2011年 10月 13日
Schubert: Piano works #2@Irina Mejoueva |
メジューエワの夏の新譜からドイツの神髄シューベルトだ。このところのイリーナはかなり頻繁にアルバムをリリースしている。しかも枚数を重ねるごとに出来映えが良くなっているのだ。この人は出自がロシア(旧ソ連)で、途中から日本国内に軸足を移した人物なのであるが、国内だけに留まっているにはちょっと惜しい人材だと思う。


http://www.hmv.co.jp/product/detail/4163084
シューベルト:
CD1
・ピアノ・ソナタ第14番イ短調 D.784
・4つの即興曲 op.142、D.935
CD2
・さすらい人幻想曲ハ長調 D.760
・さすらい人(リスト編曲)
・水車小屋の男と小川(リスト編曲)
・連祷(リスト編曲)
・3つのピアノ曲 D.946
イリーナ・メジューエワ(ピアノ)
シューベルトはベートーヴェン&モーツァルトと、その後の世代であるブラームスらを繋ぐちょうど中間に位置するロマンティックな作曲家で、個人的には結構好きな作家の一人。シューベルトの没年は1828年、ブラームスの生誕は1833年とされているので、この二人がこの地上で同じ空気を吸った期間は皆無と言うことだ。だが、同時期の著名作家であるシューマンとショパンの生誕は1810年というから、シューベルトの晩年とは18年間ほどオーバーラップしている計算となる。シューマンもショパンも世に出たのはそれなりに歳を重ねた後だったので彼らの作風にシューベルトが与えた直接的な影響は余りない、若しくは全くなかったと思われる。しかし、同時代の息吹が音楽的カルチャーに伝播して影響を及ぼすことはそれなりにあったと考えられる共通点は認められるし、また、この頃には既に平均律による楽譜(=五線譜)が発明され定着を見ていることから、シューマン&ショパンがシューベルトの作品から少なからずや事後的に何かを学んだという事実は認めざるを得ないところと考察される。
イリーナのシューベルト解釈はとても理に適っている。即ち、純朴で直進性の強い旋律と、多少複雑に分化し始めた陰陽と陰翳が交錯する和声とがとても美しく、そして訴求力のあるダイナミックな演奏が私個人のシューベルト観とジャストフィットするのだ。まず、ソナタ14番。力強く反復する第一テーマがミニマル的な余韻として頭内に定位しつつ、その転写効果が最後まで持続する。イリーナの場合、あの浮世離れした西洋人形のような風貌に騙されてはいけないというのは分かりつつ、やはりそのギャップ、つまりエナジー感溢れる強打の連続には驚かされる。一枚目の埋め草としてインプロンプトゥが入っているが、これが侮れない。3番変ロ長調は歌曲のロザムンデをシューベルト自身がクラヴィーア用に編曲したトランスクリプションとしてつとに有名。イリーナの抑制的かつ内省的な解釈がこのスタンダード曲を香り立つ風情でもってシューベルトの時代へと時間軸逆廻しで誘ってくれる。
2枚目のさすらい人幻想曲からはちょっとオフ気味のスタインウェイが1枚目と変わらない強打と、そして真綿のような優しく柔らかな二面性で奏でられ、イリーナの新たな面を垣間見た気がする。媚びることも阿ることも決してない、それでいて時折挟まれる毅然とした強めのデュナーミクが彼女のシューベルト解釈における矜持を示している。それだけ自信もあって、自らも楽しみつつ弾いているふうだ。リスト編のさすらい人はD.760の幻想曲バージョンから断片を切り取った名編曲なのだが、これはまたちょっと心境を変えたふくよか、かつ和らいだ表現で秀逸だ。同じくリスト編のリタニーは抜群のソノリティを放散していて、この辺では聴かせどころを知った上で聴く側の耳を休憩させるのであった。
冒頭のソナタ#14が目玉との設定なのだろうが、私的には最後のDrei Klavierstücke D.946がこの2枚組アルバムの白眉である。馴染みの曲ではあるが、その後のシューマンがウィーンの気風を生き生きと描いたあれらの曲の原型と思われる旋律/和声がいっぱい出てきて楽しい。またイリーナはここまでのある種の厳めしさで心の扉を重く閉ざしながらの録音であったが、これらが嘘のようなテンペラメンタルな弾きっぷりであり、ここで初めて感情を解放して飛翔するかの如くの躍動を見せる。この重厚なテーマで綴ったシューベルトのアルバムを締めくくるには最高のフィナーレだ。
(録音評)
若林工房 WAKA4155、通常CD。録音は2011年4月、6月、場所は例によってイリーナの定番=富山県魚津市の新川文化ホールだ。今回はライナーにちょっと着目すべき録音方式が書いてあった。24Bit+96kHz Digital:CD1 DSD:CD2とある。なんと二枚目がDSD録音だそうだ。ピアノの調律師が違うのだろうと思って聴いていた。しかし、どうやらそうではなくてDSD録音のためか微粒子感の強い、しかもホールトーンが豊かなアコースティックな音が録れているようなのだ。ピアノの音は基本のスタインウェイと同じということは分かるが、一枚目と二枚目ではかなり風合いが異なる。個人的には1枚目の実像感が強いL-PCMが好みであるが、曲想を考えると最終のKlavierstückeを含む2枚目はDSD録音で正解だったと思う。
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シューベルト:
CD1
・ピアノ・ソナタ第14番イ短調 D.784
・4つの即興曲 op.142、D.935
CD2
・さすらい人幻想曲ハ長調 D.760
・さすらい人(リスト編曲)
・水車小屋の男と小川(リスト編曲)
・連祷(リスト編曲)
・3つのピアノ曲 D.946
イリーナ・メジューエワ(ピアノ)
シューベルトはベートーヴェン&モーツァルトと、その後の世代であるブラームスらを繋ぐちょうど中間に位置するロマンティックな作曲家で、個人的には結構好きな作家の一人。シューベルトの没年は1828年、ブラームスの生誕は1833年とされているので、この二人がこの地上で同じ空気を吸った期間は皆無と言うことだ。だが、同時期の著名作家であるシューマンとショパンの生誕は1810年というから、シューベルトの晩年とは18年間ほどオーバーラップしている計算となる。シューマンもショパンも世に出たのはそれなりに歳を重ねた後だったので彼らの作風にシューベルトが与えた直接的な影響は余りない、若しくは全くなかったと思われる。しかし、同時代の息吹が音楽的カルチャーに伝播して影響を及ぼすことはそれなりにあったと考えられる共通点は認められるし、また、この頃には既に平均律による楽譜(=五線譜)が発明され定着を見ていることから、シューマン&ショパンがシューベルトの作品から少なからずや事後的に何かを学んだという事実は認めざるを得ないところと考察される。
イリーナのシューベルト解釈はとても理に適っている。即ち、純朴で直進性の強い旋律と、多少複雑に分化し始めた陰陽と陰翳が交錯する和声とがとても美しく、そして訴求力のあるダイナミックな演奏が私個人のシューベルト観とジャストフィットするのだ。まず、ソナタ14番。力強く反復する第一テーマがミニマル的な余韻として頭内に定位しつつ、その転写効果が最後まで持続する。イリーナの場合、あの浮世離れした西洋人形のような風貌に騙されてはいけないというのは分かりつつ、やはりそのギャップ、つまりエナジー感溢れる強打の連続には驚かされる。一枚目の埋め草としてインプロンプトゥが入っているが、これが侮れない。3番変ロ長調は歌曲のロザムンデをシューベルト自身がクラヴィーア用に編曲したトランスクリプションとしてつとに有名。イリーナの抑制的かつ内省的な解釈がこのスタンダード曲を香り立つ風情でもってシューベルトの時代へと時間軸逆廻しで誘ってくれる。
2枚目のさすらい人幻想曲からはちょっとオフ気味のスタインウェイが1枚目と変わらない強打と、そして真綿のような優しく柔らかな二面性で奏でられ、イリーナの新たな面を垣間見た気がする。媚びることも阿ることも決してない、それでいて時折挟まれる毅然とした強めのデュナーミクが彼女のシューベルト解釈における矜持を示している。それだけ自信もあって、自らも楽しみつつ弾いているふうだ。リスト編のさすらい人はD.760の幻想曲バージョンから断片を切り取った名編曲なのだが、これはまたちょっと心境を変えたふくよか、かつ和らいだ表現で秀逸だ。同じくリスト編のリタニーは抜群のソノリティを放散していて、この辺では聴かせどころを知った上で聴く側の耳を休憩させるのであった。
冒頭のソナタ#14が目玉との設定なのだろうが、私的には最後のDrei Klavierstücke D.946がこの2枚組アルバムの白眉である。馴染みの曲ではあるが、その後のシューマンがウィーンの気風を生き生きと描いたあれらの曲の原型と思われる旋律/和声がいっぱい出てきて楽しい。またイリーナはここまでのある種の厳めしさで心の扉を重く閉ざしながらの録音であったが、これらが嘘のようなテンペラメンタルな弾きっぷりであり、ここで初めて感情を解放して飛翔するかの如くの躍動を見せる。この重厚なテーマで綴ったシューベルトのアルバムを締めくくるには最高のフィナーレだ。
(録音評)
若林工房 WAKA4155、通常CD。録音は2011年4月、6月、場所は例によってイリーナの定番=富山県魚津市の新川文化ホールだ。今回はライナーにちょっと着目すべき録音方式が書いてあった。24Bit+96kHz Digital:CD1 DSD:CD2とある。なんと二枚目がDSD録音だそうだ。ピアノの調律師が違うのだろうと思って聴いていた。しかし、どうやらそうではなくてDSD録音のためか微粒子感の強い、しかもホールトーンが豊かなアコースティックな音が録れているようなのだ。ピアノの音は基本のスタインウェイと同じということは分かるが、一枚目と二枚目ではかなり風合いが異なる。個人的には1枚目の実像感が強いL-PCMが好みであるが、曲想を考えると最終のKlavierstückeを含む2枚目はDSD録音で正解だったと思う。
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by primex64
| 2011-10-13 01:19
| Solo - Pf
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