J.S.Bach: Goldberg Variations BWV.988@Minako Tsukatani |

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J.S.Bach (1685-1750) : Goldberg Variations BWV.988
Minako Tsukatani (Positiv Organ)
J.S.バッハ: ゴルトベルク変奏曲 BWV.988(ポジティフオルガンによる演奏)
塚谷水無子(ポジティフオルガン/草苅徹夫 2004年製作)
この盤を買うまで知らなかったのだが、塚谷水無子は1年ほど前にオランダの教会の大型オルガン(Christian Müller Organ, 1738)でゴルトベルクを録っているという。その先発盤のジャケットに写る塚谷の姿は今回のこの盤のジャケットと同じだが、背景が黒ということらしく、この盤の場合には白だ。つまり、この録音はオルガン・ゴルトベルクの後半編であり、しかも制約の多い小型のポジティフ・オルガン(準据え置きタイプの箱型オルガン)での再チャレンジという曰くのついたアルバムらしいのだ。
オルガンのゴルトベルクは10年ほど前まではリサイタルも含め何度も聴いたことがある。CDではハンスイェルク・アルブレヒトやグンター・ロストの野心作もある。が、このところはもっぱらモダンピアノで弾かれるものが多い。そのたびごとに二段鍵盤を備えたチェンバロで弾かれるカノニカルなゴルトベルクとの差異、違和感についていろいろと考えさせられて来た。ゴルトベルクに限らず、二段鍵盤向けに書かれたバッハの作品をフラットな一段鍵盤で弾くことの功罪はこの録音の日記 に書いた。
この盤のライナーには通例に漏れず音楽評論家である池田卓夫氏の文章が載っているが、もう一人、オーディオ評論家の村井裕弥氏のコメンタリーも掲載されている。両氏とも二段鍵盤問題に言及しているのは興味深い。そして、このようなマイナー・レーベルのライナーにて正直で技術的論点を相応の紙面を割いて語っているのは評価できる点であり、流石にバッハのこの種の作品に対しては両氏とも知見が深いようである。
要は二段鍵盤向けの楽曲を一段鍵盤で弾くと物理的なコンフリクトが起きてしまうということ。また、二段鍵盤用の譜面を二段鍵盤で普通に弾くととても気持ちが良いという例はこの録音の評に詳しく述べたところだが、この盤のライナーにはやはり同じような危惧を抱いたその道の専門家(?)の意見が書いてあって、なんだか仲間を得た風で心強いものがある。
塚谷のこのポジティフ・オルガンのゴルトベルクはどうなのか、というと、これは全く以て何の違和感もない、というか、寧ろ優れた演奏であり大いに気に入ったのだ。これくらい小さくてストップ数が極小のオルガンだと出てくる音もストレートかつ鋭くて、音色自体はチェンバロの質感をかなり強くした感じであり、従ってスケールにおいてももたついたりタイムラグがあったりということはないのは大オルガンに対比される強点かもしれない。とにかくビームが鋭く、またクイックでシュアなフィンガーワークが素晴らしいのだ。
塚谷はゴルトベルクのマニアなんだそうだが聴く側の私はというと、マニアとまでは言えないまでもゴルトベルクに関してはかなりの好事家かもしれない。調べてみると過去10年ほどで年間にコンスタントな枚数のゴルトベルクを買っているし、時たま抽斗から出してきて掛ける盤も選り取りみどりであって色んな傾向のゴルトベルクをその都度、気分に応じて聴き分けているような状況である。塚谷がゴルトベルクに嵌まっているというのが実によく理解できるし、それほど習慣性と麻薬的な魅力に満ち溢れた曲集であると言って良いであろう。勿論、一部の人たちにとって、という前提付きであるが。
ゴルトベルクは変奏が延々と続くので、全体の出来栄え感を一言で表すのは難しいが、やはり、第16変奏の前後の「豹変」がどのように弾かれているかだと思う。いままでの世のゴルトベルクの名手と同じように、起承転結に準(なぞら)えたきっちりとした構築法を実践していて、なおかつヴィヴィッドであり、嫌味にならない程度のアゴーギクを縦横に織り交ぜたこの塚谷の演奏は非常に聴き応えがする。そして、一種突き放したようなあっけらかんとしたテンポ取りと左右対称の荒っぽい対位法の展開がとても男性的であって、女性の手になる演奏とは思われない骨太な演奏設計なのだ。
ということで、これはゴルトベルクのファンにとってはちょっと括目の演奏だし、今後しばらくは我が家の定番(定盤)としてCDプレーヤーのトレイに収まる機会は多いのではないかと予測する。
(録音評)
Pooh's Hoop、PCD1305、通常CD。録音は2013年5月4~6日、小淵沢の草苅オルガン工房とある。この盤の風体はメジャーレーベルのそれと大いに異なり、いかにも手作りしたという感じの素朴なものだ。だがライナーはしっかりと作成されており、前述のとおり、音楽評論家の池田卓夫氏、オーディオ評論家の村井裕弥氏が解説を書いている。盤の襷には、これはプライベート録音・私家盤のため、収録された音質はアマチュア録音相当のもの、とのコメントがある。しかし、マスタリングがあの行方洋一氏が担当しているとも書いてあるので、このコメントはある種矛盾している。行方洋一は東芝EMIで辣腕を振るった名技師であり、録音の世界ではプロ中のプロ。彼が手がけたこの盤を私家盤ということは出来ないはずだ。聴いてみると、確かにアマチュアっぽい素録り特有の鋭く尖った音、そして夾雑する各種ノイズがサプレスされていないのだが、芯のある小型オルガンのパイプ音とストップが起動・停止を繰り返す様子を克明に捕えている。大昔だが「ナマロク」が流行った時期があり、鮮度的にはまさにその生録音のフレーバーをそのまま凝縮した盤なのだ。音楽としてのゴルトベルクの出来栄えは良く、かつ、とてもアグレッシブな技巧的な録音となっているので、音楽・オーディオの両面で広くお勧めできるもの。但し、刺激の強いストレートな直接音、散乱する間接音が正しく再生されなくても落ち込む必要はない。この盤に含まれるフレッシュな音は再生装置にとってはかなり難しいと言っておこう。

♪ よい音楽を聴きましょう ♫