2012年 11月 04日
Debussy: Children's Corner, Bergamasque Etc@Angela Hewitt |
ハイペリオンの新譜でヒューイットが弾くドビュッシーの著名作品を集めたアルバム。今年はドビュッシー生誕150周年となるアニバーサリーなのであるが、その割にめぼしいリリースが少ない気がする。国内レーベルや大手から、これでもか、と膨大なアルバムが頻出するかと思っていたのだが、どうもそれほどの熱もないようだ。日本人は大のドビュッシー好きだと思っていたのだが、マーケットとしてはあまり期待していないのかもしれない。

http://tower.jp/item/3140815/
Debussy: Solo Piano Music - Children's Corner, Suite Bergamasque, etc
1. Children's Corner: Doctor Gradus ad Parnassum
2. Children's Corner: Jimbo's Lullaby
3. Children's Corner: Serenade for the Doll
4. Children's Corner: The snow is dancing
5. Children's Corner: The Little Shepherd
6. Children's Corner: Golliwog's Cake-Walk
7. Suite bergamasque: Prelude
8. Suite bergamasque: Menuet
9. Suite bergamasque: Clair de lune
10. Suite bergamasque: Passepied
11. Danse
12. Deux Arabesques: Andantino
13. Deux Arabesques: Allegretto scherzando
14. Pour le piano: Prelude
15. Pour le piano: Sarabande
16. Pour le piano: Toccata
17. Masques
18. L'isle joyeuse
19. La plus que lente
Angela Hewitt (Pf)
ドビュッシー: ピアノ作品集
組曲《子供の領分》
ベルガマスク組曲
舞曲
2つのアラベスク
ピアノのために
仮面
喜びの島
レントよりおそく
アンジェラ・ヒューイット(ピアノ/ファツィオリ)
ピアノという鍵盤楽器は、オケを構成する弦楽器のうちで協奏曲やソナタがたくさん書かれている楽器・・・VnやVc等・・・に比べれば楽器自体の個体差や演奏様式による音色の違いというのは出にくい楽器だと思われる。CD等の媒体録音に使用される現代ピアノはその90%以上がスタインウェイのフルコンであり、従って、どんなピアニストがどのように弾こうが、所詮は同じメーカーの製品であることから、出てくる音域は同じであり、また音色にそれほどの差異はないはずである。特にスタインウェイのPfは工業製品として見た場合の均質性は高いとされ、従って音の個体差も少ないと思われる。
一方、人間の肉声で音楽を奏でる=声楽の世界では、基本声域としては男声の場合には低い方からバス、バリトン、テナー、(+裏声を用いた異種としてカウンター・テナーがある)、また女声の場合にはアルト(コントラルトともいう)、メゾ・ソプラノ、ソプラノとある。オペラなどにおける情感表現上の用途や声質の軽重等の特徴を捉えてこれらの基本声域にコロラトゥーラ、リリコ、ドラマティコ、レッジェーロ、ロブスト、エロイコ等の細分化したサブ・カテゴリを付すこともある。肉声は吐息によって声帯を振動させた時に発せられる持続音を、咽頭や胸腔が備えるエアボリュームによる共鳴現象を用いて制御増幅させた音波であると言える。楽器で言えば木管のリード楽器に近い構造をしたものと捉えてよいだろう。
木管のリード楽器は、音源となる竹製のダイヤフラムが発する小さな音を笛状の筒で共鳴させて増幅して大きな音を発するような構造をしている。リード、及び当該の筒の共鳴可能な周波数帯域は、その筒自体の物理寸法=太さと長さによって自ずと上下限が定まるため、一挺の楽器で超低音から超高音までを遍くカバーすることは出来ない(中にはファゴットのように極めて技巧的な手法により構成され非常に広い音域を獲得している例外的な楽器はあるが、それでも高音域に関しては音圧レベルを常に高く維持することは非常に困難であり、よって低音楽器に分類されているもの)。
これらは、定まった長さの一組の声帯、定まった寸法の一組の咽頭を持った人体構造が生物学的に必定であるのと似通っている。尚、リード以外の木管楽器や金管楽器の場合にはリードをマウスピース(歌口)、筒を銀管や真鍮管に置き換えて考えれば、これらの動作原理が木管リード楽器のそれと類似であることは明白だ。こういった一対の発音体が持つ固有の共振周波数帯域の限界を超えるため、発音体を多数並べ、一つの発音体に唯一つの周波数を割り当てた楽器の典型がオルガンである。この場合の発音体とは木管リード楽器に近い動作のリード管、ないしフルートやリコーダーに近い動作のフルー管を指す。オルガンは、言ってみれば複数本の木管ないし金管楽器を並列に並べ、鍵盤で発音動作のオン・オフを瞬時に制御することの出来る楽器なのだ。大規模なオルガンが出せる音の周波数帯域は極めて広大であり、アコースティック楽器の種別の中では最もワイドレンジとされる(電子オルガンの場合には可聴周波数帯域を優に超えるものも製作可能ではあるが)。
弦楽器の場合も、一本の弦により超低音から超高音までカバーする共振周波数帯域は物理的には得られない。そこで、殆ど全ての弦楽器は、中心となる共振周波数が異なる太さの弦を異なった張力で複数本張った構造をしており、弾きたい旋律の帯域に合わせてこれらの弦を使い分けているのである。オルガンと同様に一対の弦に対して一つの周波数を割り当てた楽器の典型がチェンバロ(=クラヴィコード、クラヴサン)であり、そして現代ピアノである。また、出自は曖昧なのだが大正琴もこの種の楽器と言えるかも知れないし、発音の契機は鍵盤に拠らないがツィンバロンも一対の発音体に一つの周波数を割り当てている楽器である。構造的にはマリンバやヴィブラフォンもツィンバロンと殆ど同じであって、いわゆる木琴の類は世の中的には打楽器と分類されているが、実情としては鍵盤楽器の仲間と言った方が適切だと思われる。
楽器をやっていた遙か昔から思っていることであるが、同じPfで同じ作家の同じ曲を弾いたとしても、どうも演奏者によって声域が異なるのである。そして、同じ演奏者が別の曲を弾いたとしてもその声域はほぼ同じ印象であって、例えばショパンを低く落ち着いた音で奏でるピアニストがリストやモーツァルト、ベートーヴェンを弾いたとしてもやはり低く落ち着いた感じの音を発するのである。彼ら彼女らが弾いているピアノは、いずれもA音=435Hz~440Hzくらいで調律されており、通常は高い低いは余り意識することはないだろう。にもかかわらず、Pf自体が発する音に高低差を感じてしまうのだ。
喩えを簡単にするため、Pfの演奏から受ける声域の高低の印象を女声の基本声域に準(なぞら)えてみる。例えば若い頃のポリーニやツィマーマンは完全なソプラノである。若い頃のアルゲリッチは破天荒でピーキーかつ天性のハイテンション、そしてアップテンポ気味のアーティキュレーションが特徴であるが、よくよく聴き返してみるとメゾソプラノ帯域だ。個人的に尊敬しているアラウはかなり低いアルト、また復帰した後のペライアもまたアルトだ。昨今の若手女流にはソプラノの印象を持つ人が多く、例えばサラ=オットもユジャ・ワンもそうだし、一瞬太そうな感じのブニアティシビリも実はソプラノ、国内活動組である高橋多佳子もソプラノだろう。一方、受け持ち帯域はおしなべて高そうに思われるドゥ・ラ・サールの場合は、ふ厚い中域を使った歌い方から判断するとメゾソプラノ、一聴すると野太そうで剛健なエンゲラーは、実はソプラノの形質を持っていた。日本国内で非凡かつ精力的な活動をしているメジューエワは、その純音と綺麗に伸びる高域弦のイメージからソプラノかと思いきや、訥々とした語り口の基調は明らかにメゾソプラノだ。
という風に、人間の声の基底周波数が人によりまちまちで、かつ不変であるのと同様、Pfの場合においても基底周波数、つまり声域がピアニストごとに定まっていると確信している。Pfの造りは基本的には同じものであるため、各鍵盤がもつ基音(ファンダメンタル)は同じである。しかし、弾き方によって歪成分が異なってくることは容易に想像がつく。例えば、一つの鍵盤に割り当てられて一つのハンマーで同時に叩かれる調律が微妙に異なる弦が2~3本ある構造から、打鍵の強弱によってこれら複数弦の共振周波数が僅かにずれてきて、それが高調波成分となって基音を低めに、或いは高めに感じさせるということ、またサスティンしてダンパーを上げた状態においては他の解放弦へ伝播して明らかな倍音(ハーモニクス)を惹起されることにより、基音と倍音のスペクトラム構成比によって音が太いとか細いとか高いとか低いとかという印象を聴くものに与える、と考えている。
前置きが長くなった。ではこのヒューイットはどうなのか、ということなのだが、これはまさに典型的なコントラルトと言って良い、がっしりとした骨太の音を出すピアニストだ。そして、元々低めの印象のヒューイットは低歪率のファツィオリを好んで使っていることとも相俟って、その太くて重心が低い発声で弾かれる独創のドビュッシーは格別な個性を放散しているのだ。
アルバムは子供の領分の全曲が先頭となっている。冒頭はグラドゥス・アド・パルナッスム博士であるが、この明媚で躍動的な名曲がヒューイットの手に掛かると、宝石を鏤めたような派手な音たちではあるけれども、一方では琥珀色の落ち着きも同時に纏い、これから始まる素晴らしい全体像を暗示している。ヒューイットの場合は低く太いといっても技巧的に鈍重かというとそれはまるで逆で、洗練された盤石な超絶技巧と高速な指回り、繊細で静謐な解釈能力を備えている。雪における空間感と余白の埋め方、そして精緻な演奏設計は息を呑む美しさと均整の取り方なのだ。かと思うとゴリーヴォーグの諧謔性、愉快性を一気に畳み掛けてくるエナジーも凄いものがあり、硬軟の出し入れと言った点においても傑出している。
このアルバムは余りにもスタンダードすぎるドビュッシー集であり、子供の領分の次にはベルガマスク組曲の全曲が収められている。有名すぎる月の光であるが、ヒューイットの解釈は他のピアニストによる多くの解釈とは逆で、エナジー感を殺ぐ方向でまとめている。茫洋とした薄暗がりに浮かび上がる月明かりに照らされた世界は一面の暖色であって、青白かったり煌めいていたりということは決してない。そして耽美一辺倒で情感移入することなく、また譜面の指示にあるpp(ピアニッシモ)を逸脱することなく淡々と弾ききっている。ベルガマスクの見せ場としてピークを月の光に持ってくる演奏が殆どの中、これは評価の分かれるところであろう。そしてこの演奏の場合のピークは終曲であるパスピエにセットされているのだ。ヒューイットの変幻自在な解釈によるこのパスピエはとても独創的、新たな発見があって新鮮だった。
個人的にはこのアルバムの中枢はDeux Arabesques(二つのアラベスク)と思われる。特に1番はドビュッシーの神髄と思われる6全音音階、5度和音が駆使され、フランス印象楽派の特徴を端的に凝縮した傑作中の傑作。ヒューイットの弾きっぷりは硬軟、軽重、明暗の出し入れによる描き方が多彩であって、しかも荒れたところが全くない。風光明媚なアラビア風に一種の憂鬱を織り交ぜた堂々たる解釈は素晴らしいのひとこと。この曲に関しては普段よりパスカル・ロジェの演奏を愛聴している。ヒューイットの演奏の方がエナジー感が強くてめりはりが効いており、滑らかに舐めるような穏健なロジェの弾き方とは双璧だ。どちらもドビュッシー解釈としてはありで、気分により聴き分ける楽しみが増えた。尚、技巧的に両人には大きな差はなくドビュッシー弾きとしては最高レベルに到達していると言って良い。
ドビュッシー本人の構想では本来はベルガマスクに組み入れるつもりであったという喜びの島、そしてレントより遅くでこのアルバムは閉まる。レントより遅くに関しては、まさに譜面上にある速度指示と曲想指示=Lent(Molto rubato con morbidezza)♩=104 そのもので、即ち、かなり自由、柔軟に、そして極度に寛容に、という弾き方になっている。速度に関しては♩=104よりかは少し遅い入りとなっているようで、これはドビュッシーが題名に籠めた遊び心がちゃんと汲み取られていると見てよい。一通り聴き終えるとまた頭から反芻したくなる、つまりは頭内残像が極めて強い演奏であり、ちょっとした細かなフレーズまで諳んじられるまで聴き続けたくなる習慣性があるアルバムだ。
(録音評)
Hyperion CDA67898、通常CD(CD-TEXT付き)。録音は2011年12月12日~15日、イエス・キリスト教会(ベルリン)とある。ハイペリオンは独特のHiFi感をもった英国レーベルであり、優秀録音が多い。このアルバムもその一枚であり、非常に優れたアンビエント成分、そして歪が殆ど感じられないファツィオリの美音を克明に捉えている。ファツィオリの録音は他にも何枚か聴いているけれども、弾いているのがファツィオリのスペシャリスト、ヒューイットということで音質的にも音楽的にも高次元でバランスした秀逸な録音。音楽ファンにもオーディオ・ファンにもお勧めの一枚だ。
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♪ よい音楽を聴きましょう ♫

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Debussy: Solo Piano Music - Children's Corner, Suite Bergamasque, etc
1. Children's Corner: Doctor Gradus ad Parnassum
2. Children's Corner: Jimbo's Lullaby
3. Children's Corner: Serenade for the Doll
4. Children's Corner: The snow is dancing
5. Children's Corner: The Little Shepherd
6. Children's Corner: Golliwog's Cake-Walk
7. Suite bergamasque: Prelude
8. Suite bergamasque: Menuet
9. Suite bergamasque: Clair de lune
10. Suite bergamasque: Passepied
11. Danse
12. Deux Arabesques: Andantino
13. Deux Arabesques: Allegretto scherzando
14. Pour le piano: Prelude
15. Pour le piano: Sarabande
16. Pour le piano: Toccata
17. Masques
18. L'isle joyeuse
19. La plus que lente
Angela Hewitt (Pf)
ドビュッシー: ピアノ作品集
組曲《子供の領分》
ベルガマスク組曲
舞曲
2つのアラベスク
ピアノのために
仮面
喜びの島
レントよりおそく
アンジェラ・ヒューイット(ピアノ/ファツィオリ)
ピアノという鍵盤楽器は、オケを構成する弦楽器のうちで協奏曲やソナタがたくさん書かれている楽器・・・VnやVc等・・・に比べれば楽器自体の個体差や演奏様式による音色の違いというのは出にくい楽器だと思われる。CD等の媒体録音に使用される現代ピアノはその90%以上がスタインウェイのフルコンであり、従って、どんなピアニストがどのように弾こうが、所詮は同じメーカーの製品であることから、出てくる音域は同じであり、また音色にそれほどの差異はないはずである。特にスタインウェイのPfは工業製品として見た場合の均質性は高いとされ、従って音の個体差も少ないと思われる。
一方、人間の肉声で音楽を奏でる=声楽の世界では、基本声域としては男声の場合には低い方からバス、バリトン、テナー、(+裏声を用いた異種としてカウンター・テナーがある)、また女声の場合にはアルト(コントラルトともいう)、メゾ・ソプラノ、ソプラノとある。オペラなどにおける情感表現上の用途や声質の軽重等の特徴を捉えてこれらの基本声域にコロラトゥーラ、リリコ、ドラマティコ、レッジェーロ、ロブスト、エロイコ等の細分化したサブ・カテゴリを付すこともある。肉声は吐息によって声帯を振動させた時に発せられる持続音を、咽頭や胸腔が備えるエアボリュームによる共鳴現象を用いて制御増幅させた音波であると言える。楽器で言えば木管のリード楽器に近い構造をしたものと捉えてよいだろう。
木管のリード楽器は、音源となる竹製のダイヤフラムが発する小さな音を笛状の筒で共鳴させて増幅して大きな音を発するような構造をしている。リード、及び当該の筒の共鳴可能な周波数帯域は、その筒自体の物理寸法=太さと長さによって自ずと上下限が定まるため、一挺の楽器で超低音から超高音までを遍くカバーすることは出来ない(中にはファゴットのように極めて技巧的な手法により構成され非常に広い音域を獲得している例外的な楽器はあるが、それでも高音域に関しては音圧レベルを常に高く維持することは非常に困難であり、よって低音楽器に分類されているもの)。
これらは、定まった長さの一組の声帯、定まった寸法の一組の咽頭を持った人体構造が生物学的に必定であるのと似通っている。尚、リード以外の木管楽器や金管楽器の場合にはリードをマウスピース(歌口)、筒を銀管や真鍮管に置き換えて考えれば、これらの動作原理が木管リード楽器のそれと類似であることは明白だ。こういった一対の発音体が持つ固有の共振周波数帯域の限界を超えるため、発音体を多数並べ、一つの発音体に唯一つの周波数を割り当てた楽器の典型がオルガンである。この場合の発音体とは木管リード楽器に近い動作のリード管、ないしフルートやリコーダーに近い動作のフルー管を指す。オルガンは、言ってみれば複数本の木管ないし金管楽器を並列に並べ、鍵盤で発音動作のオン・オフを瞬時に制御することの出来る楽器なのだ。大規模なオルガンが出せる音の周波数帯域は極めて広大であり、アコースティック楽器の種別の中では最もワイドレンジとされる(電子オルガンの場合には可聴周波数帯域を優に超えるものも製作可能ではあるが)。
弦楽器の場合も、一本の弦により超低音から超高音までカバーする共振周波数帯域は物理的には得られない。そこで、殆ど全ての弦楽器は、中心となる共振周波数が異なる太さの弦を異なった張力で複数本張った構造をしており、弾きたい旋律の帯域に合わせてこれらの弦を使い分けているのである。オルガンと同様に一対の弦に対して一つの周波数を割り当てた楽器の典型がチェンバロ(=クラヴィコード、クラヴサン)であり、そして現代ピアノである。また、出自は曖昧なのだが大正琴もこの種の楽器と言えるかも知れないし、発音の契機は鍵盤に拠らないがツィンバロンも一対の発音体に一つの周波数を割り当てている楽器である。構造的にはマリンバやヴィブラフォンもツィンバロンと殆ど同じであって、いわゆる木琴の類は世の中的には打楽器と分類されているが、実情としては鍵盤楽器の仲間と言った方が適切だと思われる。
楽器をやっていた遙か昔から思っていることであるが、同じPfで同じ作家の同じ曲を弾いたとしても、どうも演奏者によって声域が異なるのである。そして、同じ演奏者が別の曲を弾いたとしてもその声域はほぼ同じ印象であって、例えばショパンを低く落ち着いた音で奏でるピアニストがリストやモーツァルト、ベートーヴェンを弾いたとしてもやはり低く落ち着いた感じの音を発するのである。彼ら彼女らが弾いているピアノは、いずれもA音=435Hz~440Hzくらいで調律されており、通常は高い低いは余り意識することはないだろう。にもかかわらず、Pf自体が発する音に高低差を感じてしまうのだ。
喩えを簡単にするため、Pfの演奏から受ける声域の高低の印象を女声の基本声域に準(なぞら)えてみる。例えば若い頃のポリーニやツィマーマンは完全なソプラノである。若い頃のアルゲリッチは破天荒でピーキーかつ天性のハイテンション、そしてアップテンポ気味のアーティキュレーションが特徴であるが、よくよく聴き返してみるとメゾソプラノ帯域だ。個人的に尊敬しているアラウはかなり低いアルト、また復帰した後のペライアもまたアルトだ。昨今の若手女流にはソプラノの印象を持つ人が多く、例えばサラ=オットもユジャ・ワンもそうだし、一瞬太そうな感じのブニアティシビリも実はソプラノ、国内活動組である高橋多佳子もソプラノだろう。一方、受け持ち帯域はおしなべて高そうに思われるドゥ・ラ・サールの場合は、ふ厚い中域を使った歌い方から判断するとメゾソプラノ、一聴すると野太そうで剛健なエンゲラーは、実はソプラノの形質を持っていた。日本国内で非凡かつ精力的な活動をしているメジューエワは、その純音と綺麗に伸びる高域弦のイメージからソプラノかと思いきや、訥々とした語り口の基調は明らかにメゾソプラノだ。
という風に、人間の声の基底周波数が人によりまちまちで、かつ不変であるのと同様、Pfの場合においても基底周波数、つまり声域がピアニストごとに定まっていると確信している。Pfの造りは基本的には同じものであるため、各鍵盤がもつ基音(ファンダメンタル)は同じである。しかし、弾き方によって歪成分が異なってくることは容易に想像がつく。例えば、一つの鍵盤に割り当てられて一つのハンマーで同時に叩かれる調律が微妙に異なる弦が2~3本ある構造から、打鍵の強弱によってこれら複数弦の共振周波数が僅かにずれてきて、それが高調波成分となって基音を低めに、或いは高めに感じさせるということ、またサスティンしてダンパーを上げた状態においては他の解放弦へ伝播して明らかな倍音(ハーモニクス)を惹起されることにより、基音と倍音のスペクトラム構成比によって音が太いとか細いとか高いとか低いとかという印象を聴くものに与える、と考えている。
前置きが長くなった。ではこのヒューイットはどうなのか、ということなのだが、これはまさに典型的なコントラルトと言って良い、がっしりとした骨太の音を出すピアニストだ。そして、元々低めの印象のヒューイットは低歪率のファツィオリを好んで使っていることとも相俟って、その太くて重心が低い発声で弾かれる独創のドビュッシーは格別な個性を放散しているのだ。
アルバムは子供の領分の全曲が先頭となっている。冒頭はグラドゥス・アド・パルナッスム博士であるが、この明媚で躍動的な名曲がヒューイットの手に掛かると、宝石を鏤めたような派手な音たちではあるけれども、一方では琥珀色の落ち着きも同時に纏い、これから始まる素晴らしい全体像を暗示している。ヒューイットの場合は低く太いといっても技巧的に鈍重かというとそれはまるで逆で、洗練された盤石な超絶技巧と高速な指回り、繊細で静謐な解釈能力を備えている。雪における空間感と余白の埋め方、そして精緻な演奏設計は息を呑む美しさと均整の取り方なのだ。かと思うとゴリーヴォーグの諧謔性、愉快性を一気に畳み掛けてくるエナジーも凄いものがあり、硬軟の出し入れと言った点においても傑出している。
このアルバムは余りにもスタンダードすぎるドビュッシー集であり、子供の領分の次にはベルガマスク組曲の全曲が収められている。有名すぎる月の光であるが、ヒューイットの解釈は他のピアニストによる多くの解釈とは逆で、エナジー感を殺ぐ方向でまとめている。茫洋とした薄暗がりに浮かび上がる月明かりに照らされた世界は一面の暖色であって、青白かったり煌めいていたりということは決してない。そして耽美一辺倒で情感移入することなく、また譜面の指示にあるpp(ピアニッシモ)を逸脱することなく淡々と弾ききっている。ベルガマスクの見せ場としてピークを月の光に持ってくる演奏が殆どの中、これは評価の分かれるところであろう。そしてこの演奏の場合のピークは終曲であるパスピエにセットされているのだ。ヒューイットの変幻自在な解釈によるこのパスピエはとても独創的、新たな発見があって新鮮だった。
個人的にはこのアルバムの中枢はDeux Arabesques(二つのアラベスク)と思われる。特に1番はドビュッシーの神髄と思われる6全音音階、5度和音が駆使され、フランス印象楽派の特徴を端的に凝縮した傑作中の傑作。ヒューイットの弾きっぷりは硬軟、軽重、明暗の出し入れによる描き方が多彩であって、しかも荒れたところが全くない。風光明媚なアラビア風に一種の憂鬱を織り交ぜた堂々たる解釈は素晴らしいのひとこと。この曲に関しては普段よりパスカル・ロジェの演奏を愛聴している。ヒューイットの演奏の方がエナジー感が強くてめりはりが効いており、滑らかに舐めるような穏健なロジェの弾き方とは双璧だ。どちらもドビュッシー解釈としてはありで、気分により聴き分ける楽しみが増えた。尚、技巧的に両人には大きな差はなくドビュッシー弾きとしては最高レベルに到達していると言って良い。
ドビュッシー本人の構想では本来はベルガマスクに組み入れるつもりであったという喜びの島、そしてレントより遅くでこのアルバムは閉まる。レントより遅くに関しては、まさに譜面上にある速度指示と曲想指示=Lent(Molto rubato con morbidezza)♩=104 そのもので、即ち、かなり自由、柔軟に、そして極度に寛容に、という弾き方になっている。速度に関しては♩=104よりかは少し遅い入りとなっているようで、これはドビュッシーが題名に籠めた遊び心がちゃんと汲み取られていると見てよい。一通り聴き終えるとまた頭から反芻したくなる、つまりは頭内残像が極めて強い演奏であり、ちょっとした細かなフレーズまで諳んじられるまで聴き続けたくなる習慣性があるアルバムだ。
(録音評)
Hyperion CDA67898、通常CD(CD-TEXT付き)。録音は2011年12月12日~15日、イエス・キリスト教会(ベルリン)とある。ハイペリオンは独特のHiFi感をもった英国レーベルであり、優秀録音が多い。このアルバムもその一枚であり、非常に優れたアンビエント成分、そして歪が殆ど感じられないファツィオリの美音を克明に捉えている。ファツィオリの録音は他にも何枚か聴いているけれども、弾いているのがファツィオリのスペシャリスト、ヒューイットということで音質的にも音楽的にも高次元でバランスした秀逸な録音。音楽ファンにもオーディオ・ファンにもお勧めの一枚だ。

♪ よい音楽を聴きましょう ♫
by primex64
| 2012-11-04 22:35
| Solo - Pf
|
Trackback
|
Comments(7)

こりゃ、買うしかないですな!
0
数あるドビュッシー集としては非常にハイレベル、かつ音質は一瞬地味に感じるけれども実は超絶的。このおばちゃん、侮れない・・・w

ヒューイットは、以前はSACDで結構リリースがあって、ショパンとか良いなあとSACDに浸っていたのですが。通常CDでもハイファイ(古)のCDなのでしょうが、追加でSACDで出ないかなぁと迷うkoyamaですw
でも、買っちゃうと思いますが。
ではでは。
でも、買っちゃうと思いますが。
ではでは。
koyama さん お久しぶりです!
最近は仕事が超忙しいので余り書けていません。すみません・・orz
はい! SACDで出ると勿論、買いですけれど。しかし、昨今の通常CDの音の良さは目を瞠るものがあります。つまり、DSDの技術を利用して通常の16bit PCMにハイビット成分を折り畳む技術が凄いのです。もう、SACDならでは、といったことは殆どなくて、こういった高度なビットマッピング技法(=といっても、PyramixやDigital Audio Denmarkあたりの限られた機材ですが)を採用しているレーベルを買えば間違いなく超弩級の高音質です。是非ともこのヒューイットでその真否をお確かめ下さいませ。きっと唸られるとおもいますよ w
最近は仕事が超忙しいので余り書けていません。すみません・・orz
はい! SACDで出ると勿論、買いですけれど。しかし、昨今の通常CDの音の良さは目を瞠るものがあります。つまり、DSDの技術を利用して通常の16bit PCMにハイビット成分を折り畳む技術が凄いのです。もう、SACDならでは、といったことは殆どなくて、こういった高度なビットマッピング技法(=といっても、PyramixやDigital Audio Denmarkあたりの限られた機材ですが)を採用しているレーベルを買えば間違いなく超弩級の高音質です。是非ともこのヒューイットでその真否をお確かめ下さいませ。きっと唸られるとおもいますよ w
TBありがとうございました。
これからもよろしくお願いします。
これからもよろしくお願いします。

前回のH24/11月投稿から苦節3ケ月半、ようやくにこのCDを手にしました。あの後、すくに犬系にポチしたのですがw、同時注文のレスチェンコの新譜が発売延期をこんなに繰り返すとは(嘆息)
いやあ、一言、うなりました。 確かに素晴らしい録音で、素晴らしい音楽、近頃はヒューイットに癒され、弓張さんにピリッとさせられ、レスチェンコに脳内を破壊され(爆)の繰り返しです。
どうぞ、今後とも良い音楽にお導き下さい。
いやあ、一言、うなりました。 確かに素晴らしい録音で、素晴らしい音楽、近頃はヒューイットに癒され、弓張さんにピリッとさせられ、レスチェンコに脳内を破壊され(爆)の繰り返しです。
どうぞ、今後とも良い音楽にお導き下さい。
koyamaさん
ご無沙汰です! おお、入手されましたか・・。これ、結構良いでしょ? この人、実はもっと大活躍してビッグネームになっていても不思議じゃない技量の持ち主です。ま、エンゲラーもそうでしたが。
(日本では女流=アルゲリッチ、あるいは内田光子という構図が定着していて、他の多くの才能ある人達を見失いがち、というのが残念なところ・・・)
ご無沙汰です! おお、入手されましたか・・。これ、結構良いでしょ? この人、実はもっと大活躍してビッグネームになっていても不思議じゃない技量の持ち主です。ま、エンゲラーもそうでしたが。
(日本では女流=アルゲリッチ、あるいは内田光子という構図が定着していて、他の多くの才能ある人達を見失いがち、というのが残念なところ・・・)