んで書かれたとされる三番ソナタだが、しかし内容的には更に祝典的で大規模なものとなっている。特に緩徐楽章においては悲劇的というよりかはむしろその逆で、牧歌的かつ明るい調子で書かれ、それはフィナーレまで続く。これらの表現については「ロデオにおけるものと言って殆ど不適当でないだろう。」(would hardly be out of place at a rodeo)と、スティーヴン・イッサーリスが自らもライナーに記している。ちょっと謎っぽい記述だが、要するに陰性に弔うというよりかは陽性におどけながら故人を思い出そう、という趣向なのかもしれない。
これらのソナタの全体を通してアメリカの影響がいくつも認められるのだけれども、しかし、マルティヌー自身はこれらの作品を書いた時期には「私の作品は依然としてチェコのものであり、これらの音楽は私の祖国に接続されているのだ。」と述べている。
このアルバムには、チェコのマルティヌーのソナタ群で挟む格好で、20世紀中頃のフィンランドで書かれたソナタが二つ収録されている。シベリウスの憂鬱(Malinconia)は彼の幼い愛娘=Kirstiの死の直後、1900年に書かれた。深く個人的なだけでなく自然の音などで覆い尽くされている孤高の作品である。この曲想については「チェロとピアノのための音の詩である。」とイッサーリスが書いている。実際にはその通りで、瞑想的だけれども偶発的で突飛な旋律や突如とした不協和音など、慟哭に似た負の情感を言い表したかったのであろうというシーンが点在している。というふうに、ちょっと現代音楽的な要素も垣間見られる複雑系の音楽となっており、このアルバムの中では最も重たく暗鬱な作品と言える。
作曲年代的に一番新しいのがムストネンが2006年に書いたソナタで、初演は同年、ダニエル・ミューラー=ショットとムストネン自身の手になる。それ以来、ムストネン自らがピアノ独奏でずっと弾いてきた作品だという。イッサーリスとムストネンは20年来の友人であり共演者同士でもあって、今回のこの刺激的で前衛的なプログラム作品を録音する運びとなったわけだ(世界初録音)。なんとも煌びやかだけれども不可思議な音楽であり、無調性かといわれるとぎりぎり調性は存在するもので、単調と長調を行ったり来たり、また、素直な協和音と不協和音が交錯したりする現代作品調のアンサンブル作品に仕上がっている。
これらの作品は初めて聴くものであり、イッサーリスが実際にうまく弾いているのか否かはよくはわからない。が、なんとも訥々とした弾き方であり、また、多弁ではないけれどもはっきりとした明瞭な語法は好感度が大である。かつての巨匠で言うならアンナー・ビルスマーの語り口を想起させられる。
マルティヌーという作家の人となりが何となく透けてくる極めてパーソナルな作品(+シベリウスのパーソナルな作品も)を密やかに、ちょとしめやかに楽しみたい向きには味のあるアルバムである。
(録音評)
BIS SA2042、SACDハイブリッド。録音は2013年7月、ポットン・ホール、サフォーク州、英国。録音機器については少し触れていて、ノイマンのマイク(型番表示は無し)、RMEのoctamicマイクアンプとA/Dコンバータ、そしてセコイア、24bit/96KHzサンプリングとある。要するにパソコンのPCMカードで録っているということ。音質的には確かにハイレゾだが、今風に言えば普通のクォリティであって、今更SACDフォーマットに収める必要性は殆ど感じない水準。イッサーリスの弾くシルクのような軽量なVcの弦は正確に捉えていて爽快である。ピアノも正しく録れているけれども、もうちょっと質量感が欲しいと思った。
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♪ よい音楽を聴きましょう ♫
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Steven Isserlis plays Martinů, Sibelius & Mustonen
Martinů: Sonata for Cello & Piano No.1, H.277
Mustonen: Sonata for cello and piano
Martinů: Sonata for Cello & Piano No.2, H.286
Sibelius: Malinconia, Op. 20
Martinů: Sonata for Cello & Piano No.3, H.340
Steven Isserlis (Vc), Olli Mustonen (Pf)
マルティヌー: チェロ・ソナタ第1番 H.277
オリ・ムストネン: チェロ・ソナタ (世界初録音)
マルティヌー: チェロ・ソナタ第2番 H.286
シベリウス: 「憂鬱」Op.20
マルティヌー: チェロ・ソナタ第3番 H.340
スティーヴン・イッサーリス(チェロ:ストラディヴァリウス1726年‘Marquis de Corberon')
オリ・ムストネン(ピアノ:Steinway D)
マルティヌー(Bohuslav Martinů)は様々な楽器向けの夥しい数の室内楽を書いたが、日本国内ではさほど取り上げられない作家だ。私自身もまた多くの録音を持っているわけではないし演奏会でも殆ど聴いたことはない。多く書いた室内楽にあっても、チェロという楽器はマルティヌーの内面においては特別の場所を占めていたように思われ、また三つのチェロ・ソナタは恐らく彼にとっては大きく重要なものだったと考察される。これらの三つの作品は完全に独立した特性を持っており、即ち、曲想も曲風も、また雰囲気も全然似ていない。これらは全て音楽の外側で起きていた事象に立脚して成り立っているように見える。
三つのソナタの中で最も劇的なのは、まず一番ソナタがマルティヌーの祖国=チェコがナチに陥落した直後の1939年5月に留学先のパリで書かれているということ。たまたまパリにいたために直接の難は逃れたものの、反ナチのレッテルを貼られた彼は1940年にはパリを離れて身を隠す。
1941年、更に身の安全を確保するためマルティヌーはアメリカに渡り、その直後に二番ソナタを書いている。この作品は斬新なリズム、および新世界=米国の迫力を祝しているかの大胆で抑揚の効いた曲想だ。
逝去した友達を偲んで書かれたとされる三番ソナタだが、しかし内容的には更に祝典的で大規模なものとなっている。特に緩徐楽章においては悲劇的というよりかはむしろその逆で、牧歌的かつ明るい調子で書かれ、それはフィナーレまで続く。これらの表現については「ロデオにおけるものと言って殆ど不適当でないだろう。」(would hardly be out of place at a rodeo)と、スティーヴン・イッサーリスが自らもライナーに記している。ちょっと謎っぽい記述だが、要するに陰性に弔うというよりかは陽性におどけながら故人を思い出そう、という趣向なのかもしれない。
これらのソナタの全体を通してアメリカの影響がいくつも認められるのだけれども、しかし、マルティヌー自身はこれらの作品を書いた時期には「私の作品は依然としてチェコのものであり、これらの音楽は私の祖国に接続されているのだ。」と述べている。
このアルバムには、チェコのマルティヌーのソナタ群で挟む格好で、20世紀中頃のフィンランドで書かれたソナタが二つ収録されている。シベリウスの憂鬱(Malinconia)は彼の幼い愛娘=Kirstiの死の直後、1900年に書かれた。深く個人的なだけでなく自然の音などで覆い尽くされている孤高の作品である。この曲想については「チェロとピアノのための音の詩である。」とイッサーリスが書いている。実際にはその通りで、瞑想的だけれども偶発的で突飛な旋律や突如とした不協和音など、慟哭に似た負の情感を言い表したかったのであろうというシーンが点在している。というふうに、ちょっと現代音楽的な要素も垣間見られる複雑系の音楽となっており、このアルバムの中では最も重たく暗鬱な作品と言える。
作曲年代的に一番新しいのがムストネンが2006年に書いたソナタで、初演は同年、ダニエル・ミューラー=ショットとムストネン自身の手になる。それ以来、ムストネン自らがピアノ独奏でずっと弾いてきた作品だという。イッサーリスとムストネンは20年来の友人であり共演者同士でもあって、今回のこの刺激的で前衛的なプログラム作品を録音する運びとなったわけだ(世界初録音)。なんとも煌びやかだけれども不可思議な音楽であり、無調性かといわれるとぎりぎり調性は存在するもので、単調と長調を行ったり来たり、また、素直な協和音と不協和音が交錯したりする現代作品調のアンサンブル作品に仕上がっている。
これらの作品は初めて聴くものであり、イッサーリスが実際にうまく弾いているのか否かはよくはわからない。が、なんとも訥々とした弾き方であり、また、多弁ではないけれどもはっきりとした明瞭な語法は好感度が大である。かつての巨匠で言うならアンナー・ビルスマーの語り口を想起させられる。
マルティヌーという作家の人となりが何となく透けてくる極めてパーソナルな作品(+シベリウスのパーソナルな作品も)を密やかに、ちょとしめやかに楽しみたい向きには味のあるアルバムである。
(録音評)
BIS SA2042、SACDハイブリッド。録音は2013年7月、ポットン・ホール、サフォーク州、英国。録音機器については少し触れていて、ノイマンのマイク(型番表示は無し)、RMEのoctamicマイクアンプとA/Dコンバータ、そしてセコイア、24bit/96KHzサンプリングとある。要するにパソコンのPCMカードで録っているということ。音質的には確かにハイレゾだが、今風に言えば普通のクォリティであって、今更SACDフォーマットに収める必要性は殆ど感じない水準。イッサーリスの弾くシルクのような軽量なVcの弦は正確に捉えていて爽快である。ピアノも正しく録れているけれども、もうちょっと質量感が欲しいと思った。
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by primex64
| 2014-07-14 00:32
| Solo - Vc
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