R.Strauss & Mahler Piano Quartets & Lieder@Faure Quartet, Simone Kermes |
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Strauss & Mahler Piano Quartets & Lieder
Strauss, R:
Piano Quartet in C minor, Op.13
Cacilie, Op.27 No.2
Die Nacht, Op.10 No.3
Morgen, Op.27 No.4
Zueignung, Op.10 No.1
Heimliche Aufforderung, Op.27 No.3
Allerseelen, Op.10 No.8
Mahler:
Erinnerung (Lieder und Gesange aus der Jugendzeit)
Wo die schonen Trompeten blasen (Des Knaben Wunderhorn)
Piano Quartet (in one movement) in A minor
Faure Quartet
Simone Kermes (Sop)
R・シュトラウス&マーラー: ピアノ四重奏曲と歌曲集
R・シュトラウス:
ピアノ四重奏曲ハ短調Op.13
ツェツィーリエOp.27-2
夜 Op.10-3
明日の朝Op.27-4
献呈 Op.10-1
ひそやかな誘いOp.27-3
万霊節 Op.10-8
マーラー:
思い出
美しきトランペットが鳴り響くところ
ピアノ四重奏曲イ短調
フォーレ四重奏団
ジモーネ・ケルメス(Sop)
このCDジャケットは大いに変わっている。マーラーの肖像をパロディ的にシンボル化して描いたものと思われるのだが、この犬の顔のような辛気臭い雰囲気が実にマーラーなのである。閑話休題。フォーレ・クァルテットのCDは初めて手にしたのだが、実は彼らの演奏は一度だけ国内で聴いたことがある。これに関してはMusicArenaの過去履歴を調べてみたが記事はアップされていなかった。取り出してきた手許の記録によれば、職場を移った1週間後の2009年12月初旬にミューザ川崎でコンサートがあって、フォーレのカルテット1番ハ短調、ブラームスのカルテット3番ハ短調を聴きに行ったとある。
たまたまだが、仕事でずっとお世話になっていた先輩がやはりクラシック・ファンで、旬で粋な四重奏を聴いた後に川崎のその辺で一杯やろうというお誘いを受けてのことだった。環境が変わり色々と戸惑っていた頃であって、恐らくは日記を書こうと思いつつ時機を逸してしまったのであろう。
その先輩は少し前に急逝し、この新譜がフォーレ・カルテットということがあってか、脳裏に彼が音楽について語る言葉や、熱く話しているときの身振り手振りや全体の姿がフラッシュバックしてきた。そして、彼がよく言っていた、このフォーレ・カルテットが珍しい常設ピアノ四重奏団であることを期せずして思い出すのであった。
このアルバムは、若き日のRシュトラウス、及びマーラーのピアノ四重奏曲を両端に配していて、しかしこれらは間違いなくこのアルバムのアピール・ポイントとして中心に位置づけられる。もう一つの嗜みとしては、真ん中に挟まるジモーネ・ケルメスの割と太いソプラノ歌唱が両巨匠の相違点を浮き彫りにしていくというアーティスティックなプログラムにある。ここ数年、ソニーのクラシック系アルバムの企画・構成はなかなかに力が入っていて、この盤もその例に漏れず深い掘り下げによる巧妙な組み立てとしている。
なんといっても冒頭のRシュトラウスのカルテットが格好良くて圧倒される。この曲はこんなにも大胆で劇的、そして美しくて詩的、そしてそれら加えて力強いということを改めて思い知らされて、思わず何度もリピートして聴いている。Rシュトラウスは自分的には謎の多い作家のひとりで、それは、ものすごく退屈な作品がかなりある中で、反面そうではなくて光り輝くような名旋律・名和声もあるということがとても奇異な存在だからだ。
自分的には、Rシュトラウスの作品で退屈と思う筆頭はツァラトゥストラ、次はドンファンといったところか。ところがこのソナタはまるで別人の作のようで、極めて美しく、しかもハイコントラストかつ明媚な音楽であって、こういった作品には心奪われる。どんな作品においてもRシュトラウスが大体やっている技法は4~6度、あるいは3~7度といったかなり離散的な旋律進行とそのコード進行をなぞらえるような浮遊感に満ちた和声。
しかもとても短いインターバルで繰り返される執拗な転調が彼の常套手段であり、これは聴く者の注意力を良い意味で前後左右に逸らし、想定外の新しい発見をいくつもさせられるのである。この煩瑣な転調は奏者に対して相当な負荷を強いることから、当時の楽壇ではRシュトラウスといっただけで忌み嫌う人たちもいたようだが、現代においても同様に不得意とする人たちもいるようだ。
中間部の歌曲はどれもが割と有名なピースであり、ケルメスの深く分厚い歌唱により珠玉の出来栄えとなっている。彼女はコロラトゥーラとされているようだが、これら一連の曲を聴く限りにおいてはメゾに近い低い声域についてもかなりの音量が出せていて、かつ、高域に関してもブロードでフローラルなプレゼンスが聴かれる。単なるSopということはできない、なかなかの声質と歌唱力に唸らされる。特に名曲:献呈がしっとり艶やかで素晴らしい。
最後尾にはマーラーの歌曲及びカルテットが入っている。歌曲の方は、特にWo die schonen Trompeten blasen(美しきトランペットが鳴り響くところ)に関しては、お馴染みの風情を湛えた旋律と和声が現れて、時に悲しく、時に寂しく、そして終始力強く歌い上げていく。そう、これはトランペットと言っているけれども、実は「角笛」シリーズの萌芽がここにあるのであった。この旋律はマーラーが物心ついてから世を去るまで彼の脳内にずっと響き続けていたシューマン共振のようなものだろうか。
最後に位置するカルテットは、これがマーラー作と言われなければ殆どの人は気が付かないのではないだろうか。ソニーのプロモーション・テキストにある通り、これは若き日の彼の「習作」であることを加味するなら、抑揚が弱くてインパクトに乏しいこの旋律ラインは仕方のないこと。しかし、この若さにしてこの翳りの濃い和声はどうだろうか。粘性の強い構造が下支えする重厚なハーモニーの展開は、その後、彼が長大な交響曲を精力的に書いていくための礎とされたと直感させられるもの。決して面白くはないし目くるめく展開でもないのだが、破綻や揺らぎ・乱れのないこの律儀な作品は実にマーラーらしい形質をすでに備えているのであった。
フォーレ・クァルテットの面々の息は非常にあっていて、しかし、これはたとえばVnの一人がアルバム全体を支配するほどの個性的なソロを奏でているかというと答えは否だ。つまり、各人が突出したプレゼンスを放散していない代わりに全体的なエナジー感の底上げとコラボレーションの妙味の充実に多くの労力が使われているといった感じがする演奏となっている。PfのDirk Mommertz(ディルク・モメルツ)の演奏は非常にシュアであるが、彼はソリストとして名声を得ているわけではなく、さりとてコレペティトールとして有名な人物というわけでもなさそう。このアルバムの骨格は彼のリーダーシップによって半ば成り立っていると言ってもよいだろうが、当然に表に出るような個性を明確に放散しているわけではない。彼が明確なソロ活動を始めるとなれば、昔からPfが好きな私としては無論、放ってはおけないと思う。それほどに彼のピアニズムは光っている。
(録音評)
Sony Classical 88843023672、通常CD。録音は2013年11月、イタリア、ドッビアーコ・マーラー・ザールとある。これは3~4年前にソニーが主力としていた調音パターンであり、つまり漆黒に近い暗い背景に、煌めきの欠片もないような野太く地味な器楽の描写を並べたもの。録音のクォリティとしてはかなり優秀なのであるが、いかんせん余りにも華がなくて一般受けは難しいのではないかと思う。原音に対してなるべく演出は施すべきではないと思っている私としてはかなり気に入ったセンスの録音であり、さすがに絶賛はしないものの、ある種のリファレンス的な室内楽アルバムとしては及第点。そして、器楽音自体はニュートラルであるがため、各所の装置の癖を抉り出してくれるものと思う。
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