2014年 04月 13日
Lieder: R.Strauss, Faure, Debussy, Poulenc, Wolf & Berg@Christiane Karg, Malcolm Martineau |
昨年末のウィグモアホール・ライブから、クリスティアーネ・カルクの独唱リサイタルの模様を収めた純粋なライブ盤だ。もう年度を締め切る時期が過ぎているのだが、仕事の関係で時間が取れず、もうちょっと時間的猶予が欲しいところ。なお、出来の良い盤で慎重な聴き込みを要するものが、このところずっと後回しになってきており、このCDもその一枚。
http://tower.jp/item/3292429/
Christiane Karg sings Strauss, Faure, Debussy, Poulenc
Strauss, R:
Die erwachte Rose, TrV 90, AV 66
Rote Rosen, AV76
Madchenblumen (4 songs), Op. 22
Die Nacht, Op. 10 No. 3
Traum durch die Dammerung, Op. 29 No. 1
Weiser Jasmin, Op 31 No 3
Faure:
Nell, Op. 18 No. 1
Les roses d'Ispahan Op. 39 No. 4
La rose Op. 51 No. 4
Debussy:
Green (No. 5 from Ariettes Oubliees)
Spleen (No. 6 from Ariettes Oubliees)
Poulenc:
Fleurs
Berg:
Sieben fruhe Lieder
Wolf, H:
Verschwiegene Liebe (No. 3 from Eichendorff-Lieder)
Die Nacht (No. 19 from Eichendorff-Lieder)
Unfall (No. 15 from Eichendorff-Lieder)
Nachtzauber (No. 8 from Eichendorff-Lieder)
Christiane Karg (sop) & Malcolm Martineau (pf)
R.シュトラウス:
目覚めたバラ
赤いバラ
乙女の花Op.22
夜Op.10-3
たそがれの夢Op.29-1
白いジャスミンOp.31-3
フォーレ:
ネルOp.18-1
イスファハーンのばらOp.39-4
薔薇Op.51-4
ドビュッシー:
「忘れられたアリエッタ」より「グリーン」「憂鬱」
プーランク:
「偽りの婚約」より「花」
ヴォルフ:
秘めた愛、夜、災難、夜の魔法
ベルク:
初期の7つの歌曲
【夜/ 葦の歌/ 夜鳴きうぐいす/ 夢に見た栄光/ 室内にて/ 愛の讃歌/ 夏の日】
#アンコール
ヴォルフ: 私を花で覆って下さい
シューマン: 君は花のようにOp.25-24
クリスティアーネ・カルク(Sop) マルコム・マルティヌー(Pf)
クリスティアーネ・カルクは、昨年末にもマリス・ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団と共に来日公演を果たしており、日本国内でもその知名度は上がりつつあるソプラノ歌手だ。この人はドイツ出身、或いはオーストリア系というが、そのソフィスティケートされた雰囲気、そして容貌は彫りが深くて非常に整っており、フランス系やイギリス系、或いは見方によってはスペイン系その他の、いずれにせよ非ゲルマンの顔立ちであって非常に映える。例えばVnの大家とされ日本国内でも非常に人気のあるあの女性ソリストのような田舎臭くて厚ぼったい感じは皆無であり、とても洗練された印象を受ける。
このアルバムのテーマは特に指定されていなくて、アルバムの表紙にも、またライナーにも特段なにも書いてないのだが、選ばれている曲の大半が花、それも薔薇に因んだものが多い。薔薇でなくても百合、ポピーその他の花、そして総称としての花弁、樹木などの植物、あるいは森など。そして、ナハト・・・夜の情景をモチーフとした曲を多く並べている。そういったテーマ性に連関させてアルバムのカバーが撮影されたのであろうが、カルクの着ているドレスは下から上まで黒である。このドレスの漆黒はたぶん夜を表現しており、そして要所には大柄な薔薇の刺繍が施してあるのである。
さて、容貌のことはどうでも良いのであるが、いざこのCDに針を降ろすとそんなことは本当にどうでも良くなるくらいにこの人は歌がうまい。選ばれている曲の1/3くらいは知っていたが、残りの大半は私は知らなかった。しかし、初めて聴くような感じではなくて、過去に何度も反芻していた曲を再度聴いている感じがしてくるのは不思議な感覚だ。
Rシュトラウスの歌曲、特に冒頭の中盤あたりはかなりチャレンジャブルであって、素直に美点と思える個所はないとずっと思っていたが、実は、デモーニッシュに聴こえる部分には隠された仮想的な和声が潜在していて、表向きの歌唱とハーモナイズされるとそのあたりの騙し絵的な展開が聴こえてくるのだ。これは初めての経験。
フォーレの歌曲はある意味予測通りの展開だが、これまた過剰に浮遊することなく地に足が付いた歌唱には脱帽。このあたりがカルクの真骨頂と言えるだろうか。真面目にトレースされたボーカルを支えるマルティヌーが繰り出す漣のような鍵盤捌きが霊妙極まりない。次のドビュッシーに関してもフォーレと同様、正攻法で衒いのないこの歌唱法によれば、メロディーの愉快さやハーモニーの斬新さよりかは言葉の持つ意味に重点を置いた演奏設計が際立つ。こういったアプローチのドビュッシーを耳にするのは初めてかもしれない。というか、ドビュッシーの歌曲というのは数は多くないのだが、再度勉強する必要があると感じた次第。
このアルバムのもう一つの特徴はヴォルフ、そしてアルバン・ベルクの歌曲が入っていること。ヴォルフの方はあまり万人受けすることのない、旋律的には凡庸で面白みが足りない作品と言えようが、ワードが加わって初めて彼が目指していたオペラ挿入歌のような諧謔さを伴う妙味が理解できる。そういったワードにスポットを当てた情感豊かな歌唱は何とも心に沁みるのだ。ライナーを読みながら分からない単語を翻訳サイトで調べつつ聴いていると、これが書かれた当時の作家の心持ちがだんだんと脳裏に浮かび、そして共鳴してくる感情が徐々に湧き上がってくるのは不思議な体験だ。
ベルクの作品はピークを迎えたときの無調性・トーンクラスタ的な炸裂する、或いは明滅するような大胆な技法に立脚したものではなくて、どちらかというとフォーレやドビュッシーに似た美しくも儚いディミニッシュ系のハーモニーである。これらの背景に想定されている和声としては完全な無調性だと思っていたが、じつは調性音楽に分類される、計算され尽した綺麗な構造を持っていて、それはテキスト・ワードを加えることで完全な姿を現す。
これを聴くと、無調性を主体として器楽曲を多く書いてきた現代音楽作家が歌曲を書くとこうなるのか、という驚きがある。即ち、12音やトーンクラスタは、音階というか音の粒を離散的、ランダムに発することのできる器楽では本領を発揮するが、基本的には音程を連続的に上下させること、つまりシーケンシャルな音程変位を基礎とする声楽においては本来の突飛さ、自由さは得にくい。すると、この作品のようにフォーレなどのフランス印象楽派的な浮遊する和声と4度、または6度音階を主軸としたノーブルな展開とならざるを得ないのかもしれない。
最後にはアンコールが2題入っている。それぞれの冒頭でカルクが肉声で短く作品の紹介を入れ、歌を始めるという趣向。奥ゆかしい小さな話し声と堂々たる歌唱との声量の差には驚く。この2曲もまた花に因んだ有名なもの。
このCDの全体を通じ、選ばれている作品も、並べ方も、そして歌唱作品であるという点においても素晴らしい録音であり、かつ、カルクの芸術的で技巧的な歌唱には深い感動を覚える。非常に素晴らしい出来栄えの声楽リサイタル・ライブとなっており、声楽ファンのみならず、欧州の後期ロマン派から現代に至る音楽を愛好する人にも広く薦めたい一枚である。
(録音評)
Wigmore Hall Live: WHLIVE0062、通常CD。録音は2012年7月19日、場所は当然にしてウィグモア・ホール、ロンドン (ライヴ)。これは客を入れた正真正銘のライブ収録であり、ごまかしが効かない一発録りを殆ど加工せずに製品盤にしたようなCDだ。ホログラムのようにカルクが正面のステージ上に現れて精妙な歌唱を切々と展開する。まさに、そこに生身の人間が立っている気配、雰囲気がぞっとするほどのリアリティーを伴ってリスナーに迫ってくる。昨今のCD-DAの音質水準の高さには目を瞠るものがあるのだが、このCDは更にその先を行く超絶的な録音となっているのだ。シンプルなライブ収録ゆえ、ホログラフィックな効果が得られるか否かは再生装置の基本性能と調整如何だと思う。正面のちょっと奥に立つカルクの声帯が見え透かない場合には装置のどこかに不安要素があるとみてよい。
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♪ よい音楽を聴きましょう ♫
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Christiane Karg sings Strauss, Faure, Debussy, Poulenc
Strauss, R:
Die erwachte Rose, TrV 90, AV 66
Rote Rosen, AV76
Madchenblumen (4 songs), Op. 22
Die Nacht, Op. 10 No. 3
Traum durch die Dammerung, Op. 29 No. 1
Weiser Jasmin, Op 31 No 3
Faure:
Nell, Op. 18 No. 1
Les roses d'Ispahan Op. 39 No. 4
La rose Op. 51 No. 4
Debussy:
Green (No. 5 from Ariettes Oubliees)
Spleen (No. 6 from Ariettes Oubliees)
Poulenc:
Fleurs
Berg:
Sieben fruhe Lieder
Wolf, H:
Verschwiegene Liebe (No. 3 from Eichendorff-Lieder)
Die Nacht (No. 19 from Eichendorff-Lieder)
Unfall (No. 15 from Eichendorff-Lieder)
Nachtzauber (No. 8 from Eichendorff-Lieder)
Christiane Karg (sop) & Malcolm Martineau (pf)
R.シュトラウス:
目覚めたバラ
赤いバラ
乙女の花Op.22
夜Op.10-3
たそがれの夢Op.29-1
白いジャスミンOp.31-3
フォーレ:
ネルOp.18-1
イスファハーンのばらOp.39-4
薔薇Op.51-4
ドビュッシー:
「忘れられたアリエッタ」より「グリーン」「憂鬱」
プーランク:
「偽りの婚約」より「花」
ヴォルフ:
秘めた愛、夜、災難、夜の魔法
ベルク:
初期の7つの歌曲
【夜/ 葦の歌/ 夜鳴きうぐいす/ 夢に見た栄光/ 室内にて/ 愛の讃歌/ 夏の日】
#アンコール
ヴォルフ: 私を花で覆って下さい
シューマン: 君は花のようにOp.25-24
クリスティアーネ・カルク(Sop) マルコム・マルティヌー(Pf)
クリスティアーネ・カルクは、昨年末にもマリス・ヤンソンス/バイエルン放送交響楽団と共に来日公演を果たしており、日本国内でもその知名度は上がりつつあるソプラノ歌手だ。この人はドイツ出身、或いはオーストリア系というが、そのソフィスティケートされた雰囲気、そして容貌は彫りが深くて非常に整っており、フランス系やイギリス系、或いは見方によってはスペイン系その他の、いずれにせよ非ゲルマンの顔立ちであって非常に映える。例えばVnの大家とされ日本国内でも非常に人気のあるあの女性ソリストのような田舎臭くて厚ぼったい感じは皆無であり、とても洗練された印象を受ける。
このアルバムのテーマは特に指定されていなくて、アルバムの表紙にも、またライナーにも特段なにも書いてないのだが、選ばれている曲の大半が花、それも薔薇に因んだものが多い。薔薇でなくても百合、ポピーその他の花、そして総称としての花弁、樹木などの植物、あるいは森など。そして、ナハト・・・夜の情景をモチーフとした曲を多く並べている。そういったテーマ性に連関させてアルバムのカバーが撮影されたのであろうが、カルクの着ているドレスは下から上まで黒である。このドレスの漆黒はたぶん夜を表現しており、そして要所には大柄な薔薇の刺繍が施してあるのである。
さて、容貌のことはどうでも良いのであるが、いざこのCDに針を降ろすとそんなことは本当にどうでも良くなるくらいにこの人は歌がうまい。選ばれている曲の1/3くらいは知っていたが、残りの大半は私は知らなかった。しかし、初めて聴くような感じではなくて、過去に何度も反芻していた曲を再度聴いている感じがしてくるのは不思議な感覚だ。
Rシュトラウスの歌曲、特に冒頭の中盤あたりはかなりチャレンジャブルであって、素直に美点と思える個所はないとずっと思っていたが、実は、デモーニッシュに聴こえる部分には隠された仮想的な和声が潜在していて、表向きの歌唱とハーモナイズされるとそのあたりの騙し絵的な展開が聴こえてくるのだ。これは初めての経験。
フォーレの歌曲はある意味予測通りの展開だが、これまた過剰に浮遊することなく地に足が付いた歌唱には脱帽。このあたりがカルクの真骨頂と言えるだろうか。真面目にトレースされたボーカルを支えるマルティヌーが繰り出す漣のような鍵盤捌きが霊妙極まりない。次のドビュッシーに関してもフォーレと同様、正攻法で衒いのないこの歌唱法によれば、メロディーの愉快さやハーモニーの斬新さよりかは言葉の持つ意味に重点を置いた演奏設計が際立つ。こういったアプローチのドビュッシーを耳にするのは初めてかもしれない。というか、ドビュッシーの歌曲というのは数は多くないのだが、再度勉強する必要があると感じた次第。
このアルバムのもう一つの特徴はヴォルフ、そしてアルバン・ベルクの歌曲が入っていること。ヴォルフの方はあまり万人受けすることのない、旋律的には凡庸で面白みが足りない作品と言えようが、ワードが加わって初めて彼が目指していたオペラ挿入歌のような諧謔さを伴う妙味が理解できる。そういったワードにスポットを当てた情感豊かな歌唱は何とも心に沁みるのだ。ライナーを読みながら分からない単語を翻訳サイトで調べつつ聴いていると、これが書かれた当時の作家の心持ちがだんだんと脳裏に浮かび、そして共鳴してくる感情が徐々に湧き上がってくるのは不思議な体験だ。
ベルクの作品はピークを迎えたときの無調性・トーンクラスタ的な炸裂する、或いは明滅するような大胆な技法に立脚したものではなくて、どちらかというとフォーレやドビュッシーに似た美しくも儚いディミニッシュ系のハーモニーである。これらの背景に想定されている和声としては完全な無調性だと思っていたが、じつは調性音楽に分類される、計算され尽した綺麗な構造を持っていて、それはテキスト・ワードを加えることで完全な姿を現す。
これを聴くと、無調性を主体として器楽曲を多く書いてきた現代音楽作家が歌曲を書くとこうなるのか、という驚きがある。即ち、12音やトーンクラスタは、音階というか音の粒を離散的、ランダムに発することのできる器楽では本領を発揮するが、基本的には音程を連続的に上下させること、つまりシーケンシャルな音程変位を基礎とする声楽においては本来の突飛さ、自由さは得にくい。すると、この作品のようにフォーレなどのフランス印象楽派的な浮遊する和声と4度、または6度音階を主軸としたノーブルな展開とならざるを得ないのかもしれない。
最後にはアンコールが2題入っている。それぞれの冒頭でカルクが肉声で短く作品の紹介を入れ、歌を始めるという趣向。奥ゆかしい小さな話し声と堂々たる歌唱との声量の差には驚く。この2曲もまた花に因んだ有名なもの。
このCDの全体を通じ、選ばれている作品も、並べ方も、そして歌唱作品であるという点においても素晴らしい録音であり、かつ、カルクの芸術的で技巧的な歌唱には深い感動を覚える。非常に素晴らしい出来栄えの声楽リサイタル・ライブとなっており、声楽ファンのみならず、欧州の後期ロマン派から現代に至る音楽を愛好する人にも広く薦めたい一枚である。
(録音評)
Wigmore Hall Live: WHLIVE0062、通常CD。録音は2012年7月19日、場所は当然にしてウィグモア・ホール、ロンドン (ライヴ)。これは客を入れた正真正銘のライブ収録であり、ごまかしが効かない一発録りを殆ど加工せずに製品盤にしたようなCDだ。ホログラムのようにカルクが正面のステージ上に現れて精妙な歌唱を切々と展開する。まさに、そこに生身の人間が立っている気配、雰囲気がぞっとするほどのリアリティーを伴ってリスナーに迫ってくる。昨今のCD-DAの音質水準の高さには目を瞠るものがあるのだが、このCDは更にその先を行く超絶的な録音となっているのだ。シンプルなライブ収録ゆえ、ホログラフィックな効果が得られるか否かは再生装置の基本性能と調整如何だと思う。正面のちょっと奥に立つカルクの声帯が見え透かない場合には装置のどこかに不安要素があるとみてよい。
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by primex64
| 2014-04-13 22:56
| Vocal
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