2011年 10月 07日
Brahms: Vn-Con & String Sextet#2@Isabelle Faust, Daniel Harding/Mahler Chamber O. |
Harmonia Mundiの春の新譜から、ファウストのブラVnコンと六重奏曲2番。近い将来の巨匠、ハーディングと、個人的評価では現在世界一の超高性能オケ=マーラー室内管がサポートを務める。秋めいてくるとこういったのを無性に聴きたくなる。勿論、春に出たCDゆえ、別にこの季節用と言うわけではないが・・。

http://www.hmv.co.jp/product/detail/3981696
Brahms:
Violin Concerto in D Major, Op.77
Isabelle Faust (Vn)
Mahler Chamber Orchestra, Daniel Harding(Cond)
String Sextet No. 2 in G major, Op.36
Sextet: Isabelle Faust, Julia-Maria Kretz (Vn)
Stefan Fehlandt, Pauline Sachse (Va)
Christoph Richter & Xenia Jankovic (Vc)
ブラームス:
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.77
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン/「スリーピング・ビューティ」1704年ストラディヴァリウス)
マーラー室内管弦楽団
ダニエル・ハーディング(指揮)
弦楽六重奏曲第2番ト長調 Op.36
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン/「スリーピング・ビューティ」1704年ストラディヴァリウス)
ユリア=マリア・クレッツ(ヴァイオリン)
ステファン・フェーラント、ポーリーヌ・ザクセ(ヴィオラ)
クリストフ・リヒター、シェニア・ヤンコヴィチ(チェロ)
ブラVnコンの新譜は秋に入ってから3枚目だ。最初に聴いたのは闊達にしてフェザータッチの正統派であるシュタインバッハー、次が前回取り上げた妖艶でふくよかなスクリデだ。
Vnコンの方を一言でいうと、ソリッドで毅然としたブラームスであり、先の二人の演奏とはまるで違う。いや、格が違うといった方が正しい表現かも知れない。そしてブラームスの二つの人格(作風)のうち、明らかに猛々しい男性的な側面をハイライトした解釈となっている。
長い一楽章の入りは例によりかなりダルな前奏部が100小節たらず続き、そしてファウストは本当に厳めしくて人を寄せ付けないような入りを見せる。あまりの厳しさに、この先の行く末に暗黒世界を予感させられるペシミスティックな導入部だ。しかし、第二主題にかかるとただ厳しくて悲しくて硬い岩のような表現ではなく、とても強い抑揚と、あっさりと緩解するリタルダンドが交錯するドラマティックな展開でこの希有で優美な旋律が綴られて行くのだ。スリーピング・ビューティを操るファウストの呪術的な技巧は健在であり、まるで喉から肉声を絞り出しているかの如く変幻かつ自在に歌い上げていくのだ。ブラームスというあの時代を代表するロマンチストの作品だからこそ、最近封印している黄金のヴィブラートを抑制することなく、さりとてノン・ヴィヴラート&ノン・レガートによる超微細な弱奏部も交えつつ雄弁に語り続けるのだ。因みに、カデンツァは一般的なヨアヒム版ではなくブゾーニ版を採用している。しかもちょっと変わっているのはカデンツァといいつつバックでは相当音量でティンパニがドラム・ロールを通奏していることだ。斬新な演出だが、これはこれで劇的な効果を引き出していて面白い。
緩徐楽章に入ると状況は変わり、ヴィブラートを抑制気味に使いつつ優しく柔らかく、そして精密なパッセージを積み重ねていく。とても美しい解釈であり、通常なら催眠作用が増す場面ではあるがずっと聴いていたいとの欲求からか、ついつい微視的・分析的な耳を峙てるも、結局は理屈がどこかへ消し飛んでしまい、ファウストの術に巻き込まれて聴き惚れてしまうのだった。そしてフィナーレ。可憐でシンプルな主題---第一楽章第二主題の変形---が、またもやソリッドでポップ、そしてダイナミックな気風で奏でられる。変奏を重ねるごとにダブルストップの音量が増し、それでも混濁は一切認められず美しいプロポーションを保ち続ける。バックのハーディング/マーラー室内管はまるでファウストとのデュオの相方という感じで共鳴して積極的に絡んでくるのが非常に面白い。この曲はこういう解釈で聴かされるとVnコンとタイトルするよりも、「Concerto for Violin and Orchestra」のほうが適切だと思われるのだ。しかし、技巧的にはファウストもハーディング/マーラー室内管も並大抵ではないことを改めて思い知らされる演奏だ。
後半の六重奏曲だが、これがまるで別人のような演奏なのだ。元々の旋律がゆったりとたゆたう、ブラームスとしては割と安定した名曲なのであるが、ここでのファウストはこのゆったり感と、時折暗転する翳りの部分との出し入れを楽しんでいる風である。この作品はかなり大規模で4楽章形式をとる。通常は2ないし3楽章を緩徐楽章に充てる。この作品の場合には3楽章がそれに相当する指定となっている(Poco adagio)が、アダージオはごく一部であり、ほぼ全体はアレグロ若しくはアレグレットくらいで律速されている。急減速なしに3楽章を終えるとすぐさまPoco allegro指定のフィナーレだ。この人たちの楽器は妙にシンクロしていて、パート間はもとより同一パートの中のずれ・乖離も殆どなくて完璧に近いアンサンブルである。そんな中でもファウストのスリーピング・ビューティだけは自らの存在感を高らかに表明しているのであった。
(録音評)
Harmonia Mundi、HMC902075、通常CD。コンチェルト:2010年2月、ビルバオ、Sociedad Filarmonica、六重奏曲:2010年9月、ベルリン、テルデック・スタジオ。Vnコンの方だが、これが驚愕の音質であり、ちょっと異次元だ。今までのファウストの録音はいずれも優れたものではあったが、「超」が付くレベルのものはなかった。指揮者、オケの奏者一人一人の息遣いと気配、そしてファウストの立ち居振る舞いが全部見え透いてしまう、いわば3Dテレビのような立体CDなのだ。ここまで来ると気色が悪いくらい。これほどの録音が通常CD-DAでぽっと出現するとは・・。テルデックの方も非常に優秀で、こちらはリラックスした面々の豊かな表情が浮かびあがる出来映えで、これもまた良い。
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http://www.hmv.co.jp/product/detail/3981696
Brahms:
Violin Concerto in D Major, Op.77
Isabelle Faust (Vn)
Mahler Chamber Orchestra, Daniel Harding(Cond)
String Sextet No. 2 in G major, Op.36
Sextet: Isabelle Faust, Julia-Maria Kretz (Vn)
Stefan Fehlandt, Pauline Sachse (Va)
Christoph Richter & Xenia Jankovic (Vc)
ブラームス:
ヴァイオリン協奏曲ニ長調 Op.77
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン/「スリーピング・ビューティ」1704年ストラディヴァリウス)
マーラー室内管弦楽団
ダニエル・ハーディング(指揮)
弦楽六重奏曲第2番ト長調 Op.36
イザベル・ファウスト(ヴァイオリン/「スリーピング・ビューティ」1704年ストラディヴァリウス)
ユリア=マリア・クレッツ(ヴァイオリン)
ステファン・フェーラント、ポーリーヌ・ザクセ(ヴィオラ)
クリストフ・リヒター、シェニア・ヤンコヴィチ(チェロ)
ブラVnコンの新譜は秋に入ってから3枚目だ。最初に聴いたのは闊達にしてフェザータッチの正統派であるシュタインバッハー、次が前回取り上げた妖艶でふくよかなスクリデだ。
Vnコンの方を一言でいうと、ソリッドで毅然としたブラームスであり、先の二人の演奏とはまるで違う。いや、格が違うといった方が正しい表現かも知れない。そしてブラームスの二つの人格(作風)のうち、明らかに猛々しい男性的な側面をハイライトした解釈となっている。
長い一楽章の入りは例によりかなりダルな前奏部が100小節たらず続き、そしてファウストは本当に厳めしくて人を寄せ付けないような入りを見せる。あまりの厳しさに、この先の行く末に暗黒世界を予感させられるペシミスティックな導入部だ。しかし、第二主題にかかるとただ厳しくて悲しくて硬い岩のような表現ではなく、とても強い抑揚と、あっさりと緩解するリタルダンドが交錯するドラマティックな展開でこの希有で優美な旋律が綴られて行くのだ。スリーピング・ビューティを操るファウストの呪術的な技巧は健在であり、まるで喉から肉声を絞り出しているかの如く変幻かつ自在に歌い上げていくのだ。ブラームスというあの時代を代表するロマンチストの作品だからこそ、最近封印している黄金のヴィブラートを抑制することなく、さりとてノン・ヴィヴラート&ノン・レガートによる超微細な弱奏部も交えつつ雄弁に語り続けるのだ。因みに、カデンツァは一般的なヨアヒム版ではなくブゾーニ版を採用している。しかもちょっと変わっているのはカデンツァといいつつバックでは相当音量でティンパニがドラム・ロールを通奏していることだ。斬新な演出だが、これはこれで劇的な効果を引き出していて面白い。
緩徐楽章に入ると状況は変わり、ヴィブラートを抑制気味に使いつつ優しく柔らかく、そして精密なパッセージを積み重ねていく。とても美しい解釈であり、通常なら催眠作用が増す場面ではあるがずっと聴いていたいとの欲求からか、ついつい微視的・分析的な耳を峙てるも、結局は理屈がどこかへ消し飛んでしまい、ファウストの術に巻き込まれて聴き惚れてしまうのだった。そしてフィナーレ。可憐でシンプルな主題---第一楽章第二主題の変形---が、またもやソリッドでポップ、そしてダイナミックな気風で奏でられる。変奏を重ねるごとにダブルストップの音量が増し、それでも混濁は一切認められず美しいプロポーションを保ち続ける。バックのハーディング/マーラー室内管はまるでファウストとのデュオの相方という感じで共鳴して積極的に絡んでくるのが非常に面白い。この曲はこういう解釈で聴かされるとVnコンとタイトルするよりも、「Concerto for Violin and Orchestra」のほうが適切だと思われるのだ。しかし、技巧的にはファウストもハーディング/マーラー室内管も並大抵ではないことを改めて思い知らされる演奏だ。
後半の六重奏曲だが、これがまるで別人のような演奏なのだ。元々の旋律がゆったりとたゆたう、ブラームスとしては割と安定した名曲なのであるが、ここでのファウストはこのゆったり感と、時折暗転する翳りの部分との出し入れを楽しんでいる風である。この作品はかなり大規模で4楽章形式をとる。通常は2ないし3楽章を緩徐楽章に充てる。この作品の場合には3楽章がそれに相当する指定となっている(Poco adagio)が、アダージオはごく一部であり、ほぼ全体はアレグロ若しくはアレグレットくらいで律速されている。急減速なしに3楽章を終えるとすぐさまPoco allegro指定のフィナーレだ。この人たちの楽器は妙にシンクロしていて、パート間はもとより同一パートの中のずれ・乖離も殆どなくて完璧に近いアンサンブルである。そんな中でもファウストのスリーピング・ビューティだけは自らの存在感を高らかに表明しているのであった。
(録音評)
Harmonia Mundi、HMC902075、通常CD。コンチェルト:2010年2月、ビルバオ、Sociedad Filarmonica、六重奏曲:2010年9月、ベルリン、テルデック・スタジオ。Vnコンの方だが、これが驚愕の音質であり、ちょっと異次元だ。今までのファウストの録音はいずれも優れたものではあったが、「超」が付くレベルのものはなかった。指揮者、オケの奏者一人一人の息遣いと気配、そしてファウストの立ち居振る舞いが全部見え透いてしまう、いわば3Dテレビのような立体CDなのだ。ここまで来ると気色が悪いくらい。これほどの録音が通常CD-DAでぽっと出現するとは・・。テルデックの方も非常に優秀で、こちらはリラックスした面々の豊かな表情が浮かびあがる出来映えで、これもまた良い。

by primex64
| 2011-10-07 00:27
| Concerto - Vn
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