2012年 11月 28日
Mendelssohn: Vn-Cons@Alina Ibragimova, Vladimir Jurowski/OAE |
ハイペリオンの9月の新譜で、昨今の若手では最も鋭敏に尖ったVnソリスト=イブラギモヴァが弾くコンチェルト2題。尚、同じ内容で国内仕様盤も11月に入ってリリースされているようだが、このCDは買った後に暫くその辺に積んでいたユーロ圏向けの輸入盤。

http://tower.jp/item/3180886/
Mendelssohn: Violin Concertos
1. Violin Concerto in E minor, Op. 64
2. Hebrides Overture, Op. 26
3. Violin Concerto in D minor, Op. post.
Alina Ibragimova (Vn)(1,3)
Orchestra of the Age of Enlightenment, Vladimir Jurowski
メンデルスゾーン
ヴァイオリン協奏曲ホ短調Op.64
序曲《フィンガルの洞窟》Op.26
ヴァイオリン協奏曲ニ短調
アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
ウラディミール・ユロフスキ(指揮)
エイジ・オヴ・インライトゥメント管弦楽団
あのイブラギモヴァがメンコンを録るとは虚を突かれた。骨太で強靭、躍動する独特のVnがどう鳴るのか想像がつかないでいた。
このアルバムの内容だが、冒頭がホ短調コンチェルト、つまり誰も知らないものはない余りに有名ないわゆるメンコンで、次いで埋め草としてフィンガルの洞窟が挟まり、そして最後は、バルソルディの若年期の作品であまり演奏機会のないニ短調コンチェルトというオール・メンデルスゾーン・プログラム。この珍しいニ短調を締めに置いていることそのものが今回のこのアルバムの趣意を全て言い表わしている、というのは通しで聴いた後に思い知らされたことだった。
メンコンは超有名な曲で、たとえクラシックに詳しくない人であってもテレビCMやフィギュアスケートのバックで流れているのを幾度となく聴いているはずだ。この稀代のコンチェルトを端的に表現するのも憚られるのであるが、メロウでメランコリック、そしてエレガントを絵に描いたような名作とできようか(日本語ならば、芳醇で憂鬱、そして優雅、ということになるのだが漢字で当てるとどうもしっくりと来ない)。
演奏評や音楽専門誌においてイブラギモヴァは、時折ピリオド・アプローチの人であると紹介される。しかし、古典派やロマン派の作品までもがバロック期の気風に変化するわけではなくて、ジャンルによって弾き方を明らかに変えていることから、例えばベトVnソナタがバッハのようにストイックに響くことはないし、ヴィヴァルディのように天国的に響くこともない。では、何が「ピリオド」的なのかというと、恐らく想像だが、過度なヴィブラート、そしてアゴーギクを抑制しているだけである。それをピリオドというならば昨今のファウストは完全にそうだし、ムローヴァのバッハ無伴奏以後の一連の録音もそういえるだろう。
メンコンでのイブラギモヴァは丹念かつ精緻であるが、熱気と情感という点においては抑制ぎみ。強奏部での弦の使い方だが、これは過去からの傾向どおりD線もG線も野太く、弓の腹の面積を最大限に生かしてごりごりと弾く。一方、弱音部やカデンツァの高域部分についてはE線とA線が非常に繊細で、かつ啜り泣くような独特のピーキー・サウンドを鳴らす。金属弦あるいはナイロン弦の中でも高域の高調波にブリリアンスが含まれているものを選定していると思われ、それを恐らくは弓の背で糸を引くように極めて精緻に擦過することで、高域が超細身に強調されるのだろう。
前述のサウンド傾向は全楽章を通じて一様に感じられる。通常、D線~A線までは太さと受け持ち帯域が異なるものの、音色は同一傾向に合わせるべきところ、イブラギモヴァは敢えて上下2Wayの音色としている。この上下弦によるダブルストップやスケールが上下のクロスオーバーを行き交うとき、あたかも2挺のVnがデュオを構成するようなダイナミックさが生まれ、その多面的で多彩な音が背景に埋もれることなくオケと溶け合うことで抜群の共鳴効果をもたらしている。
ヴィブラートの襞が浅くてアゴーギクも少なく、いわゆる節回しも過度につけない外連味(けれんみ)のないこの演奏設計はメンコンの常套的演出手法からは大きく外れたものだ。メロウな要素もメランコリックな要素も実にあっさりとしており、エレガントかといわれると、やはりそうではなくてシンプル&ストレートな弾き方である。これはイブラギモヴァ/ユロフスキからの問題提起であるともとれる実に革新的で独創のメンコンなのだ。
フィラーのフィンガルの洞窟・序曲を経てニ短調コンチェルトへと突入するが、ここでの雰囲気は冒頭のホ短調とは大違いで、まるで別人が弾いているのかと錯覚するほど情感剥き出しの熱い、しかしドライであっけらかんとした演奏となっている。個人的にはこの若々しくて直進性の強いニ短調がもともと好きだが、その意を更に強くさせられる強靭でバイタリティに満ちた演奏。イブラギモヴァの2Wayの音色は更に輝きを増し、ぞくぞくするような胸のすくドライブ感、そして中間楽章の知的で稠密なテクスチャを嬉々として構築して行くのである。しかし、よくよく聴き込んでみると独奏もオケも最初のメンコンから大きく変化しているということはなくて曲が違うのみなのだ。冒頭で提示されたちょっと風変わりな乾燥傾向のメンコンはあくまでもここへ達するための序章部だったことに気がつく。その風変わりな手法をこのニ短調コンチェルトに演繹するとこうなるのだ、と高らかに宣言しているふうな痛快な演奏であり、文字通りこのアルバムのメインディッシュであることは明白だ。
ピリオド・アプローチによるメンデルスゾーン作品集と十把一絡げで片付けるべきではない大きなスケッチの下に構成された聴き応えのする演奏であり、またイブラギモヴァ/ユロフスキの高度な音楽性と演奏解釈が大いに息づいているアルバムといえる。あまた出現しては消えて行くメンコン演奏においては、いまや大きく差別化するような特徴的な出来栄えは期待できない昨今、ある意味で貴重な一石を投じている一枚だ。
(録音評)
Hyperion CDA67795、通常CD。録音は2011年9月2日-4日、ヘンリー・ウッド・ホール(ロンドン)とある。音質はハイペリオン独特の僅かなシズル感を伴いつつ、超高解像度にして極めて地味な作りであって、普通に聴くとそれほどの高音質盤とも思われないもの。しかし、実は非常に多くのアンビエント成分が含まれる超弩級Hi-Fiディスクなのだ。イブラギモヴァの2Way音質は再生装置にとってやさしくはない音作りで、ややもすると高域のピーキー成分が低音弦をマスクしてしまい、厚みの削がれた単調でつまらない音となる。不思議なことに一旦Vnの音がバランスを崩すとオケの器楽構成も矮小してしまい、聴くに耐えない歪っぽい再生音を出すのだ。
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http://tower.jp/item/3180886/
Mendelssohn: Violin Concertos
1. Violin Concerto in E minor, Op. 64
2. Hebrides Overture, Op. 26
3. Violin Concerto in D minor, Op. post.
Alina Ibragimova (Vn)(1,3)
Orchestra of the Age of Enlightenment, Vladimir Jurowski
メンデルスゾーン
ヴァイオリン協奏曲ホ短調Op.64
序曲《フィンガルの洞窟》Op.26
ヴァイオリン協奏曲ニ短調
アリーナ・イブラギモヴァ(ヴァイオリン)
ウラディミール・ユロフスキ(指揮)
エイジ・オヴ・インライトゥメント管弦楽団
あのイブラギモヴァがメンコンを録るとは虚を突かれた。骨太で強靭、躍動する独特のVnがどう鳴るのか想像がつかないでいた。
このアルバムの内容だが、冒頭がホ短調コンチェルト、つまり誰も知らないものはない余りに有名ないわゆるメンコンで、次いで埋め草としてフィンガルの洞窟が挟まり、そして最後は、バルソルディの若年期の作品であまり演奏機会のないニ短調コンチェルトというオール・メンデルスゾーン・プログラム。この珍しいニ短調を締めに置いていることそのものが今回のこのアルバムの趣意を全て言い表わしている、というのは通しで聴いた後に思い知らされたことだった。
メンコンは超有名な曲で、たとえクラシックに詳しくない人であってもテレビCMやフィギュアスケートのバックで流れているのを幾度となく聴いているはずだ。この稀代のコンチェルトを端的に表現するのも憚られるのであるが、メロウでメランコリック、そしてエレガントを絵に描いたような名作とできようか(日本語ならば、芳醇で憂鬱、そして優雅、ということになるのだが漢字で当てるとどうもしっくりと来ない)。
演奏評や音楽専門誌においてイブラギモヴァは、時折ピリオド・アプローチの人であると紹介される。しかし、古典派やロマン派の作品までもがバロック期の気風に変化するわけではなくて、ジャンルによって弾き方を明らかに変えていることから、例えばベトVnソナタがバッハのようにストイックに響くことはないし、ヴィヴァルディのように天国的に響くこともない。では、何が「ピリオド」的なのかというと、恐らく想像だが、過度なヴィブラート、そしてアゴーギクを抑制しているだけである。それをピリオドというならば昨今のファウストは完全にそうだし、ムローヴァのバッハ無伴奏以後の一連の録音もそういえるだろう。
メンコンでのイブラギモヴァは丹念かつ精緻であるが、熱気と情感という点においては抑制ぎみ。強奏部での弦の使い方だが、これは過去からの傾向どおりD線もG線も野太く、弓の腹の面積を最大限に生かしてごりごりと弾く。一方、弱音部やカデンツァの高域部分についてはE線とA線が非常に繊細で、かつ啜り泣くような独特のピーキー・サウンドを鳴らす。金属弦あるいはナイロン弦の中でも高域の高調波にブリリアンスが含まれているものを選定していると思われ、それを恐らくは弓の背で糸を引くように極めて精緻に擦過することで、高域が超細身に強調されるのだろう。
前述のサウンド傾向は全楽章を通じて一様に感じられる。通常、D線~A線までは太さと受け持ち帯域が異なるものの、音色は同一傾向に合わせるべきところ、イブラギモヴァは敢えて上下2Wayの音色としている。この上下弦によるダブルストップやスケールが上下のクロスオーバーを行き交うとき、あたかも2挺のVnがデュオを構成するようなダイナミックさが生まれ、その多面的で多彩な音が背景に埋もれることなくオケと溶け合うことで抜群の共鳴効果をもたらしている。
ヴィブラートの襞が浅くてアゴーギクも少なく、いわゆる節回しも過度につけない外連味(けれんみ)のないこの演奏設計はメンコンの常套的演出手法からは大きく外れたものだ。メロウな要素もメランコリックな要素も実にあっさりとしており、エレガントかといわれると、やはりそうではなくてシンプル&ストレートな弾き方である。これはイブラギモヴァ/ユロフスキからの問題提起であるともとれる実に革新的で独創のメンコンなのだ。
フィラーのフィンガルの洞窟・序曲を経てニ短調コンチェルトへと突入するが、ここでの雰囲気は冒頭のホ短調とは大違いで、まるで別人が弾いているのかと錯覚するほど情感剥き出しの熱い、しかしドライであっけらかんとした演奏となっている。個人的にはこの若々しくて直進性の強いニ短調がもともと好きだが、その意を更に強くさせられる強靭でバイタリティに満ちた演奏。イブラギモヴァの2Wayの音色は更に輝きを増し、ぞくぞくするような胸のすくドライブ感、そして中間楽章の知的で稠密なテクスチャを嬉々として構築して行くのである。しかし、よくよく聴き込んでみると独奏もオケも最初のメンコンから大きく変化しているということはなくて曲が違うのみなのだ。冒頭で提示されたちょっと風変わりな乾燥傾向のメンコンはあくまでもここへ達するための序章部だったことに気がつく。その風変わりな手法をこのニ短調コンチェルトに演繹するとこうなるのだ、と高らかに宣言しているふうな痛快な演奏であり、文字通りこのアルバムのメインディッシュであることは明白だ。
ピリオド・アプローチによるメンデルスゾーン作品集と十把一絡げで片付けるべきではない大きなスケッチの下に構成された聴き応えのする演奏であり、またイブラギモヴァ/ユロフスキの高度な音楽性と演奏解釈が大いに息づいているアルバムといえる。あまた出現しては消えて行くメンコン演奏においては、いまや大きく差別化するような特徴的な出来栄えは期待できない昨今、ある意味で貴重な一石を投じている一枚だ。
(録音評)
Hyperion CDA67795、通常CD。録音は2011年9月2日-4日、ヘンリー・ウッド・ホール(ロンドン)とある。音質はハイペリオン独特の僅かなシズル感を伴いつつ、超高解像度にして極めて地味な作りであって、普通に聴くとそれほどの高音質盤とも思われないもの。しかし、実は非常に多くのアンビエント成分が含まれる超弩級Hi-Fiディスクなのだ。イブラギモヴァの2Way音質は再生装置にとってやさしくはない音作りで、ややもすると高域のピーキー成分が低音弦をマスクしてしまい、厚みの削がれた単調でつまらない音となる。不思議なことに一旦Vnの音がバランスを崩すとオケの器楽構成も矮小してしまい、聴くに耐えない歪っぽい再生音を出すのだ。

♪ よい音楽を聴きましょう ♫
by primex64
| 2012-11-28 18:42
| Concerto - Vn
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Comments(2)

最近ヘビーローテーションになっている1枚です。王子ホールのコンサート案内を見ると、7月頃来日予定だそうですが、楽しみです。
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トラックバックを頂いたのに気づかず、対応が遅くなってしまって申し訳ありません。素晴らしい記事、感嘆のみです、勉強になります。これからも勉強しにまたよらせてくださいませ!