Schumann: Kinderszenen,Abegg Variations,Fantasie Op.17@Lise de la Salle |
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Lisé de la Salle plays Schumann
Schumann:
Kinderszenen, Op.15
Abegg Variations, Op.1
Fantasie in C major, Op.17
Lisé de la Salle (Pf)
シューマン(1810-1856):
子供の情景 op.15
アベッグ変奏曲 op.1
幻想曲 ハ長調 op.17
リーズ・ドゥ・ラ・サール(ピアノ)
リーズはあまり頻繁にはCDを制作しない。1年に1枚出せばよい方で、3年もの間があくこともある。彼女は日本を含む世界中の主要都市を一年じゅう飛び回り、コンサート/リサイタルを中心に精力的に活動している。そういった状況から考えると彼女にとってCDは主要な音楽表現メディアではないのかもしれない。
シューマンは個人的には昔から最も好きな作家の一人であり、やはりシューマンのCDが出るたび気になり積極的にチャレンジしている。一方、リーズも幼少期からシューマンとの付き合いが長く、また敬愛する特別な存在として彼の作品と接してきたとライナーに述べている。
リーズが弾く子供の情景とファンタジーは過去に一度聴いていて、それは一昨年の紀尾井ホールでのProject 3×3のリサイタルのプログラムに入っていた。既にその頃からリーズの中ではシューマン・プログラムの構想はあったのかもしれない。しかし昨年のproject 3×3はラヴェルとドビュッシーという足元のフランス印象楽派を中心に組み立てていたことから、次のアルバムはシューマンなのか、あるいはフランス系なのか今一つ判然としなかった。だが、昨年の秋口から冬にかけて彼女のfacebookにはシューマンを吹き込むとのコメントが度々載っていたので、あ、シューマンで決断したんだ、と思っていて忘れかけていて、そしてこのCDが出たというわけだ。
10代の頃のリーズは、非凡なる鋭敏さ、繊細さ、そして独特のエモーショナルな解釈を前面に押し出したピアニズムが特徴であったが、前回のリストあたりから変化の兆しがみられ、紀尾井ホールで聴いた時にもその傾向は感じてはいた。そして今回のこのシューマンで確定的にその変異を遂げたと見てよい。即ち、従来からのハイスピード技巧を温存しつつ、打鍵力を更に強化して左右のパワーバランスを取るためか左手の音圧を右手と同等レベルに引き上げている。こういった変化点を踏まえつつ子供の情景から順に針を進める。
子供の情景は、紀尾井ホールで聴いた印象と大きくは変わらない(勿論こちらの調律はシュアに施されているが)。骨格が太い、ある意味男性的な解釈の子供の情景であり、一般的に採用される、なよとしたシューマンの一面を女性的に繊細に描くやり方をほぼ封印している。繊細さを失うことはないにせよ、ダイナミックな側面にフットライトを当てた動的な演奏設計としている。
この子供の情景は、こういったハイパワーな打鍵を得て、力強いトルクでぐいぐいと牽引され、それでいてシルキー&スムーズに加速するという、普通ではなかなか両立しない相反する要素を満足している。特筆すべきは第5曲 Glückes genug(十分に幸せ)、第6曲 Wichtige Begebenheit(重大な出来事)で、これらは右手主旋律と左手対旋律のダイアログがキーポイントとなる曲であるが、ここでのリーズの左腕のコントロールはほぼ完璧で、墨痕鮮やかに太い対旋律を強く弾き切っている。それに加え、随所では瞑想的な深いアゴーギク(テンポ・ルバート)が効いている。特に、第10曲 Fast zu ernst(むきになって)、第12曲 Kind im Einschlummern(眠りに入る子供)ではそれが顕著に表出され、これにより香り立つ独特のリズムを踏む韻を作り出している。このいかにもフランス的な洒脱な感情表現は当代ではリーズならではの術と言って良く、時間軸の揺らぎはとても大きいけれど厭みに感じることはない。
リーズのアベッグ変奏曲は初めて聴く。元々がシューマン最初期の習作のような作品で、記念すべきOp.1が冠されている。この作品は明るく勢いがあってエナジー感が強い。その後のシューマンの作風を決定付けてしまうほどにこのアベッグは彼の本質を表しているのかもしれない。リーズはこの曲には特別の思い入れがあるようで、シューマンの出発点として幼少期から練習を積み、そしていつの日か世に問うてみたい、との思いはあったようだ。冒頭の入りは右手による強いブリリアンスを伴った主旋律、そして左手によるソリッドでタイト、かつ強い伴奏部が特徴。中間部では急峻なアチェレランドが印象的で加速度感が素晴らしい。後半には揺らぎの大きなアゴーギクを用いたロマンティックな表現が、トリルの多用とともに印象的。全体を俯瞰すれば、色ガラスを粉砕して空間全体に鏤めたようなきらきらと輝く鮮やかな色彩感がなんとも若々しいアベッグに仕上がっている。
ファンタジーOp.17はこのアルバムのメインディッシュである。この曲は表向きにはベートーヴェンへのオマージュとして書かれた作品であるが、背景にはクララ・ヴィークとの幸福な将来を祈念する内面的な曲でもあって、初期のころのシューマンの作品としては傑出した美しい名曲だ。
1楽章は、ハイパワーを背景とした太い骨格が特徴となる。冒頭主題においてはやはり左手の打鍵が傑出しており、右手主旋律との絡みにおいては対位法に近い進行を示す。第2主題はシューマンらしいメランコリックな心理状況をしっとりしたルバートで描いている。そして一気に音符の数が増え、これらが強くて凛々しい協和音を伴いつつ次第にフェードアウトに転じ、静かに楽章が閉じられる。2楽章の冒頭は、左手アルペジオに主旋律は分散和音の連続といった難易度の高いマーチ風のロンド形式。途中からシンコペーションが多用されるスキップリズムが主体となって展開され、遅いパターン、速いパターンのいずれにおいても音符は多く、精密な打鍵コントロールが要求されるところ、リーズの進め方はちょっと慎重だけれどもエナジー感を保った秀逸なもの。終楽章はソナタ形式で、珍しいことにここを緩徐楽章にあてている。静謐で歪の少ないリーズのタッチにより、ぐっと減った音符の間隙を埋めて、慈しむように優しく穏やかに主旋律・和声が織られていく。
約3年を経てリーズの新譜を聴いたが、やはり進化の足跡は明確に刻まれている。昨今ではスーパーなパフォーマンスを示す若手女流が数多く台頭してきているけれども、リーズの持つプレゼンスはやはり別格であって、今なおその輝きは増し続けている。彼女は既に女流ピアニストという枠を超えていて、即ち一級のアーティストととして世界に通用するだけのベースは出来たと判断してよい。あとはレパートリーをもっともっと拡大していろんな作品を楽しませてほしいものだ。
(録音評)
naïve V5364、通常CD。録音は2013年12月、Sendesaal Bremenとある。録音編集:Sequoia DAW、マイク:Neumann KM130+Senheiser MKH20、ミキサー:Solid State Logic seriese 5000 analog console、A/Dコンバータ:jünger c8242とある。ADCのjünger audioとは欧州を中心として放送局での導入実績の多いDSP関連製品メーカーであり、これらの製品は国内においてはオタリテックが輸入販売している。この盤の音質は極めて優秀だ。だが今までのnaïveの音を作り出してきたdCSやDADの質感とは大いに異なっており、実に地味でブリリアンスが少なく、かっちりとした太い音像を示す。隈取が太いためかリーズの弾くスタインウェイがちょっとオンマイク気味に感じられる。臨場感という点においては生々しく、しかし、輪郭強調は全くされていないので歪感だとか帯域バランスの崩れなどは皆無。要は日本国内でいえばDENONやTASCAMに相通じる印象がある。但し、仕上がっている音は十分にアーティスティックであり、やはりこれは紛れもなくnaïveの音なのだ。
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