Shostakovich: P-Con #1,2@Andrei Korobeinikov,Okko Kamu/Lahti SO. |

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Shostakovich:
Piano Concerto No.1 in C minor for piano, trumpet & strings, Op.35
Preludes for piano (24), Op.34 (complete)
Piano Concerto No.2 in F major, Op.102
Andrei Korobeinikov (Pf)
Mikhail Gaiduk (Tp)
Lahti Symphony Orchestra, Okko Kamu
ショスタコーヴィチ:
1. ピアノ協奏曲第1番ハ短調 Op.35
2. 24の前奏曲 Op.34
3. ピアノ協奏曲第2番ヘ長調 Op.102
アンドレイ・コロベイニコフ(ピアノ)
ミハイル・ガイドゥーク(トランペット:1)
ラハティ交響楽団(1,3)
オッコ・カム(指揮:1,3)
アンドレイ・コロベイニコフ(Andrei Korobeinikov)は既に来日歴が何度もあって一部では絶大な人気があるようだ。略歴だが、1986年モスクワで出生、5歳でピアノを始め、僅か7歳で第3回チャイコフスキー記念青少年音楽コンクールでウィナーとなっている。2001年にモスクワ音楽院に入学したが、これは15歳の時であった。ピアノをアンドレイ・ディエフに師事し19歳で卒業している。つまり典型的な早熟天才タイプの若手ピアニストだ。その後、2004年の第3回スクリャービン国際で優勝、2005年には第2回ラフマニノフ国際で2位、2006年にはラ・ロック・ダンテロン、2007年からはラ・フォル・ジュルネに名を連ねてMIRAREデビューを果たすなど、活動の場を世界に移している。一方、モスクワ音楽院と一部重複する格好で12歳の時にヨーロッパ法科大学(モスクワ)に入学し17歳で卒業、同時に司法試験に合格している立派な法学士なのだ。
ショスタコ1番は今まで聴いたことのないようなフェザータッチの繊細なピアノで、またオケの軽量感と冷涼感も独特のものがあって非常に爽やかだ。毒々しいデモーニッシュな部分にも涼風が吹いてとても聴きやすい。なんとこんなショスタコもあったのか・・? と驚かされる独創的な解釈と言える。ピアノの音量自体は少ないようだが指回りが速くて音数が多く、結果、オケとのアンバランスは感じられない。コロベイニコフは写真等で見る限りは華奢で痩せた体型の青年のようであるが、事実、師事した教師からは腕の筋肉や胸筋を強化しないようにと指導されてきたというエピソードがある。普通の考え方からいうと逆のようだが、これは筋肉が付いてくるとピアノの音がどうしても混濁してくるので、演奏会で必要とされる音量を得るために最低限要求される筋肉だけを作り、それ以上の鍛錬は特段不要だ、という意味と思われる。なるほど微弱なフレージングがとても印象的な、言い方を変えるならば繊細でマイクロスコピックなピアノなのだ。
指が高速で回り、そして微細で繊細なピアノを弾くMIRAREのピアニストと言えばヌーブルジェがまず最初に思い浮かぶ。ヌーブルジェの方はフィジカルを相当程度鍛えていて、有り余るパワーを抑制方向で制御しつつ微細さを達成する弾き方なのだが、コロベイニコフの場合にはもともとフィジカルを鍛錬しているわけではなく自然体の普通の筋力でもってあるがままに弾いているといった感じで不自然さは全く感じられない。従って超絶技巧のピアニストに偶に感じるデジタルピアノ・サイボーグ臭い鉄壁で強靱なスケール(音階)や妙に剛健なコード(和音)といった違和感がなく、素直で飾らない巧さ、そしてなによりも高純度/透明度の高いピアノの音色が際立っている。とにもかくにも美しい音のスタインウェイだ。そして俊英ガイドゥークのトランペットは非常に尖った先鋭なアクセントを加えているが、ピアノ独奏を邪魔せず、それでいてオケの冷涼さともマッチする絶妙な間合いを生み出している。勿論、オッコ・カムが振るラハティPOの温度感の低い、しかも重心の低いサポートはとても巧いのだ。
ショスタコーヴィッチは若年期よりピアノに秀でており、ごく若い頃に第一回ショパン国際ピアノ・コンクールに応募し、落選している。その精神的打撃と遺恨からか、生涯に渡りピアノ作品を余り書かなかったし、この出来事は軸足をオーケストラ/歌曲へと移す転機ともなったようである。このアルバムの最初と真ん中はそんな中にあってもショスタコの非凡さを大いに見せ付けられる若い頃のピアノ曲の秀作であり、この24の前奏曲は、ショパンの同名作品を規範として書かれている。ショパン作品同様、全ての調性を用いているが、割と自由で前衛的な構成としている。因みにどれもが短いピースで、ショパン風、もしくはスクリャービン風の静謐でおとなしい作品と、ショスタコ本来の毒を持った苛烈な作品とが入り交じっており、調性がはっきりしないものも含め、ピアノ作品としては割と色彩感の強い作品集に仕上がっている。但し、一つ一つが短いため大作と称されることは殆どない。コロベイニコフの表現幅は非常に広く、ともすれば離散的で旋律が見え透かない連続する不協和音パートにおいても明確な意思と強い主旋律の提示により音楽も音も混濁することはない。また、透明度の高い極上のピアノ音が奏でられていることはいうまでもない。
最後のパートとなるPコン2番はショスタコの後期作品としては珍しく調性もしっかりしていて和声や旋律も絢爛豪華、そしてふくよかに真綿でくるまれるような柔和な雰囲気の作品だ。ラハティの先鋭で研ぎ澄まされたサウンドは独特の緊張感、細身で凛としたオッコ・カムの独特の解釈に呼応するコロベイニコフの霊妙かつ静謐なソロは一般的なこの作品の作り方とはちょっと変わっていて、微細に点描されるドットを重ねつつ全体像を浮かび上がらせるオフセット印刷のような音楽設計なのだ。ティンパニとコンバスといった低音域がハイスピードに引き締まっていて、その上に弦楽5部が爽やかなシズル感を伴って重畳されるのである。まさに、北欧系とロシア系がハイブリッドした冷涼な演奏といえる。
(録音評)
MIRARE MIR155、通常CD。録音は2011年5月26,28日、場所は透徹された音で定評のあるラハティ/シベリウス・ホールでのセッション録音だ。音質だが、これは驚くほど超高分解能の見え透く現代録音であって、オケの各パートがずらりと立体的に並び、縦横無尽にビームを発する様子が克明に捉えられている。中央に位置するコロベイニコフのピアノは割とオフマイク気味で、煌びやかでありながら華美にならない冷たい微粒子感がたまらない魅力。程々の長さで嫌味も無駄もない澄明なホール残響をバックボーンとして、比較的大規模な器楽構成を等身大で俯瞰できるマイクアングルはとても気持ちがよい。今年のMIRAREのリリースの中でも一、二を争う超優秀録音と言え、演奏的にも音質的にもショスタコ・ファン/オーディオ・ファイル双方に強く勧められる一枚だ。

♪ よい音楽を聴きましょう ♫