Liszt: P-Sonata in B min. Etc@Irina Mejoueva |


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disc-1
愛の夢 第3番
メフィスト・ワルツ 第1番(「村の居酒屋での踊り」)
コンソレーション 第1番~第3番
ラ・カンパネラ
ピアノ小品 変イ長調 S.192-2
夢の中で(ノクターン)S.207
ピアノ小品 嬰ヘ長調 S.192-4
エステ荘の噴水(「巡礼の年」第3年より)
カンツォーネとタランテラ(「巡礼の年」第2年補遺 《ヴェネツィアとナポリ》 より
disc-2
ピアノ・ソナタ ロ短調
子守歌 S.198
瞑想 S.204
忘れられたロマンス S.527
トッカータ S.197a
悲しみのゴンドラ 第2番 S.200-2
ピアノ小品 嬰ヘ長調 S.192-3
P.N.夫人の回転木馬 S.214a
暗い雲 S.199
イリーナ・メジューエワ(Pf)
イリーナはこのところ精力的に録音活動を行っており、年間にコンスタントな枚数をリリースし続けている。そのリリースも内容的には高度に練られた構成で演奏もイリーナらしい穏健でしっとりとしたものであった。そんななか、昨年のショパン・アルバムは傑出した出来映えであったし、今年のシューマン、シューベルトのアルバムも聴き応えのするものだった。そして最近になってこのリストのアルバムをリリース。自分の中のイメージでは、どうもイリーナとリストという派手な作曲家が結びついておらず、内容に関してどんなものなのか予測すら出来ていなかった。
ちょっと前だが、この青い地味なジャケットを店頭で手に取って買い求め、そして家に帰って針を降ろした。その瞬間から、まるで全身が凍ったように身じろぎも出来ず、2枚目の最後まで聴かされてしまった。イリーナのリスト解釈は、実は凄い。何が凄いのかというとその作品に対する透過性の高さである。リスト演奏といえば大概は奏者の個性が火花のように散らされて、これでもか、というほどに肩肘の張った派手な脚色が目眩く展開されるものである。即ち、ピアノ曲の中でもひときわにヴィルトゥオージティ発露の素材されることが、ことリストの場合には常套なのだ。このイリーナの演奏にはおよそそういった奏者側の作為や意図というものが殆ど感じられない。譜面に刻まれた音符と楽想記号だけを頼りに作家が書き下ろした作品の背景と奥底に潜む情感の再現を試みるのは他の作家の録音と同様のスタンスだ。
冒頭に愛の夢3番を持ってきている。モデレートで破綻なく、そして徹底した純音で紡ぐ愛の夢は、この後に展開されるイリーナの独壇場の幕開けだ。メフィスト・ワルツの荒れのなさも特筆もの。しかし、音楽のダイナミックレンジは非常に広く、ショパン・アルバムで聴かれたような空白の描写から極めて強靱なフォルティッシモまで変幻自在の操鍵には唸らざるを得ない。コンソレーションは全体を静謐さが支配する中、イリーナの譜読みが徹底していて、尚かつピアニッシモのタッチが得も言われず正確で美しい。極めて静かな弱音部であっても音の芯が全く痩せないのがイリーナの特徴だが、まさにこのコンソレーションはその極み。
カンパネラは独創の解釈で、今までこの様な落ち着いてしっとり稠密な演奏は聴いたことがない。最初、非常に遅いと感じる。イリーナの場合、どの演奏でも音楽的ノイズ成分が非常に少ないため実際のテンポよりはかなり遅く聴こえることが多いのであるが、このカンパネラは特段に遅く感じる。物理的に遅速のフジ子・ヘミングと同じくらい遅く感じるのであるが、実はそれは違っていて、イリーナの場合には単位時間に発せられる音数が極めて多く、同時に多くの正確な音を聴かされると人間の聴覚と脳は時間の進みが遅いと感じるようなのだ。手許にパガニーニ大練習曲の古い全音の楽譜があるので開いて目でも曲をトレースする。サーカスよろしく個性的に高速に弾き倒すカンパネラばかりのこの世界において、テンポを譜面通り、しかもアゴーギクを殆ど付けない=時間軸方向へ故意に揺らがせて曲想を付けていない=ことが明確に分かるのだ。例えば16分音符のトリルや短いスケールを装飾音符よろしく適当にパラパラと終わらせてしまう人が殆どのパートでもイリーナは決して手を抜かない。譜面に忠実でありながらその奥に見え透く描写、例えばこのカンパネラの場合には遠くから鳴り響いてくる鐘の音がどのように空間を伝わって耳に届き、どうしてこういった心象を抱くのかが解析されており、そういった点では譜面の行間を読んで、書いてない楽想記号を補間する能力にも長けているということだ。
イリーナ自身もライナーに書いている通り、このアルバムの中核は2枚目の冒頭に入っているロ短調ソナタだ。入りは例によってロー・テンポに聞こえる。しかし、前述の通りの進行方式であるため、漆黒のピアニッシモの背景に驚くほど多くの音粒が潜んでいるのでそのような聞こえ方をするのだ。この重厚で困難な単楽章ソナタをこの様に緻密かつ破綻なく、しかも冷静に軽やかに弾き抜けていくピアニストはそうはいない。フォルティッシモで低音弦と高音弦を同時に叩くくだりはイリーナの真骨頂が発揮され、通常であればピーキーで嫌なノイズを発するところ、完璧な純音が出ている。フィナーレにあたる第三パートの入りは柔らかく、そして驚くほど高速だ。ペダリングが極小なので譜面にある音符は全て明確に分離して規則正しく並んで聞こえる。多くのピアニストはこの高速スケールをレガートで華麗に流していくが、イリーナは究極のマルカートで超高解像度の点描を試みる。ストイックに律速された一定テンポのなか、極めて広いダイナミックレンジ、即ち高度で洗練されたデュナーミク、および歪感のない打鍵がコーダの直前までずっと続く。穏やかでデモーニッシュな冒頭第一主題へ回帰し、この希有なソナタは静かに幕を閉じる。
このロ短調ソナタの昨今の好演といえば、ポリーナ・レスチェンコ、カティア・ブニアティシヴィリが印象に残るが、このイリーナの演奏を聴いてしまうと、どこか生硬な部分が残っていて、そしてラティチュードの限界を感じてしまうのだ。それだけイリーナの演奏が懐が深く包容力の大きなものであることが分かる。このヴィルトゥオージティによらないロ短調ソナタはイリーナだけが成し得る孤高の快挙と思われる。
残りの曲、特に後期作品に見られるリストの深い精神性に対峙するイリーナの解釈が素晴らしいことは言うまでもない。全体を通じて、リストのハイライト作品集として的を射た構成、そしてなによりも真摯で穏健かつ一貫した高い音楽性が達成されているこのアルバムは必聴ものだ。
(録音評)
若林工房 WAKA4159、通常CD。録音は2011年4月、6月、9月、場所はお馴染みの新川文化ホール(富山県魚津市)だ。前回はPCMとDSDが半分ずつだったが、今回は3つのトラック(愛の夢、カンツォーネとタランテラ=24bit/96kHz LPCM)を除き全てDSD録音としている。このところレベルが非常に高い若林工房だが、このリストのアルバムは更なる進化を遂げた超高音質録音であり、この澄明な空間感とピアノ/イリーナの実在感は欧州の優秀レーベルに比肩するクォリティだし、サウンドステージの作り方のセンスは彼らに決して負けていない。普段は地区住民のカラオケ慰安大会が開かれたりしているという新川文化ホールでこの香り高き音楽が録られているとは想像もできない落差だ。全編を通じて会場の暗騒音、イリーナの発する上部雑音、ペダルを踏み込む時にステージが軋む音、木質系の床材を踏み締められて発せられる極低音などが克明に捉えられている。国産レーベルの録音作品としてかつてない高みに到達しているといえる。ワイドでブロードな再生特性を有する装置で聴けば、イリーナが眼前に登場しスタインウェイを弾いている姿が見えるはずだ。

♪ よい音楽を聴きましょう ♫