J.S.Bach: Goldberg Variations BWV988@Andreas Staier |
※註: この盤は2010年発売だが、2011年春にキング・インターから国内版としてリ・イシューされているためAward対象に含めた
http://www.hmv.co.jp/news/article/1003090083/
Bach, J S: Goldberg Variations, BWV988
Andreas Staier (Anthony Sidey harpsichord after Hass)
J.S.バッハ:ゴルトベルク変奏曲 BWV.988 [80:46]
アンドレアス・シュタイアー(チェンバロ/ Anthony Sidey harpsichord after Hass)
ここ数年、現代ピアノで弾くバッハ作品というのはどういった位置付けで、どうしてこんなにも違和感があって、さりとてそんな違和感を伴いつつも現代ピアノを用いたそこそこ優れたバッハ演奏が出現するのであろうか? といったことをつらつらと考えてきた。勿論、世間的にはあのグレーン・グールドが残した足跡が大きくて、その後を追う企画が絶え間なく立ち上がるという背景もあるのであろうが・・。
私自身は過去、以下のアーティクルで述べたようにずっと悩み続けつつも現代ピアノによるバッハ作品を息長く聴いてきている。
http://musicarena.exblog.jp/14829074/
http://musicarena.exblog.jp/14580387/
http://musicarena.exblog.jp/14431254/
http://musicarena.exblog.jp/13724881/
http://musicarena.exblog.jp/12695469/
http://musicarena.exblog.jp/9476970/
ここへ来てシュタイアーのゴルドベルグを聴いて心洗われる思いをしている。何度聴いても飽きることはなく、逆に聴き込めば聴き込むほどに今まで気が付かなかったパッセージに込められた情感であるとか、或いはバッハが仕掛けた罠に耳目が惹き付けられていくのである。
何度か繰り返し聴いた後、ふとライナーを読むと、シュタイアー自身が語っている長めのコメントがあった。全文だと長いので端的な部分だけを引用する。
In the Goldberg Variations, Bach used the possibilities offered by the instrument's double keyboard. The work is totally suited to the harpsichord, whereas trying to play it on the piano is like attempting to square the circle.
ゴルドベルグ変奏曲では、バッハは二段鍵盤を備えた楽器により提示された可能性(=能力とか機能とか性質)を使用した。その作品は全くもってハープシコード(チェンバロ)に適しており、しかし、ピアノでそれを演奏しようとすることは不可能を試みることに等しい。
訳注:square the circle=不可能なことを企てる 《★【由来】「円と同面積の正方形を求める」の意から》
私が今まで悶々と考え、悩んできたことを実に簡単な表現で氷解させるシュタイアーのセンテンスである。そう・・・。二段鍵盤向けに書かれた作品を横の長手方向に拡張した現代ピアノで巧く弾けるはずがないのである。
確かに、現代ピアノは強弱が付いてインプレッシブな表現が可能となる素晴らしい楽器であり、これを用いてバッハの時代の作品をより情感豊かに再構築するには適していると思われる。しかし、二段鍵盤用に書かれた楽譜には理論では推し量れない落とし穴があったということをシュタイアーは言いたいらしいのだ。
鳥の羽根の様に腕を左右に大きく拡げて、楽譜に書かれた音符を均等な活動量でコンスタントに演奏し続けることは実は難しい。二段鍵盤に向かうと右手と左手の左右方向への拡がりは極小となり、打ち下ろす腕の力も、また指の微細な動きを疎外する要素も少なく、至極当然に自然なモーションとなる。楽譜上、同じ音程の同じ鍵を叩くこともあるのであるが、二段鍵盤に向かうならばそんな煩瑣なことも気にせずに「普通」に弾き通せばよいのである。
まだ体が出来ていない小学校低学年において、ちょっと複雑でダイナミックな曲をピアノで弾くと巧く行かず、そんなときに二段鍵盤を備えた初期のエレクトーンで同じ曲を弾くと運指が恐ろしいくらいに上手く回り、結果、得意満面になったことを鮮やかに思い出すのだ。そう、左右で少しオフセットはしているものの、ピアノよりも腕を大きく開かなくとも中央位置で左右の腕がほぼ均等に使えるエレクトーンの二段鍵盤のメリットを知らず知らずのうちに享受していたのであろう。ゴルドベルグは、手許にある楽譜を見る限りにおいては二段鍵盤(またはオルガンやエレクトーンの多段鍵盤)で弾くとどうなるかは想像はつかない。ピアノをやってきた人の常識としてト音記号とヘ音記号は左右に隔たった全く異なる鍵盤を叩くものと思っているのであるが、どうやらシュタイアーの指摘はその暗黙の認識に対して警鐘を鳴らすものである、と解釈できる。
この曲とシュタイアーの演奏に関する詳細は敢えて書かないが、これはちゃんとした理屈に裏打ちされた確信に満ちた好演奏であり、ピアノ演奏による様々なゴルドベルグとは一線を画するものであるということを述べておきたい。
(録音評)
Harmonia Mundi HMC902058、通常CD。バッハの作品やこのゴルドベルグの作曲背景などをシュタイアー自身が登場して解説している風景を収めたらしいDVDが同梱されるがこちらは未視聴。音質は、チェンバロ録音としてはチャレンジャブルで規模が大きく、この上なく美しく、そして陰翳に富んでいる。これほど綺麗な音をした大型楽器がそうそう録音に使われるわけではないだろうが、それにしても美しく深い音だ。チェンバロという楽器は現代ピアノとは似て非なるものであり、そして、鍵盤を使うという点においては共通するものの、音も奏法も全く異なるということを嫌と言うほど認識させられるディスクであった。見えないはずのチェンバロの姿がスピーカーのちょっと奥にポッと出現するのであった。
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