2014年 02月 08日
佐村河内守のゴーストライター事案に思う |
私が交響曲第1番HIROSHIMAを店頭で手にして購入して聴き始めた時には、佐村河内の「奇跡」はまだまだ小さなムーブメントであり、それほどの拡がりはなかった。既にあちこちのマスコミ、そしてテレビの主要キー局が大々的に報じているし、佐村河内が直接弁明していない現時点では断定できない事柄が多いため、これまでの背景や事実関係とされていることについては多くは語らない。なお、自分自身は佐村河内を糾弾する立場にはないし逆に擁護する立場にもない。
今回の一連の出来事は、ひとことで言うと楽曲制作プロセスにおける重篤なインモラルによる欺瞞が引き起こした事案と言えよう。個人的には世の中が騒ぎ過ぎの感がするのであるが、それはクラシック系音楽を創作する業界自体が狭隘で閉鎖的なこと、また世が作り手に純潔・純粋さを課してしまうという特殊性から来るものと思っている。加えるなら、日本のクラシック音楽に対する社会意識と価値観が独特で、ある種、高貴(好奇)の目で見られることと聴く側のネイチャー/カルチャーが未成熟であることも副因かもしれない。
佐村河内はゲームの背景音楽などを手掛けていたというバックグラウンドの持ち主なので、制作活動に必要と判断した素材調達においては日常からアウトソーシングを積極活用してきたのだろうと推察する。その延長線上の感覚で記譜や或いは構想段階から作曲そのものを新垣隆氏に発注してきたのではなかろうか。
ゲームの背景音楽とは事情は少々異なるのであろうが、ポピュラー系、つまりポップスやフォーク、はたまたジャズ、ロックといった世界ではゴーストのメロディー・メーカーという職業が確立されていると聞く。また、そういった職業作曲家たちの力を陰で借りることでプレーヤー兼ミュージック・ライターとしてスターダムにのし上がった事例も少なからずあるそうで、半ば確信犯的な業界裏事情があるとのことだ。自分自身はその手の世界には詳しくはないが。
ところが、今回発覚したのが高潔であるはずのピュアなクラシック音楽の世界での「過剰演出」だったことが激しい波紋を広げた主因ではなかろうか。そして、この事案において今や佐村河内を一方的に攻撃する立場をとっているマスメディア、そしてこれらの音楽メディアの配給元であるDENONレーベル(日本コロムビア)が今までその事実に気が付かず、今回の発覚を境に自分たちは被害者の立場であって「憤り」を感じるとの主張を鮮明にしていることは如何にもさもしい。
NHKはじめ主要なメディアはハンディを背負った作曲家の美談としてこぞって取り上げて話題性を喚起することにより視聴率を稼いで来たのは盲目のピアニスト=梯剛之や辻井伸行を喧伝したときとビジネスモデルは同じだ。そしてDENONは佐村河内のこの企画によって空前のCDセールスを記録し、さぞや利益が上がっただろうし、のみならずシナジー効果によりブランドイメージの浸透と連鎖需要を獲得したことであろう。それが、踵を返して「憤り」とはどういった神経をしているのであろうか。佐村河内の「過剰演出」は悪質な虚構の提示というよりかは犯罪すれすれの身分・経歴詐称事件であって決して褒められた行動ではない。しかし、彼一人の行動だけがこの事態を招いたのではないことを我々はしかと認識し反省すべきだ。
どういった経緯であれ、これらの優れた曲がここ日本で生み出されて来たというファクトは変えようがない。即ちこの事案の発覚如何によらずこれらの曲のどこもが変質するわけでもない。一方、自身に作曲能力がないとはいえ佐村河内がイニシアチブをとって着想し、新垣氏に作曲依頼をしたからこそ生まれてきた楽曲たちであるのもファクトだ。
今回の事案で最も残念なのは、これらの曲には罪がないにも拘らず、CDや楽譜が販売中止、在庫引上げ、絶版という憂き目に遭い、音楽著作権協会が利用許諾を保留して演奏すら禁止され、結果として曲の存在自体が葬り去られようとしていることだ。私は、作曲者のクレジットが佐村河内なのか新垣なのかはこの際あまり重要ではないと思っている。これらの曲を聴きたい人たちに提供し続け、そして連綿と演奏し続けることにより日本でこういった曲たちが書かれたということを次代に伝えて行くことこそが重要と思うのだ。
※MusicArenaでは過去に本件のSym#1を取り上げて論じ、またMusicArena Awards 2012でSemi-Grand Prixにも選定した。このことに関連し、一部の読者からここに掲載を続けていることについて批判的な私信メールを頂戴したので、自らの見解を以下に記すこととする。上述のように、今回の事案を経たとしてもこの作品の価値が変わるわけではなく、従って事後的にこれらの評価を変えるつもりはないし、掲載を取りやめるつもりもない。
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♪ よい音楽を聴きましょう ♫
今回の一連の出来事は、ひとことで言うと楽曲制作プロセスにおける重篤なインモラルによる欺瞞が引き起こした事案と言えよう。個人的には世の中が騒ぎ過ぎの感がするのであるが、それはクラシック系音楽を創作する業界自体が狭隘で閉鎖的なこと、また世が作り手に純潔・純粋さを課してしまうという特殊性から来るものと思っている。加えるなら、日本のクラシック音楽に対する社会意識と価値観が独特で、ある種、高貴(好奇)の目で見られることと聴く側のネイチャー/カルチャーが未成熟であることも副因かもしれない。
佐村河内はゲームの背景音楽などを手掛けていたというバックグラウンドの持ち主なので、制作活動に必要と判断した素材調達においては日常からアウトソーシングを積極活用してきたのだろうと推察する。その延長線上の感覚で記譜や或いは構想段階から作曲そのものを新垣隆氏に発注してきたのではなかろうか。
ゲームの背景音楽とは事情は少々異なるのであろうが、ポピュラー系、つまりポップスやフォーク、はたまたジャズ、ロックといった世界ではゴーストのメロディー・メーカーという職業が確立されていると聞く。また、そういった職業作曲家たちの力を陰で借りることでプレーヤー兼ミュージック・ライターとしてスターダムにのし上がった事例も少なからずあるそうで、半ば確信犯的な業界裏事情があるとのことだ。自分自身はその手の世界には詳しくはないが。
ところが、今回発覚したのが高潔であるはずのピュアなクラシック音楽の世界での「過剰演出」だったことが激しい波紋を広げた主因ではなかろうか。そして、この事案において今や佐村河内を一方的に攻撃する立場をとっているマスメディア、そしてこれらの音楽メディアの配給元であるDENONレーベル(日本コロムビア)が今までその事実に気が付かず、今回の発覚を境に自分たちは被害者の立場であって「憤り」を感じるとの主張を鮮明にしていることは如何にもさもしい。
NHKはじめ主要なメディアはハンディを背負った作曲家の美談としてこぞって取り上げて話題性を喚起することにより視聴率を稼いで来たのは盲目のピアニスト=梯剛之や辻井伸行を喧伝したときとビジネスモデルは同じだ。そしてDENONは佐村河内のこの企画によって空前のCDセールスを記録し、さぞや利益が上がっただろうし、のみならずシナジー効果によりブランドイメージの浸透と連鎖需要を獲得したことであろう。それが、踵を返して「憤り」とはどういった神経をしているのであろうか。佐村河内の「過剰演出」は悪質な虚構の提示というよりかは犯罪すれすれの身分・経歴詐称事件であって決して褒められた行動ではない。しかし、彼一人の行動だけがこの事態を招いたのではないことを我々はしかと認識し反省すべきだ。
どういった経緯であれ、これらの優れた曲がここ日本で生み出されて来たというファクトは変えようがない。即ちこの事案の発覚如何によらずこれらの曲のどこもが変質するわけでもない。一方、自身に作曲能力がないとはいえ佐村河内がイニシアチブをとって着想し、新垣氏に作曲依頼をしたからこそ生まれてきた楽曲たちであるのもファクトだ。
今回の事案で最も残念なのは、これらの曲には罪がないにも拘らず、CDや楽譜が販売中止、在庫引上げ、絶版という憂き目に遭い、音楽著作権協会が利用許諾を保留して演奏すら禁止され、結果として曲の存在自体が葬り去られようとしていることだ。私は、作曲者のクレジットが佐村河内なのか新垣なのかはこの際あまり重要ではないと思っている。これらの曲を聴きたい人たちに提供し続け、そして連綿と演奏し続けることにより日本でこういった曲たちが書かれたということを次代に伝えて行くことこそが重要と思うのだ。
※MusicArenaでは過去に本件のSym#1を取り上げて論じ、またMusicArena Awards 2012でSemi-Grand Prixにも選定した。このことに関連し、一部の読者からここに掲載を続けていることについて批判的な私信メールを頂戴したので、自らの見解を以下に記すこととする。上述のように、今回の事案を経たとしてもこの作品の価値が変わるわけではなく、従って事後的にこれらの評価を変えるつもりはないし、掲載を取りやめるつもりもない。

♪ よい音楽を聴きましょう ♫
by primex64
| 2014-02-08 17:08
| Music
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Comments(3)

お世話様です。なんか、この件はカミさんもワイドショーなんぞで興味津々で見て「ヘェーッ、なんか大変やねぇ」と笑ってます。何せ、カミさんは関西人ですのでw
マスター様の前回の記事を拝見して「ああ、私の好みの音楽じゃあないな」とのみ判断して、それで終わりました。記事には、全聾の作曲家にも拘らずこんなに凄い音楽をなんてウエットな記載もなく、私も純粋に音楽に対するコメントのみと受け止めました。こうしたブログを運営されていると、それでも色々とおっしゃる(どんなことを言うのですかね?)方がいると、お大変なことです。
本狂乱劇で私が唯一反応したのは、記者会見した眼鏡のオジサンの、なぜ代作を断らなかったのかの質問に対する「断わったら死んじゃうと言われた」という答えでした。子供かw
私にとっては、このブログは色々な楽曲や演奏家について眼を開くことが出来た有難いものであり、引き続いて啓蒙して頂くことを切にお願いするものです。
マスター様の前回の記事を拝見して「ああ、私の好みの音楽じゃあないな」とのみ判断して、それで終わりました。記事には、全聾の作曲家にも拘らずこんなに凄い音楽をなんてウエットな記載もなく、私も純粋に音楽に対するコメントのみと受け止めました。こうしたブログを運営されていると、それでも色々とおっしゃる(どんなことを言うのですかね?)方がいると、お大変なことです。
本狂乱劇で私が唯一反応したのは、記者会見した眼鏡のオジサンの、なぜ代作を断らなかったのかの質問に対する「断わったら死んじゃうと言われた」という答えでした。子供かw
私にとっては、このブログは色々な楽曲や演奏家について眼を開くことが出来た有難いものであり、引き続いて啓蒙して頂くことを切にお願いするものです。
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koyamaさま
コメントありがとうございます。色んな人がいるものです。数名ですが、偽物なんだから取り下げるべき、あるいは片棒を担ぐようなものだ、的な直情的な内容でした。
これに懲りず少しずつ書いて行きますので、またヨロシクです。
コメントありがとうございます。色んな人がいるものです。数名ですが、偽物なんだから取り下げるべき、あるいは片棒を担ぐようなものだ、的な直情的な内容でした。
これに懲りず少しずつ書いて行きますので、またヨロシクです。

佐村河内問題、発端となった野口剛夫「全聾の天才作曲家 佐村河内守は本物か」、「佐村河内問題とは何だったのか」(ともに新潮社)、「佐村河内問題とフルトヴェングラー」(音楽現代 2014年8月号)を読んだものの、どれも子どもの作文というべき、低級な内容でした。
野口剛夫の文章をAMAZONのレビューで賞賛する人たちを見ていると、こんなくだらない文章なんか、よくもほめちぎれるものだと呆れました。そんな文章に「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を出すようでは、日本のジャーナリズムも墜ちたものです。
呆れたことに、野口が「週刊金曜日」のような良識派の雑誌にこの問題を持ち出したことには、開いた口がふさがりませんでした。新垣隆さんが小学館から著書を出したようで、野口がまたもや何か出すだろう、と感じています。
第一、こんな騒動など誰も相手にしていませんし、冷静に対処しています。もう、野口もいい加減、こんな下らないことは止めた方がいいでしょう。
ちなみに、野口剛夫は某音楽団体の機関誌編集長の地位を利用して私物化した挙句、某団体から追放となった、曰くつきの人物であることも申し添えておきます。
野口剛夫の文章をAMAZONのレビューで賞賛する人たちを見ていると、こんなくだらない文章なんか、よくもほめちぎれるものだと呆れました。そんな文章に「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞」作品賞を出すようでは、日本のジャーナリズムも墜ちたものです。
呆れたことに、野口が「週刊金曜日」のような良識派の雑誌にこの問題を持ち出したことには、開いた口がふさがりませんでした。新垣隆さんが小学館から著書を出したようで、野口がまたもや何か出すだろう、と感じています。
第一、こんな騒動など誰も相手にしていませんし、冷静に対処しています。もう、野口もいい加減、こんな下らないことは止めた方がいいでしょう。
ちなみに、野口剛夫は某音楽団体の機関誌編集長の地位を利用して私物化した挙句、某団体から追放となった、曰くつきの人物であることも申し添えておきます。