2011年 10月 17日
Czerny: 50 Études Op.740@Jean-Frédéric Neuburger |
これは新譜ではなく、4年ほど前のMIRAREのリリース・ブックから偶然見つけた変わり種アルバムだ。なんと、ヌーブルジェが一躍有名になる直前に録音していたツェルニー50番の全曲録音。2枚目の余白にはリストの演奏会用練習曲なども埋めていて、なかなかに充実した内容だ。

http://www.hmv.co.jp/product/detail/2542122
Karl Czerny:
The Art of Finger Dexterity Op.740
Liszt:
Waldesrauschen, S145 No. 1
Gnomenreigen, S145 No. 2
La leggierezza - Étude de concert No. 2, S144
Heller, S:
4 Etudes, Op. 127
Jean-Frédéric Neuburger (piano)
・ツェルニー:指使いの技法(50番練習曲) Op.740
・リスト:2 つの演奏会用練習曲『森のざわめき』、『小人の踊り』
・リスト:3 つの演奏会用練習曲~『軽やかさ』
・ステファン・ヘラー:4つの練習曲
ジャン=フレデリック・ヌーブルジェ(p)
ツェルニー50番といえば、個人的にはあまり記憶に残っていない練習曲集である。というか、当時の私から見れば音楽的にはとてもつまらない内容の曲集だった、という方が正確か・・。ピアノ修習生の苦悩の始まりはハノンと共にツェルニー100番を渡された時、と日本国内では一般に言われているそうだ。バイエルやメトード・ローズ、ブルグミューラーはそこそこ楽しく進むのだがツェルニー100番からピアノの練習が段々楽しくなくなっていくのだそうだ。長大な100番が終わると30番が渡され、そして40番が始まる。ここまで数年かかって40番が終わる頃には、大体のピアノ譜は、読んでから数回練習すれば引っかかりながらも弾けるようになってはいる。そして更に50番に進むのだが、この曲集のアクロバティックで辟易するスケール/和音/アルペジオ/オクターブ奏法/クロマティック/トリル/三連符/付点・・達の執拗な羅列と繰り返しに耐え切れず、やめてしまう人や他の練習曲集へ行ってしまう人も沢山いて、ツェルニー50番、60番における生徒達のサバイバル・レートは低いと思われる。
幸いなことに私が幼少期~高校生まで習っていたピアノの先生はアンチ・バイエル、アンチ・ツェルニー派であったため各段階において複数の教則本を生徒に渡していた。そして、ツェルニーに関しては100~50番まで抜粋でレッスンを付けてくれていた。つまり必須科目ではなかったのだ。ツェルニーの課題は満足に出来なくても叱らず次へ進ませてくれた。寧ろ、100番の初期の頃にはバッハ・インヴェンション、クーラウ/クレメンティのソナチネ集、および先生が独自に初期ピアノ教育における効果を主張して展開していたバッハのウェル・テンパードの方を厳しく躾られた思い出がある。よって、厳格なツェルニー派の先生の下で苦労しながら純粋ツェルニーを全曲踏破した人とは比べものにならないくらいテクニック的には柔らかくて出来は悪かったに違いない。
50番だが、40番とはまるで異なる性質の曲集で難解かつ高難度であり、つまらなくてなかなか馴染めず、でも半分ちょっとくらいは終わらせた。やはり私の先生はアンチ・ツェルニーだったためか、この頃はクラマー=ビューローを重視していた記憶がある。50番が嫌ならショパンのOp.10か25をやろうか? ということで、私のツェルニー50番は中途にして突如終わった。50番を半ばくらいまでやって分かることだが、世の中に出ているピアノ譜については、おおかたのものは片手練習せず初見で弾けるようになるのだ。途中でスイッチしたショパンのOp.10あたり、またノクターンOp.9の曲集くらいならば大体初見、かつ両手で譜面トレースが出来て、そのあと片手練習を数回繰り返せば殆ど問題なく弾けるようになる。ツェルニー50番とはそういった強制的ピアノ技巧養成ギブスのようなエチュードだと思えば大きな誤りはない。但し、あんまり面白い旋律も和声もないので私の記憶には殆ど残っていなかったというわけだ。
通常はこの手の純粋な訓練用練習曲がCD録音としてリリースされることはない。しかも、MIRAREのようなフランス国内では大手と目されるレーベルが堂々と2枚組を出して来ることは通常はあり得ないことだ。そして、弾いているのはヌーブルジェときている。後付けで申し訳ないが、ヌーブルジェが優れたPf奏者であることはこの2枚組を聴けばすぐに理解出来て、その後の活躍を想像するに、まず最初にこれを聴いていなかったのは手落ちだと思うのだ。
そんなことは置いておいて、このCDはかなり驚愕の内容だ。ツェルニー50番が鑑賞に耐える作品であったということ。聴いていると取り組んだ曲が脳裏に過ぎってくる。自宅の奥深くに保存しておいた全音の楽譜を出してくる。ビニールのカバーがボロボロに腐食している。ページをめくると楽譜が茶ばんでいるのは致し方ないとしても、当時の印刷が鮮明であることに驚かされる。そして、取り組んだ曲のページには人差し指の形で黴が生えていた痕跡があり、そして数十年前に先生が殴り書きした赤鉛筆の指導(クレッシェンド/デクレッシェンドを示す巨大な不等号や、アクセントを示す○や点々など・・)がそのまま生々しく残されているのだ。楽譜を追いながらヌーブルジェの演奏を聴くと、懐かしい部分と全く思い当たらない部分とに別れる。後者に関し、ヌーブルジェの演奏は極めて高速なパッセージであり、当時の自分の速度より2倍くらい速いのだ。そう、これくらいの速度にならないと全体の曲想が見えてこないと言うことを数十年経過した今になって思い知るのだ。
詳細はここでは語れない。ピアノを習っている人や過去習っていてツェルニーに世話になった人達には一度聴いて欲しいアルバムだ。こんな解釈と弾き方もあったのかと・・。とにかく、超絶技巧のヌーブルジェの術が堪能出来るアルバムだ。ツェルニーもこんな弾き方をされたら本望だと、草葉の陰で思っているに違いない。
(残り、リストとヘラーの演奏会用の練習曲が完璧で素晴らしいことは言うに及ばない)
(録音評)
MIRARE MIR023、通常CD。録音はいつものリモーザンのあのホールだ。この頃からこのホールの音は、例えばピアノであれば備え付けのベヒシュタインでチューニングされていると思われ、とても馴染んだ微細な音がする。それでいて刺激的なスタインウェイ的な音が出ないかというとそうではなく、まろぶような中域の延長線上にかなり主張の強い高域が載るし、微視的なフィンガータッチも明晰に表現する。ヌーブルジェの超絶技巧がこの頃から全開であったことを捉える貴重な録音だ。音質は言うまでもなく素晴らしい。
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http://www.hmv.co.jp/product/detail/2542122
Karl Czerny:
The Art of Finger Dexterity Op.740
Liszt:
Waldesrauschen, S145 No. 1
Gnomenreigen, S145 No. 2
La leggierezza - Étude de concert No. 2, S144
Heller, S:
4 Etudes, Op. 127
Jean-Frédéric Neuburger (piano)
・ツェルニー:指使いの技法(50番練習曲) Op.740
・リスト:2 つの演奏会用練習曲『森のざわめき』、『小人の踊り』
・リスト:3 つの演奏会用練習曲~『軽やかさ』
・ステファン・ヘラー:4つの練習曲
ジャン=フレデリック・ヌーブルジェ(p)
ツェルニー50番といえば、個人的にはあまり記憶に残っていない練習曲集である。というか、当時の私から見れば音楽的にはとてもつまらない内容の曲集だった、という方が正確か・・。ピアノ修習生の苦悩の始まりはハノンと共にツェルニー100番を渡された時、と日本国内では一般に言われているそうだ。バイエルやメトード・ローズ、ブルグミューラーはそこそこ楽しく進むのだがツェルニー100番からピアノの練習が段々楽しくなくなっていくのだそうだ。長大な100番が終わると30番が渡され、そして40番が始まる。ここまで数年かかって40番が終わる頃には、大体のピアノ譜は、読んでから数回練習すれば引っかかりながらも弾けるようになってはいる。そして更に50番に進むのだが、この曲集のアクロバティックで辟易するスケール/和音/アルペジオ/オクターブ奏法/クロマティック/トリル/三連符/付点・・達の執拗な羅列と繰り返しに耐え切れず、やめてしまう人や他の練習曲集へ行ってしまう人も沢山いて、ツェルニー50番、60番における生徒達のサバイバル・レートは低いと思われる。
幸いなことに私が幼少期~高校生まで習っていたピアノの先生はアンチ・バイエル、アンチ・ツェルニー派であったため各段階において複数の教則本を生徒に渡していた。そして、ツェルニーに関しては100~50番まで抜粋でレッスンを付けてくれていた。つまり必須科目ではなかったのだ。ツェルニーの課題は満足に出来なくても叱らず次へ進ませてくれた。寧ろ、100番の初期の頃にはバッハ・インヴェンション、クーラウ/クレメンティのソナチネ集、および先生が独自に初期ピアノ教育における効果を主張して展開していたバッハのウェル・テンパードの方を厳しく躾られた思い出がある。よって、厳格なツェルニー派の先生の下で苦労しながら純粋ツェルニーを全曲踏破した人とは比べものにならないくらいテクニック的には柔らかくて出来は悪かったに違いない。
50番だが、40番とはまるで異なる性質の曲集で難解かつ高難度であり、つまらなくてなかなか馴染めず、でも半分ちょっとくらいは終わらせた。やはり私の先生はアンチ・ツェルニーだったためか、この頃はクラマー=ビューローを重視していた記憶がある。50番が嫌ならショパンのOp.10か25をやろうか? ということで、私のツェルニー50番は中途にして突如終わった。50番を半ばくらいまでやって分かることだが、世の中に出ているピアノ譜については、おおかたのものは片手練習せず初見で弾けるようになるのだ。途中でスイッチしたショパンのOp.10あたり、またノクターンOp.9の曲集くらいならば大体初見、かつ両手で譜面トレースが出来て、そのあと片手練習を数回繰り返せば殆ど問題なく弾けるようになる。ツェルニー50番とはそういった強制的ピアノ技巧養成ギブスのようなエチュードだと思えば大きな誤りはない。但し、あんまり面白い旋律も和声もないので私の記憶には殆ど残っていなかったというわけだ。
通常はこの手の純粋な訓練用練習曲がCD録音としてリリースされることはない。しかも、MIRAREのようなフランス国内では大手と目されるレーベルが堂々と2枚組を出して来ることは通常はあり得ないことだ。そして、弾いているのはヌーブルジェときている。後付けで申し訳ないが、ヌーブルジェが優れたPf奏者であることはこの2枚組を聴けばすぐに理解出来て、その後の活躍を想像するに、まず最初にこれを聴いていなかったのは手落ちだと思うのだ。
そんなことは置いておいて、このCDはかなり驚愕の内容だ。ツェルニー50番が鑑賞に耐える作品であったということ。聴いていると取り組んだ曲が脳裏に過ぎってくる。自宅の奥深くに保存しておいた全音の楽譜を出してくる。ビニールのカバーがボロボロに腐食している。ページをめくると楽譜が茶ばんでいるのは致し方ないとしても、当時の印刷が鮮明であることに驚かされる。そして、取り組んだ曲のページには人差し指の形で黴が生えていた痕跡があり、そして数十年前に先生が殴り書きした赤鉛筆の指導(クレッシェンド/デクレッシェンドを示す巨大な不等号や、アクセントを示す○や点々など・・)がそのまま生々しく残されているのだ。楽譜を追いながらヌーブルジェの演奏を聴くと、懐かしい部分と全く思い当たらない部分とに別れる。後者に関し、ヌーブルジェの演奏は極めて高速なパッセージであり、当時の自分の速度より2倍くらい速いのだ。そう、これくらいの速度にならないと全体の曲想が見えてこないと言うことを数十年経過した今になって思い知るのだ。
詳細はここでは語れない。ピアノを習っている人や過去習っていてツェルニーに世話になった人達には一度聴いて欲しいアルバムだ。こんな解釈と弾き方もあったのかと・・。とにかく、超絶技巧のヌーブルジェの術が堪能出来るアルバムだ。ツェルニーもこんな弾き方をされたら本望だと、草葉の陰で思っているに違いない。
(残り、リストとヘラーの演奏会用の練習曲が完璧で素晴らしいことは言うに及ばない)
(録音評)
MIRARE MIR023、通常CD。録音はいつものリモーザンのあのホールだ。この頃からこのホールの音は、例えばピアノであれば備え付けのベヒシュタインでチューニングされていると思われ、とても馴染んだ微細な音がする。それでいて刺激的なスタインウェイ的な音が出ないかというとそうではなく、まろぶような中域の延長線上にかなり主張の強い高域が載るし、微視的なフィンガータッチも明晰に表現する。ヌーブルジェの超絶技巧がこの頃から全開であったことを捉える貴重な録音だ。音質は言うまでもなく素晴らしい。
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by primex64
| 2011-10-17 00:52
| Solo - Pf
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